第四十一話 佐々成政の失敗
マカオの港は熱気に満ちていた。
帆船のマストが林立しているその港町で、俺たちは確かに富を築きあげていた。
「あたしが交渉したこの絹、ええ値で売れたっちゃんね! どう思う、弥五郎、さすがやと思わん?」
「思うよ。カンナはいつだってさすがさ」
「それだけじゃないぞ、俊明」
伊与が言った。
「お前の作った武器や道具も、マカオで確かに評判になりはじめている」
毎度おなじみというか、俺はこのマカオでも、火薬の配合を改良したものや、改造した火縄銃、また簡易な望遠鏡などを製造し、これも売れ始めていた。おかげで俺は、マカオ商人たちの間で『奇跡の日本人』なんて呼ばれ始めている。
俺の隣では、玉香が夫のレオンと帳簿を眺めていた。
「ワタシ、思うね、この儲けなら船さえもっと増やせるよ。レオン、どう思う?」
「フネ。フネ、いいね。船、買うヨ。オレ賛成!」
レオンの片言の日本語に皆が笑った。
だが、そんな笑顔の裏で、俺の頭を悩ませるのは秀吉のことだ。
九州を平定した秀吉は史実通り、伴天連追放令を出した。
恐らくこのままいけば、史実通りのルートをあいつは辿る。
「朝鮮出兵……あいつは、やっぱり動き出すつもりだな」
秀頼に会うために。
国益でも私欲でもなく、ただ子に会う未来に進みたい一心。
止めにくい動機だ。
「食い止めるのが難しい」
と同時に、俺の頭にはまた別の史実が浮かんでいた。
佐々成政――俺にとって若いころからの親友。彼の命運がそろそろ尽きるのだ。
九州平定が終わったあと、秀吉は佐々成政に肥後国を与えた。しかし佐々成政はその肥後国の統治に失敗し、秀吉の命令で切腹することになるのだ。
どうしたものか。手紙でも送って、警戒させるか。……最悪、マカオに逃げてこい、とも言えるが、内蔵助(佐々成政)にも家族や家来がいるからな。そうそう逃げてはこれまいが……
「ん、手紙? ……そうか!」
俺は次の瞬間、ひらめいた。
「どうした、俊明」
「やってみたい案が出てきた。藤吉郎が出兵を企んでも、大名や兵が動かなければ意味がない。銭の力で食い止めるんだ」
その夜、俺は家族と仲間を集めて言った。
「俺は日本の諸大名に文を送る。戦争より交易のほうがものすごく儲かる、とな。藤吉郎が朝鮮に兵を出したいと言っても、諸大名がすべてそれに反対し、交易のほうを推せば、外征はとてもできない」
そして俺は、レオンのほうに目を向けて、
「同時に、交易で儲けた金を使って、俺は船を買い、船団を作り編成する。最悪の場合はそれで藤吉郎の出兵を邪魔するんだ。仮に朝鮮出兵がない未来になっても、船は交易に使えるし、買って損はない」
「俊明、悪くない考えだと思うが、しかし文をどうやって送るんだ?」
伊与が、真剣な目で俺を見る。
「問題はそこだ。誰か日本に戻って、各地の大名や有力者に文を届けてくれる奴がいるか?」
すると、次郎兵衛が手を挙げた。
「あっしが日本に一度戻りやしょう。商いは苦手ッスけど、文を送りまくるなら、忍びのあっしにゃもってこいのお役目ッス!」
「うちも行くよ。なにせ商売ばっかりで、このところ役目がねえし」
五右衛門がニヤリと笑う。
「弥五郎を守る役は伊与がいれば充分。商いにはカンナがいる。他の助けも、樹と牛神丸がいれば充分だからね」
「アニキ、商いがどれだけ儲かるか、文に書いてくださいよ。あっしは数字がわからねえけど、戦より商いのほうが儲かるんだってしっかり伝える名文、頼みますぜ」
次郎兵衛の熱意に、俺はうなずいた。
諸大名には、こっそり手紙を届けねばならない。
その役割には確かに、このふたりがうってつけだろう。
「ああ、そうするよ。頼むぜ、二人とも」
そして翌日から、俺は手紙を書きまくった。
「日本中のあらゆる大名や商人に向けて――紙代だけでも馬鹿にならないな。……俺と親しかった前田利家、徳川家康、黒田官兵衛、松下嘉兵衛……博多の神屋さん、島井さんにも送ろう。もちろん佐々成政にも。
それと小一郎――豊臣秀長にも一応な……」
俺は必死になって、手紙の上に、筆を走らせる。
『戦は金と命を食うばかり。交易なら船一隻で銀百貫、絹なら一反で金十貫。俺はマカオでこれを証明した。そっちを選ぶが国家のため、お家のためになにより良し――』
代筆は使わなかった。
俺自身の直筆でこそ、きっと伝わるものがある。
そう思ったからだ。
特に佐々成政には、若いころからの我が友には、長い手紙を書いて送った。
『自分がマカオに逃げたことは、もうあなたなら承知のことだと思う。言い訳はしない。自分と秀吉の行く道が違い始めてしまった。
自分はいまでも秀吉個人に友情を感じているが、彼の天下構想には異議がある。秀吉は天下統一後に朝鮮へと外征を行うつもりである。それを自分は承知できない……。
ところで我が友内蔵助よ、肥後国の統治には苦労をされていると思う……』
俺は、長々と手紙を書いて、彼の説得にかかった。
『――肥後の統治には時間がかかるので、根気よくやられたほうがいいと思う。本当に難しいときは秀吉によく相談してほしい。また、お金が足りないときは自分がなんとしても都合をするし、マカオとの交易も自分が仲介する。くれぐれも、焦らずに、自分と家の未来を大事にしてほしい。最悪の場合はマカオに逃げてきてほしい。自分といっしょに、また、商売をやろうじゃないか……』
「これで内蔵助の命運を、保てたらいいのだが。……頼むぜ、五右衛門」
「承知した。あんたの書いた手紙は確かに諸大名に届ける。……特に佐々内蔵助には、まっさきに届けるさ」
「任せた」
俺は五右衛門の肩を、ぽんと叩いた。
それから――
肥後国の、隈本城にて。
佐々成政は、薄暗い部屋で一通の手紙を手にしていた。
差出人はかつての友、弥五郎だ。
ある夜、ふと気が付けば、この手紙が自分の部屋に置かれてあったのだ。マカオにいるという弥五郎からの長い文だった。
「五右衛門か、次郎兵衛あたりを使ったか」
佐々成政は文を読んだ。
――自分といっしょに、また、商売をやろうじゃないか……。
懐かしい筆跡だ。
若い頃、共に戦った日々が脳裏に浮かぶ。
弥五郎はいつも奇抜なことを考えていた。火薬を改良したり、妙な道具を作ったり。
それにしても、秀吉の下を離れ、マカオで商売に転じたという話は耳にしていたが、まさかこんな手紙を送ってくるとは。
「交易。儲け。……マカオへの逃亡」
弥五郎らしい手紙だ、と思う。
そして友情にも感謝している。
ふと、空想した。……家族や親しい家来だけ率いて、マカオに向かい、そして弥五郎たちと共に商売ができたら、どれほど楽しいか。
昔の自分だったら、間違いなくマカオに向かっていた。
自分は嫡男ではなかった。佐々家のひやめしだった。家のために、という意識がどこか希薄だった。
(あのころならば、弥五郎と共に商いをしていたのだ)
だが。
もういまは、あのころではない。
佐々成政は手紙を畳み、しばらく目を閉じた。
自分にはもう、マカオに行けない理由がある。
それは――
1587年(天正15年)の夏、豊臣政権の主城として、聚楽第が完成の輝きを放つ。
金箔の装飾、広大な庭園、能舞台と茶室を備えたこの城は、秀吉の権力と文化の結晶だった。
秀吉はここで、弟の豊臣秀長と対峙していた。
そのころ、豊臣秀吉は、刀狩りの政策を進めていた。
農民たちによる武装蜂起の可能性をなくすため、そして武器を集めて朝鮮出兵に使うためでもあった。
そして次に、天下一の大茶会である北野大茶会についての準備を進めていた。信長でさえなしえなかった大規模の茶会を開催することで、天下人は秀吉だと、諸大名から商人町人、民衆にまでアピールする必要があったからだ。
秀長は、仕事の話だけを秀吉としていた。
弥五郎から来た交易の手紙は、もちろん見ていた。
だがその中身は、秀吉にすら伝えていない。
(マカオとの交易。まことに魅力的ではある。だが……)
「……それで、小一郎。そろそろ弥五郎から連絡がきたか?」
そのとき秀吉が突然、そんなことを切り出したので、秀長は驚いた。
「ご存じでしたか。弥五郎どのが私に文を送ってきたことを」
「いや、知らなんだ」
「な……」
「だが、やつならばそろそろ、動きを見せるころだと思うてな。弥五郎の考えることなら、だいたい分かるのよ。マカオとの交易をみんなでやろう、戦は天下統一を最後にやめよう。そんなところじゃろう」
「……ご明察の通りで。さすがは兄上……」
「それで小一郎、弥五郎の文をどう思うた」
「いくさよりも交易、まことに結構と存じます。天下統一のあとは、豊臣はより外国と交易をしては」
「汝までそう思うか」
「は……」
「交易、むろん結構。バテレンは追ったが、交易自体までわしは禁じておらぬ。やるのは大いに構わぬ。じゃが、ひとつ足らんな」
「ひとつ、とは……?」
「…………」
秀吉は黙した。
秀長はしばらく沈黙に耐えていたが、やがて、我慢ができなくなり、
「兄上。そろそろ弥五郎どのと仲直りをされては……」
兄と弥五郎の対立と、弥五郎の逃亡。
それは豊臣政権そのものにとっての痛手だった。
「わしはいつでもそのつもりだ。じゃが、あいつがいまのわしを許すまい」
秀吉は天を仰いで、思った。
(弥五郎。交易をエサにして諸大名を釣り、おのれの影響力を高めて、わしの出兵を阻止するつもりか。らしいな。じゃが、その策には大きなしくじりがあるぞ。それがなにか分かるか。分かるまい。小一郎ですら分からなかった……。
……汝は、信長公やわしとばかり、つるんでおったのがよくなかったのう……)
黙り込んだ秀吉に、秀長が怪訝な顔を見せたとき、使者のひとりが飛び込んできて、佐々成政が肥後の統治に失敗したことを伝えてきた。
佐々成政は、成政なりに、国人――肥後の領主や領民たち――たちの不満が渦巻く肥後の地で、懸命に統治を進めていた。
弥五郎の助言を完全に無視したわけではない。
手紙にあった交易の言葉を胸に、国人たちにこう訴えたのだ。
「長崎やマカオとの交易は利益を生む。皆で富を築けるのだ」
だが、国人たちの反応は冷ややかだった。
肥後の国人、隈部親永やその一派は、こう囁き合った。
「交易? ふん、儲けてもけっきょくは佐々が独り占めするだけだろう。俺たちの苦労は水の泡よ」
信頼がなかった。
佐々成政は織田信長の忠臣として名を馳せた男だが、肥後の在地勢力にとっては、どこまでもよそ者に過ぎなかった。秀吉の命によってやってきた新参の大名が、国人たちの心をつかむのは容易ではなかった。
交易案は拒絶され、隈部たちは常に佐々家と敵対的だった。
佐々成政は、なめられてはいけない、とばかりに肥後国を強制的に検地して、肥後の生産高を調べようとした。土地を測り、年貢を定めることで統治を確立しようとした。
だが、それが裏目に出た。
国人たちはそれを佐々成政による搾取としか見なかった。隈部親永が挙兵し、一揆の火種がくすぶり始めた。成政は自らの手で鎮圧を試みたが、戦況は悪化する一方だった。
秀吉は、佐々成政の失敗を聞くと、不愉快そうに眉を曲げ、
「これが佐々内蔵助の限界か。……しかし……。弥五郎、分かるか、汝の失敗、内蔵助の失敗、小一郎の考えの限界、どれも根は同じじゃ。……分かるか……。……小一郎、武将どもを集めい。佐々の尻ぬぐいをしてやろうぞ」




