第四十二話 佐々成政、切腹
肥後の一揆は、ほどなくして鎮圧された。
秀吉が、腹心である加藤清正を中心とした援軍を肥後に送ったからである。この援軍には、秀吉に屈したばかりの島津家の軍団も入っていた。
これにより佐々成政の運命は決した。
1588年(天正16年)2月、佐々成政は、秀吉の命により、大坂へ呼び出された。
馬上の佐々成政は、陽光に照らされながら、胸に重い覚悟を抱いていた。
「責任はおれにある。肥後をまとめきれなかったのは器に欠けていたからだ」
そのとき、佐々成政の頭に、山田弥五郎からの文章が浮かんだ。
『マカオに逃げてこい! マカオに逃げてこい! また、昔のように……』
佐々成政は、微笑を浮かべて、
「……(ふるふる)」
かぶりを振った。
「それだけは、できんよ」
その後、佐々成政は大坂城に着いたが、秀吉は面会を拒んだ。
佐々成政の失敗は重罪だった。その上、もとより親しくもない佐々成政をかばう気持ちが、秀吉にあろうはずがない。
佐々成政は摂津国尼崎の法園寺に幽閉された。佐々成政の処断については、毛利家の安国寺恵瓊が、成政の武勇、なくなるには惜しいと訴えたものの、秀吉は聞かなかった。
前田利家は、これも、もとより佐々成政と不仲であったため、かばう動きを見せず。
徳川家康は、かつて佐々成政の大演説に感動した身であり、秀吉に意見をしようとしたが、重臣たちの反対に遭い、これを断念した。
佐々成政は、ひとりになった。
佐々成政は、幽閉先の狭い部屋で一人、目をつぶっていた。
そのとき、闇の中から一つの影が現れた。
長い髪を無造作に束ねた女――石川五右衛門だった。
「よお。あんた、こんなところで腐っていていいのかい?」
「懐かしい顔が出てきたと思ったら……腐るとはなんだ」
「腐ってるさ。鏡を持ってきてやろうか。ひげもじゃで、シワだらけで、ひでえもんだよ。むさ苦しいったらありゃしない。女として見ちゃいられないね」
「お前、まだ女のつもりだったのか」
「ひっでえこと言いやがるなあ、こんな美人を捕まえてさ」
五右衛門の声は荒っぽいが、どこか温かみがあった。
佐々成政は、思わず笑みを浮かべた。
五右衛門と話していると、弥五郎や伊与やカンナのことを思い出すのだ。
死を目の前にして、佐々成政は、ようやく過去を振り返る余裕が生まれた。懐かしい津島時代を思い出す。
ときには信長の後ろにくっつき、ときには弥五郎から早合を買いもとめ。
尾張の荒野を、火縄銃ひとつ担ぎ、ただ一心不乱に駆けずり回っていたのだ。
「うちが船を手配してやる」
五右衛門が、真面目な声で言った。
「マカオへ逃げな。弥五郎が待ってるんだ。あんた、こんなことで死ぬこたぁねえよ」
「それはできない」
「……なぜだい?」
「おれが逃げたら、佐々の家はどうなる」
「家なんざ――」
「おれの名前はどうなる。責任も取らず逃げ出すなど、いい恥さらしだ。お前にも山田にも深く感謝するが、おれはこれでいい。おれなりに、精いっぱいやった」
「あんた、馬鹿だろ! 生きてりゃ、なんぼでもやり直せるってのに!」
佐々成政は、五右衛門の抗議を聞いて、微笑んだ。
「石川。おれはな、もともと佐々家のひやめしだった。嫡男ではなかったのだ。兄の家臣となり仕えるのが、本来のおれの役割だった。それが兄の死で、また信長公の命令によって、こうして家を代表し、関白の命令で死ぬことができる。……これ以上の喜びはない」
五右衛門は言葉を失い、ただ佐々成政を見つめた。
「山田に伝えてくれ」
「…………」
「長年、世話になった、お前だけは生き延びろと」
同年、閏5月14日、佐々成政は法園寺の庭で切腹した。
短刀を腹に突き立て、臓腑を天井に投げつけたその姿は、まるで佐々の名を永遠に刻むかのようだった。
『このごろの 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋 今やぶるなり』
辞世を残し、佐々成政は息絶えた。
信長死後、おのれに取りついた厄、あるいは悪い妄想を入れた鉄鉢袋――肉体を、いま腹を切ってやぶるのだ、という気持ちが込められていた。
空には、雲が静かに流れていた。
豊臣秀吉は、聚楽第の広間にて、佐々成政の死の報を聞いた。
「左様か」
一言だけつぶやき、彼は手にした陣羽織を撫でた。
幾何学的な模様が織り込まれたそれは、追放令よりも前に、バテレンから献上された異国の品だ。天竺の西部で作られたと聞いている。秀吉はそれを愛し、いくつも所有していた。
(弥五郎は、いくさより交易とぬかして、諸大名に文を送っているようじゃな。……交易は儲かる。交易は楽しい。そんなことはわしにも分かっている。誰だってそう思う。だがな)
秀吉の目は、遠くを見るようだった。
陣羽織をなでながら、秀吉は、家を継げたことを喜びながら死んだ佐々成政のことや、佐々成政と対立した肥後の国人のことを考えていた。
(多くのものは、交易による銭よりも、土地と、それに基づく家と、おのれの名誉にこだわるものなのだ。わしもようやく最近、それに気が付いた。
そう、誰だって金銀財宝や銭は欲しい。だがのう、銭などしょせんは一瞬の快楽よ。それに比べて土地は永遠。家も続く限り永遠。名誉もまた、永遠なり。
わかるか、弥五郎。
土地がある限り、家がある限り、歴史が続き、その歴史におのれの名が残る。それはなによりも強い欲望なのだ。銭よりも、さらに強いものなのだ。
弥五郎、汝にはそれが分かっておらん。はるか未来からやってきて、この戦国で銭儲けにいそしんだ汝には――
そして、信長公やわしや徳川家康、また織田の重臣どものような、ものわかりが良く頭がいい連中とばかりつるんできた汝には、土地や家にこだわる、あまたの凡人どもの気持ちが分かっておらんのだ。
誰だって、むろん銭は欲しい。
しかしそれ以上に、多くのひとびとは――土地を欲しがる!
土地を得て、子孫を増やし、家名をあげれば、おのれの名前も永遠に続く!
かつてこの土地を手に入れたご先祖様がいたそうな……この家を興したナニナニ様がいたそうな……子孫たちがこうして話にしてくれる! これはもはや不老不死に等しい願望なのだ。だからこそ、世の多くは、世襲を肯定するのだ!
かつてのわしにはそれが分からなかった。いまだからこそ理解できる、できてしまう。土地に、家に、名前にこだわる者どもの考えを……!
だから……!)
秀吉はひとり、聚楽第で、姿なき弥五郎に語りかける。
陣羽織の模様が、燭の光に揺れていた。
(だから、諸大名は、ひとびとは、汝の交易案にはもうひとつ乗るまい。出兵により朝鮮や明の土地が手に入るならば、それを選ぼうぞ。――なん百年も先の子孫に、かつて朝鮮に攻め入り土地を取ってくれたナニナニ様が、我らの先祖じゃ、と言われるために……)
そして秀吉も、そう言われたくなってきている。
やがて秀頼が生まれる。そしてこの秀頼に、天下を譲りたい。
その未来を想像することが、なによりも――
「楽しい……」
秀吉は天を仰ぎ、うめくようにつぶやいた。
そのころマカオにいる俺こと弥五郎は、マカオの港を見下ろす丘の上で、膝をついていた。
日本から送られてきた手紙に書かれた、佐々成政の死に、絶望的なショックを受けていたのだ。
分かっていた、こうなることは。知っていたはずだ。それなのに。
「なぜだ、なぜ逃げてくれなかった……! 俺自身が肥後にまで迎えにいくべきだった! 俺があまかった……!」
そして五右衛門に頼み、諸大名に送った「いくさより交易」の手紙も、反応がかんばしくない。かつての盟友、前田利家のみが「良き案なり。ゆえに日本に戻ってこい。関白殿下を共に説得しよう」と言ってくるのみだった。
「どうしろと言うんだ……そんなこと……そんなこと……うっ……」
そのとき、俺の背中が急に苦しくなった。
胸ではない。背骨のあたりが急速に――
「ゲホッ……! ゲホ、ゲホッ、ウゲ、ッホ……ォ……!!」
俺は激しくせき込んだ。
マカオの湿気と、成政の死が俺の体を蝕んでいる。それが分かった。
それにしても咳が止まらない。目がチカチカして、かすんでくる。呼吸をするだけで、喉が焼けるように熱い。なんの病気だ……なんの……。
「弥五郎、なんしよるん、そんなところで――弥五郎っ!?」
カンナの声が聞こえた。
ややあって、伊与が、そして仲間たちが集まってくる。
しかし、俺にはもうみんなの声が聴こえなかった。
ちくしょう……。屈してたまるか……。
俺は……こんなことでくじけない……志が……こんなところで果てるものか……!!
俺は死なんぞ!! まだ、死ぬわけには……!!
それから――
豊臣秀吉の天下は、聚楽第を中心に輝きを増していた。
秀吉は全国の支配をさらに固めるため、矢継ぎ早に施策を進めた。
太閤検地により、全国の土地の石高を統一的に把握。あらゆる領地の経済を、秀吉は把握することに成功した。
また長崎は秀吉の直轄地となり、南蛮船の往来を管理する。交易の富は、豊臣政権の財布を膨らませたが、秀吉の目は別の地平を見据えていた。
「海賊どもを黙らせ、交易を整えた。だが、これだけでは足りぬ」
聚楽第の庭で、秀吉は千利休と茶を喫しながら呟いた。
前年に発した海賊停止令は、瀬戸内海の秩序を築き、商人たちの交易を後押しした。
しかし、秀吉の心は、朝鮮、そしてその先の明国へと向かっていた。九州の大名――佐々成政にかわって肥後国を与えた加藤清正、小西行長らに、密かに船と兵の準備を命じていたのだ。
さらに1589年(天正17年)の春。
秀吉は奥州の伊達政宗をおのれの家臣とするために、使者を送った。
政宗は独立心が強く、秀吉の臣従命令を曖昧に受け流していた。秀吉は笑みを浮かべながら家臣に語る。
「伊達め、賢い男だ。だが、わしの天下に逆らう者はおらぬ。いずれやつも、膝を屈する」
この年、秀吉は豊臣姓を忠実な家臣に次々と与えた。
徳川家康、前田利家、毛利輝元らに豊臣姓を与えることで、彼らを『豊臣一門』とした。いわば家族、親戚であるとしたのだ。こうして秀吉は全国の大名たちを束ねた。さらに秀吉は、聚楽第に、大名や公家を招き、絢爛な能や茶の湯を見せて彼らを魅了する。
さらにその裏で秀吉は、なおおのれに臣従しない関東の大名、北条氏への圧力を強めていた。
「関東の北条氏政、氏直め。いつまで孤高を気取るつもりか」
秋、秀吉は北条氏に臣従を求める最後通牒を突きつけた。北条氏が支配する関東八州は、天下統一を考える豊臣政権にとって最大の障壁である。秀吉は徳川家康に命じ、北条との臣従交渉を進めたが、北条氏政のかたくなな態度は変わらない。
「弥五郎がかつて言うておったのう。北条を討伐することで、わしの天下統一はほぼ終わる、と。当たっておるわ。……天下統一という大願のため……」
秀吉の胸に、戦の火種がくすぶり始めた。




