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第四十話 弥五郎とバテレン追放令

 話は少しだけさかのぼる。


 大坂から九州攻めに向かう途中、秀吉は意外な客を迎えていた。


 足利義昭。室町政権、最後の将軍である。


「公方どの。面を上げられよ」


「はっ……」


 痩せた顔が、秀吉の前に現れた。


「ずいぶん、ご苦労をなされたようじゃのう」


「いえ……」


 かつて、織田信長に――正確に言えば、信長本人よりも秀吉の独断によって都を追放された義昭は、流浪の末に毛利家に庇護されたものの、いまや老いさらばえ、かつての高慢な態度は影を潜めていた。


 秀吉の前に平伏し、義昭はかすれた声で言った。


「関白殿下、かつての非礼をお許しくだされ。私はもはや、生き延びる道を求めるまで」


「もはや、天下に野心はもたれぬか。将軍は続けられぬのか」


「……めっそうもない」


 義昭は、消え入りそうな声で、


「もともと私が対立していたのはあの織田信長のみであり、あなた様とはもとより争う理由もないのでございます。もはや天下も統一されかかっている以上、この国は関白であられるあなた様のものであり、私はただそれに従うのみ」


(よく言う……)


 かつて、義昭が高慢だったのは、信長に対してだけではない。


 当時、木下藤吉郎だった自分にもさんざんな態度をとっていたではないか。


 ――恩は知らず、弱者をいじめ、都を戦火に巻き込んで、主上(皇室)に対する敬意もない。まして戦までヘタクソで、自身に誇りさえもっておらぬ。


 ――公方だからなんじゃ! 織田家や毛利家が手を貸さねば、その日の米にさえありつけぬ男が!!


 当時、自分は足利義昭をこのようにこき下ろし、弥五郎や伊与もいた前で、義昭を追放したわけだが、いまでもその気持ちは消えていない。信長の悪口を言い続けるのも我慢がならなかった。


(こんな男のために、信長公も天下も、このわしも、ずいぶんきりきり舞いさせられたわ。なにが足利じゃ。将軍がなんじゃ。何百年の昔の、尊氏の血を引いておるのが、そんなに偉いか……)


 いっそ、斬ってしまおうか。


 とさえ、秀吉は思った。征夷大将軍の家柄を、農民の自分が斬り捨てることで、世界はいよいよ変化したと民衆は考えるだろう。新しい日ノ本が始まるのだ、と誰もが思うだろう。人心一新のために、ここは――


(……秀頼!)


 ふいに、弥五郎から聞かされた未来と、生まれるであろう我が子の名前が頭をよぎった。


 いけない。どうにも、いけない。秀吉の心は、子供、ということになるとどうにもうまく動かなくなる。


 貧しくてたまらなかった過去、ほとんど記憶にない父親、憎悪しかできなかった継父。あらゆる材料が、秀吉の心をむしばんでしまう。子供がいて、その子供に、幸せな世界を与えてやりたいという気持ちだけが出てきてしまうのだ。この感情だけはどうにも抑えられない。


(世襲とは、そういうものか……)


 秀吉は、軽く首を振り、


「公方どの、よう申された。もはや我らが争う理由なし。過去は水に流そう。わしもまた、総無事令を発したいまの関白として、争いを好まぬ」


「……ははっ! ありがとうございまする!」


 義昭はただ平伏した。


 秀吉はなお、義昭め、と心の中では思っていたが、それでも、もはや彼を処断する気にはならず、わしの邪魔にならぬならそれで良い、という気持ちになっていた。


 この瞬間、決定的に室町幕府は滅亡したのであった。




 1587年の夏。


 マカオの港は湿った熱気と喧騒に満ちていた。


 キュウスケ号の船員たちが商品を荷下ろしする。


「俊明、人が多いな。油断するなよ」


 と、伊与が言った。


「分かってるさ」


 と、俺が返す。


 すると、五右衛門が、


「なにしろ、明は本来、海禁政策を掲げているんだ。交易商同士が揉め事を起こしたって、まず助けてはくれねえぞ」


「それも、分かってるさ」


 明はいまから200年前、朱元璋の時代に『海禁』と呼ばれる海上交易の制限政策を導入している。当時の海賊、すなわち倭寇わこうに対抗するためで、現在においてもその政策は有効だ。


 とはいえ実際には、明の沿岸部では日本やアジア諸国、さらにはヨーロッパの国々との密貿易が盛んで、明国商人も外国に飛び出しては交易をしていたりする。このマカオだって、ポルトガルが進出してきて、国際港として使われているのが実情だ。


 と、そんなことを考えていると、


「連れてきたばい!」


 カンナと次郎兵衛が手を振りながらやってきた。


 カンナたちは、マカオ在住の日本人を通して、ポルトガル商人や明の密貿易者を呼んできてくれたのだ。


「よしよし。まずは銀を売ろう。仕入れてきたものがたくさんあるからな。絶対に売れるぞ」


「それほど銀は売れるか、俊明」


「ああ。ゆうべ、俺もこの時代のマカオや明のことを思い出していたんだが」


 この時期、明は銀不足だ。


 明国はもともと銅銭や紙幣を使っていたが、財政難やインフレでその信用が失われた。そこで銀を決済手段として用いようとしたわけだが、明国内の銀山ではその需要を満たすことができなかった。おりしも大航海時代、南蛮商人までやってきてマカオで交易をするので、余計に銀が足りなくなる。


「そこで日本の銀の出番だ」


 明には、スペイン領アメリカからの銀が流入してるが、まだ需要が追いつかない。ここに日本の銀を持ち込めば、必ず売れる。


「絹もええよ。こちらの方、日本の絹が欲しい、ち言いよる」


 カンナがポルトガル商人を紹介してくれた。


 日本の絹は軽くて高級感があり、明の貴族が欲しがる。俺は笑顔で絹の見本を商人に見せた。彼は案の定、


「高いデスが、品質イイネ」


 と言ってくれた。


 ポルトガル人が銀を差し出す。これはアメリカの銀だ。さて、この銀で売っていいものかどうか――


 俺はカンナと話し合いながら、外国商人との交易にいそしんだ。


 この感覚、本当に久しぶりだ……。


 俺はひとときの間、秀吉との対立や現状の困難さを忘れて、ただ事業にいそしむのであった。




 俺たちはその日だけで、持っていた銀を1割も増やすことができた。


 そんなわけでその夜、港近くの酒場で俺たちはホクホク顔になりながら、蒸し魚や焼いたエビ、イカなどの海産物をほおばっていたわけだが、そのとき、


「あら、やっぱし……!」


 と、聞き覚えのある声が聞こえた。


 振り向くと、確かに覚えのある顔だ。女性だ。……そうだ、確かこの人は……


「玉香!」


「カンナーっ!」


 ふたりの女は、熱く抱き合った。


 そうだ、玉香だ。明国人の商人で、カンナとも友達の。俺も会ったことがあるぞ、思い出した!


「あはは、金色髪なのに日本の服を着た、博多の女商人がいるって聞いたから、まさかと思って来てみたら、やっぱりカンナだ! それに弥五郎たちも! お久しぶり!」


「ああ、久しぶりだな。レオンも元気そうだ」


 玉香の夫であるポルトガル商人のレオンも、そこにいた。


 髪の毛どころか、ひげまで白くなりはじめているが、顔つきは変わらない。レオンは「ドウモ……ドウモ……」と、相変わらず少し怪しい日本語であいさつをしてくれる。


「あたし、玉香と会うの何年ぶりやろ! 嬉しいかねえ!」


「カンナも元気だね!  ワタシも嬉しいよ、こんなところで会えるなんて。ついにマカオまでやってきたのね!?」


「おかげさんでね! あんたも元気で商いやっとるようで、なによりたい!」


 俺たちは再会を喜び合い、そして情報を交換した。


 日本のほうは、秀吉によって九州攻めが行われており、もはや豊臣政権による国内統一は時間の問題である、と。


 いっぽう玉香とレオンも、俺たちに情報をくれた。女真族のヌルハチが現在、明国北東部にて台頭を始めていることや、ヨーロッパにおいてもイギリスが台頭の兆しを見せ始めていること。


「イマはまだ、大きな影響はない。ダケド、いずれはこのあたりにも影響がクルかも」


 と、レオンは言ったが、彼の予想は当たる。


 世界史は今後、スペインよりもイギリスのほうが台頭していき、明国もまた、ヌルハチの作る清王朝にとって代わられていくからだ。


 将来的にはどうなるか。


 俺たちはどうするべきか。


 まだ考えが思いつかないが……。


 とにかく俺たちは、生活の基盤をこのマカオに作り上げ、金や武器などを揃えていくべきだと思う。基本的なことだが、まずはそれが一番だ。


「俺の持ってきた絹や漆器などの商品を、明の富裕層に売りこみたい。マカオ経由ならいけるだろう」


 酒の席も終盤になったころ、俺がそう提案すると、玉香が目を輝かせた。


「イイネ! ワタシ、広州商人のつてがあるよ。手伝うね」


 するとレオンも「ポルトガル、リスボンでジャポンの漆器売れるデスヨ!」と加わる。いい商品さえあれば、利益は必ず出ると信じて、俺たちは明日から、さらに商売に励むことにした。




 翌日から俺たちの動きは加速した。


 日本から持ってきた絹織物は、軽くて丈夫、色も鮮やかだ。


 広州の貴族や富豪が、装飾品や贈り物に欲しがる。漆器も同様だ。明だけでなく、ヨーロッパでも珍重され、ポルトガルでは高値で売れるという。


 俺は玉香に「広州で絹を銀と交換してきてくれないか。値崩れする前にね」と頼み、レオンには「ポルトガルへ戻る商人に向けて、漆器を売ってくれないか」と頼んだ。もちろん、ふたりには手数料として謝礼金を支払う手はずだ。


 商いは実に順調に進んだ。


 日本から持ってきた銀や数々の商品は飛ぶように売れ、あっという間に俺たちは資産を3倍に増やすことができたのだ。


「父上、九州に戻って、また商品を仕入れてきてえよ。こんなに売れるんだからさ」


 と、牛神丸は言ったが、


「しかし、そろそろ藤吉郎による九州平定が完了するころだ。そうなるとキュウスケ号が戻るのは難しいんだ」


 なにか別の方法を用いて、さらなる利益を得たいものだ。


 それだけの金が稼げれば、秀吉による明への出兵を食い止める方法も思いつくかもしれない。


「しかし、時間はもう残り少ないな……」


 俺はマカオの、からりと晴れた空を眺めてつぶやいた。


 秀吉が朝鮮に攻め入るまで、あとたったの5年しかないのだ。




 1587年の初夏――


 豊臣秀吉は、ついに九州平定の戦いを終えた。


 島津義久が降伏し、九州はついにその手中に収まったのだ。


 秀吉は、博多の町に入り、諸大名と対面しつつ、戦乱で荒れ果てた博多の町を復興する事業に着手した。


 九州北部でも名が知れた商都・博多を復興すれば――


(大陸に攻め込むために、兵糧や武器、道具を集めるための拠点として使えるわい)


 秀吉はなお、自身の息子が生まれるための未来にするため、突き進む。




 そんな秀吉の前に、神屋宗湛と島井宗室が現れた。


 すでに長崎から博多に戻ってきていたふたりは、博多からほど近い箱崎の地で、秀吉に謁見した。秀吉はふたりを歓待しつつ、


(この者たちは、弥五郎が未来人であることを知っている)


 と思い、会話の中で探りを入れてみたが、どうもそうではないらしい。


(信長公と弥五郎の間の冗談だと思っているようだ……)


 そう知って、秀吉はなぜかホッとした。

 自分が安心する理由はなにもないはずだが――


 弥五郎の秘密を、神屋たちが知っていたらと思うと、なんとなく面白くなかったのだ。伊与やカンナや、あるいは信長公ならばまだ許容できるのだが。


 そういうわけで秀吉は、神屋宗湛を『筑紫の坊主』と呼んだりして、共に茶を飲み、博多のことを話し合い、打ち溶け合い、また博多の復興について神屋と島井に銭を出す話を取り決めたりもしたのだが、そのときである。神屋宗湛が言った。


「弥五郎どのに、長崎でお会いしましてな」


「なに!? ……弥五郎に!?」


 秀吉はまったく虚を突かれた。


 神屋宗湛は、その反応に逆に驚いて、


「はっ、ははっ。あ、いえ、ま、まさかご存じないとは……とっくに承知のものとばかり……」


「……弥五郎が長崎に? その話を、もうちっと詳しくせい」


「は……」


 神屋宗湛たちは、弥五郎のことを秀吉に話した。


 ついでながら、長崎の現状も合わせて話した。長崎のことを伝えなければ、弥五郎のことも意味不明になるからである。


「弥五郎が……長崎からマカオに……ううむ、前々からマカオに行こうとはしておったが、本当にマカオに行きよったか……弥五郎が……」


 と同時に、長崎がキリスト教・イエズス会の領地となっていることや、日本や諸外国から誘拐された人間や子供が、マカオで奴隷となっている、という情報も秀吉は聞かされた。


 誘拐や人さらい、奴隷の話など、この乱世では珍しくもない。

 しかし秀吉の中でいま、理屈と憤怒と感情が、奇妙な合体を開始していた。


(弥五郎。大樹村。あの悲劇。泰平のために。天下布武。誘拐。人さらい。マカオ。奴隷。子供。……子供までも。キリスト教――弥五郎、弥五郎よ、わしらはあの大樹村の悲劇を防ぐために、天下統一を考えたな? その思いをわしは忘れてはおらんぞ。決して忘れては……)


 秀吉は、目をぎょろりと動かして、神屋宗湛に問うた。


「九州の人さらいやマカオの奴隷については、そのキリスト教が関わっておるか?」


「さ、さてそれは……どうでございましょうか。申し訳ございませぬ、分かりませぬ」


 神屋宗湛は知らなかったが、イエズス会は奴隷制度に反対していた。またポルトガル王も奴隷貿易を禁止していた。だがそのことをまだ秀吉は知らない。秀吉は「よく調べねばなるまい」と小さく言ってから、


「では、次。長崎がキリスト教の領土となっているのは、まことか?」


「それはまことでございます。キリシタン大名の大村様が領地としてお与えになったとかで」


「そうか……異国の神が、我が国に領地をもっておるか……」


 秀吉の中でむくむくと、キリスト教に対する疑心が膨れ上がっていった(そもそも仏教も異国インドの宗教だが、あまりにも日本に土着していたため、そこは秀吉の中では異国のものとして認識されなかった)。


 信長の時代以降、基本的には友好的に接していたキリスト教だが、秀吉はそもそもキリスト教のことをよく知らない自分に気が付いた。


「ただちに、キリシタンについて調べを開始する」


 秀吉は宣言した。


 そして――


 1587年7月、秀吉は、バテレン追放令を出した。




(弥五郎。よいか――)


 バテレン追放令を出した博多の地にて、秀吉はひとり、心の中で弥五郎に語りかけた。


(わしは天下に強烈な政権を築き上げる。大樹村の悲劇が二度と起こらぬような、強いものを。そして……


 その天下を我が子にゆだねる。政権は子供に譲らねば、やはりいまの天下はおさまるまい。……その子供が……生まれないならともかく、生まれると知れば、やはり子供に天下を譲りたくなるものだ。それに、そうしなければ正室のねねも困る。あれには子供がないからな。


 だがわしは足利家とは違うぞ。天下の総大将は我が子孫としても、実際にはそれを支える有能な家臣団が天下の采配を執るようにするのだ。有能な家臣団とは、いまで言えば、弟・小一郎などの羽柴一門、徳川や前田などの有力かつ実直な大名、石田などの有能な役人たちだ。


 それがわしにとっても豊臣氏にとっても日本にとっても、もっとも良いのだ。だから――だから、わしの子が生まれるその瞬間までは、その子が大きくなると分かるその瞬間までは、わしは汝の言った、外征する未来を進むのだ。


 違うか、弥五郎! わしの考えは……わしの思いは……


 弥五郎! 汝はマカオなんぞまで行きおって。どうするつもりじゃ……!!)




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