第三十八話 長崎からマカオへの旅立ち
キュウスケ号が長崎湾に入る。
ちょうど雲がなく、空がまっさおに澄み渡っていた。胸がすくようだ。
「いま、この長崎には神屋さんと島井さんも来ているはずだ。探してみて、会えるなら会う。それと船員も改めて雇用したい。マカオだろうが、南蛮だろうが共にしてくれるような者を」
そして俺は、湾内の一角を指さした。
港内に突き出た岬がある。
岬の上には、屋敷が立ち並んでいた。
「あのあたりが、長崎の港町だろう。水と食料と必要な道具の補給、これは伊与と樹と牛神丸に任せる。さらに、マカオで商いができそうなものがあったら、買い求めてほしい。これはマカオに渡った経験のある五右衛門と次郎兵衛に任せる」
そして俺とカンナは神屋さんたちを探す、というわけだ。
ついでながら、博多商人の末次興善にも会えるなら会いたい。
さて港にキュウスケ号を停泊させると、5人の人間が集まってきて、渡航の目的と、停泊するのであれば停泊料が欲しいという旨を申し出てきたが、その5人のうち、2人は紅い髪をしたポルトガル人であった。
「大坂商人、山田弥五郎。マカオへの商売を行うために一時寄港した」
そう言って俺は、規定の料金を支払った。
彼らはちょっと怪しむふうだったが、「神屋と島井に会いに来た」と言うと、一度、大きくうなずいた。神屋さんたちの名前は長崎でも強力らしい。
さらにカンナの姿を目の当たりにした彼らは、いよいよ国際商人だと思ってくれたようで、キュスウケ号の停泊を許してくれた。
港から市街地に着くと、明らかに外国人が多い。
明国人や朝鮮人も数多く、歩いていた。
店も多く立ち並び、町中に異国の情緒が溢れている。
「長崎はこれほどまでに異国風か。堺以上だな」
伊与が感心する。
俺も、町中を見回しながら、
「もともとここは戦国大名、大村純忠の支配地だったが、いまはキリスト教、イエズス会が支配している町なんだ。大村純忠がキリシタンということもあるが、大村氏が敵と戦うためにポルトガル人の支援を必要としていた、という理由もある」
「なるほどね。ポルトガルに助けてもらう代わりに長崎をイエズス会にあげた、っちゅうわけやね」
「おかげで国際港ってわけさ。……さて、ここからは役割分担だ。みんな、よろしく頼むぜ」
そう言って俺たちはそれぞれの役目を果たすために別れた。
俺とカンナはふたりで、長崎市街を歩き回りながら、神屋さんたちや、あるいは博多商人の末次興善を探しまわる。
すると末次興善の居場所は、ごくあっさりと判明した。
西に稲佐山をのぞむ、長崎市街の一角に、末次興善の構えた大きな屋敷が建っていたのだ。
しかも屋敷の裏口からはひっきりなしに人が出入りしていて、いかに活発に商務が行われているか、分かろうというものだ。
「はあ、思ったより大きな屋敷やね。よう儲けとんしゃあ」
「思い出した。未来の長崎でも、確かこのあたりは興善町というんだが、その名前の由来が末次興善なんだ」
「あんた、そういうことは、はよ思い出さんと! ……参ったねえ、いまのあたしたちじゃ、会ってもらえんのやい?」
「確かに。藤吉郎のお墨付きで来ていたらどうとでもなるが、いまの俺たちは浪人集団みたいなものだからな」
まあ、末次興善と絶対に会わなきゃいけない、ってこともないんだが。
しかしこれほどの屋敷を構えた大物商人、できるなら挨拶だけでもしておけば、あとあと、なにか役に立つかもしれない。
小さな交流が、あとあと大きな商取引に繋がるなんて、よくあったことだからな。
さて……。
「とりあえず、行ってみるか」
「正面からいきなり?」
「ダメでもともと。他に手もない」
俺は末次屋敷の正門に向かい、門番のように立っている老武者ふたりに声をかけた。
「御免いたします」
「はい。なんでござろうな」
「自分は大坂商人、山田弥五郎と申します。こちらは博多商人、蜂楽屋の娘にして、私の妻のカンナ。ふたりでこれより、マカオに向けて商いを興そうとしている者ですが、長崎に立ち寄りましたからには、ぜひ一度、ご高名な末次さまにご挨拶をさせていただきたく、参上いたしました」
「お約束は?」
「いえ、なにも。突然の参上は誠に無礼と存じますが」
「…………」
老武者ふたりは、顔を見合わせた。
ま、この流れだと門前払いは当然なんだが――
「あのう、あたしの父は、若いころ、末次さまといっしょに働いたという話を聞きおよびまして。それでぜひ一度、お目通りだけでも、と思うてきたとですよ」
カンナがそう言うと、老人はひとり「ほう」と目を見開いてから、
「……それでは、いちおう、お取次ぎをいたしましょう。しかし主はいま接客中ですので、遅くなるかもしれません」
「もちろんです。待たせていただきます」
老武者のひとりが、中に入っていった。
俺はそのまま、門前で、まあ一刻(2時間)くらいは待っておくべきかな、などと思っていた。その場に残った老武者は、無言ながら(なんだか、うさんくさいやつらがきたな)という眼差しで俺とカンナを見ていた。
しかし10分も経つと、老武者と共に若い男がやってきて、
「お待たせいたしました。主がお会いになります」
「本当ですか? それはありがたいですが……てっきり追い返されるものかと」
「とんでもございません。かつて織田信長公と商人司を務められた山田弥五郎さまでございましょう、そんな失礼はできませぬ」
「……なぜ、それを?」
「主のところにいま、神屋宗湛さまと島井宗室さまがいらしておりまして」
「ああ、なるほど、それで!」
俺はカンナと顔を見合わせた。
どうやら実に良いタイミングで、末次屋敷にやってこられたらしい。
「金色の美しい髪をされたご婦人連れとなると、それは山田弥五郎どのに間違いない、と神屋さまがおっしゃられて。……いやいや、本当にお待たせいたしました、どうぞ中へ」
「ありがとうございます」
こうして俺とカンナは屋敷に入っていく。
門番だった老武者の(ほほう)という目を見張った顔が、あからさまで、ちょっとおかしかった。
「山田弥五郎どの、ですな。お初にお目にかかります、手前、末次久四郎。諱を興善と申します」
と、腰の低いあいさつをしてくれた末次さんは、しかしカンナのお父さんと一緒に働いたというだけはあって、すでに70歳近い老人だった。俺とカンナも、揃って挨拶をした。末次さんの隣には、久しぶりの神屋さんと島井さん、そして末次さんの息子の末次平蔵さんもいた。
「いや、それにしても、カンナちゃん――こういう呼び方をしてはもういかんと思うが、実に懐かしい。あなたがまだ赤ん坊のころに、わしは抱いたことがあるのだが、当然、覚えてはおらんでしょうな」
「はあ、申し訳なかことです」
「いやいや、あなたがね、ひとつとかふたつとか、そのころの話だから。覚えておらんのも当然ですな。はっはっは……」
末次さんは、明るくも温和な笑い声を出してくれた。
70歳近いとは思えない、よく通る声だった。
さすが、これだけの財を成した方なだけはある。
「山田弥五郎どの。あなたの噂も、この九州までよく届いておりました。裸一貫でのしあがり、織田信長公や関白殿下の覚えもめでたく、いまとなっては天下随一の商人であると」
「いやあ、ははは……。なに、大したことは……」
俺は頭をかいた。
俺と秀吉が対立状態にあることは、まだ長崎には伝わっていないようだ。
なんでも馬鹿正直に打ち明けることはない。……打ち明けた結果、秀吉とああなってしまった俺としては、とにかくいまは慎重に、という心持ちであった。
「そしてこれからは、マカオのほうとも交易をなさりたい、と」
「そういうわけです。助言などいただければ助かります」
「うむ。……」
末次さんは、ちょっと考えたような顔をしてから、
「マカオだけでなく――」
東南アジアの陸海は、明国はもちろん、南蛮方面の商人が多数進出して、表で裏で大変に取引を重ね、あるいは争いを続けている。……と、末次さんは言った。
「ここに切り込んでいくのは容易ではございませんが、しかし手前としては山田どのを歓迎したい。同じ日ノ本の商人同士で連携し、助け合いながら利潤を得ることができますからな」
そして末次さんは、マカオではなにが売れるのか、なにが買えるのか、住むとしたらどのあたりが良いか、現地の風習などはどうか、などを細かく教えてくれた。
「ポルトガル人と交易を行うならば、キリシタンになりなされ。信頼を得るのにはそれがもっとも手早く、確実でございます」
手前もキリシタンで、コスメという洗礼名をいただきました。こちらにいる我が子平蔵(末次政直)もジョアンという洗礼名をもっております、と末次さんは言った。
「もちろん商いだけが理由ではございませんが、ね。争いばかりが続くこの現世に、信じるものが欲しかった。そしてそれは、手前にとっては日ノ本の神仏ではなかった」
末次さんはそう言ったが、これについては、俺はさすがに回答を保留した。末次さんは機敏に空気を感じ取り「まあ、これは余談でございました」と話を変えて、マカオとの交易の話に入った。
ここからはカンナのほうが、マカオに一度行っているだけに話を盛り上げてくれた。
マカオからは生糸、絹織物、砂糖、医薬品、硝石、火薬、鉄砲。さらに明の書物なども、輸入すると売れるそうだ。
逆に日本からは、金や銀、工芸品、陶器、漆器、日本の刀や槍。南蛮と日本の技術が合体した南蛮漆器なども好まれるとのことだ。また、硫黄や干し魚なども需要があるそうだが、
「当然、船に積める量には限界がありますので、なんでも持っていくわけにはいきません。なるべく軽く、たくさん載せられて、そして高く売れるものを商わねば」
「ごもっともです」
小さな商いをしている余裕はない、ということだな。
「商いの決済には、なんといっても銀でございます」
そのとき、神屋さんが言葉を発した。
「銀は万国で通貨としてよく用いられますが、我が国算出の銀は特に好まれます。なにしろ質がよいですからな。銀そのものを売ってもよし、銀を貨幣のごとく使ってもよし。ぜひ山田どのも、マカオに行かれる際には銀を長崎から持ち出しなされ」
すると島井さんが、ニヤニヤ笑って、
「神屋さんは、ご先祖が石見銀山開発に関わった縁で、いまでも銀持ちでおられるからなあ。こうして山田どのにも銀を売りつけようというお考えでしょう」
「わっはっは、ばれましたか」
神屋さんが大笑いした。
そういうことか。まったく油断も隙も無い。しかしあっけらかんとしているので、神屋さんを怒る気にもなれない。俺もまた、馬鹿笑いをすることで場の空気を保ち、
「では神屋さん、ぜひ銀をお譲りください。無論、こちらからも、そう――上方の証文をお譲りいたす」
「ほう、証文。……よろしい、では証文を改めたうえで、銀と交換いたしましょう」
これから海外に行くのだから、国内の借金の証文など俺には不要である。
むしろ回収しそこねて、しまったと思っていたところだ。ここで神屋さんが銀と交換してくれたら、むしろありがたいと言うべきだ。
「証文は俺の船にありますので、いまから取りにいってきます」
「いえいえ、手前のほうから山田どのの船に参りましょうぞ。山田どのの船も見てみとうございますから」
「ならば、私も同行しましょう」
島井さんも、うなずきながら言った。
「分かりました。……では神屋さん、島井さん、港に参りましょうか。末次さん、まだ話もありますが、それについては妻と打ち合わせください。どうもお邪魔いたしました」
「おう、手前としてもカンナちゃんとは話すことがたくさんありますので、それが名案ですな」
「じゃあ弥五郎、こっちは任せてね」
こうして、俺と神屋さんと島井さんは港へ。
カンナは屋敷に残り、末次さんと話を続けることになった。
港へ向かうと、キュウスケ号が停泊している。
その巨大さに、神屋さんと島井さんは揃って目を見張ったが、やがて神屋さんが言った。
「当分、この国には戻ってこられませんか」
突然、そんなことを言われたので、俺はぎくりとした。
「なぜ、そのようなことを?」
「証文と銀を交換したい、ということでしたので、これは当分、日ノ本から離れて商いをするのかと」
「そう。そして関白殿下と一心同体の山田どのが、なぜいま長崎にいるのかもやや不可解で」
島井さんまで、そんなことを言った。
さすが一流の博多商人。俺の動きの不思議さを見逃してはくれないか。
さて、どこまでどう話すか……。
俺は船を見上げたまま、思案してから、
「島井さんは、俺と信長公の話を盗み聞きされていたとか」
「は?」
「……いや、それは」
島井さんが、言葉を失う。
俺は、笑って、
「別に怒っているわけではないのですよ。……ええ、島井さんは、俺が未来から来た、という話を信長公としていることを聞いてしまったのでしょう? 実はそれが、未来という娘を通して、関白殿下にまで伝わってしまった」
「未来? あの娘? あ、ああ、あれは確かに、美女に目がない大友様に乞われて差し上げた女であったが……あの女が関白殿下に、そんな話を……いや、それは……」
島井さんは、ずいぶんあたふたしはじめた。
俺は笑って、あっけにとられている神屋さんのほうをちらりと見てから、
「大したことじゃないんですよ。俺と信長公がちょっとした悪ふざけを話していた。この山田弥五郎が未来人だ、という話を。……それを島井さんがうっかり聞いてしまい、真に受けて、未来という侍女に伝えてしまい、さらにそこから関白殿下へと伝わった。
いやはや、人間の世の中とは話がどんどん広まるようにできている、怖い、怖い。……俺が未来人なわけがない。そんな夢のような……しかし関白殿下とは、理由がそれだけではありませんが、ちょっとケンカをしてしまいましてね。おかげでいまは主流から離れ、マカオ交易、というわけですよ。はっはっは……」
――こうしてごまかすのが、今は恐らく最善だろう。
と、俺は思った。
未来人だなんて話が本当だと思われると、厄介になりそうだからな。
「……なに、俺と関白殿下は若いころからの友。いずれは仲直りもできますよ。いまはお互いの頭を冷やそうという時期でして」
この言葉は、むしろ自分に言い聞かせているような気がした。
「……まあそういうわけで、いまは長崎にいて、これからマカオにいきます。……神屋さんたちとこの町で会えて嬉しかった。これからもどうぞよろしく、お付き合いください」
「は。はは、それは、もちろん……」
「うむ。……いや、これは、どうも……」
神屋さんたちは、どういう顔をしていいのか、困っているようだった。
俺はニッコリ笑って、
「証文をお渡ししましょう。上方……京、堺、坂本、津島などを中心に、10万貫分の証文がありますので」
大坂城の山田屋敷にはもっとたくさんある――250万貫分ほど――のだが、それについては本当にもう未回収だな。
神屋さんは「分かりました」といって、
「では取引を行いましょう。その証文と共に、長崎にある手前の屋敷においでくださいませ。銀をお渡しいたします。……」
こうして俺たちは、長崎で船員や食料を補給し、銀を大量に入手のうえ、工芸品などを商品も仕入れて、マカオに向けていよいよ出航した。
ついに初めての海外だ。
マカオではなにが俺を待ち受けているのか――
緊張と同時に、少々、わくわくもした。
そのころ豊臣軍による九州平定戦が、いよいよ始まろうとしていた。
秀吉は総大将として全軍を指揮する立場にあったが、出陣の前に、前田利家、蒲生氏郷、黒田官兵衛、そして不仲と評判の佐々成政まで呼び出して、命じた。
「汝たちは、山田弥五郎の顔をよう知っておるな」
秀吉は、言った。
「弥五郎は必ず九州のどこかにおる。見つけ出せ。草の根分けても、じゃ。……よいな」




