第三十六話 博多、長崎、そしてマカオへの道
博多の町は、船舶が多く停泊する港町である。
とはいえ、その船は小さいものが多かった。
博多は遠浅なのである。
大型船が乗りつけようとすると、すぐに座礁してしまう。
キュウスケ号もそうだった。とても博多港に直接乗り込むことはできない。
こんなこともあろうかと、俺はキュウスケ号に数人が乗れる小型のボートをふたつ、積み込んでいた。
「まるで元寇だな。博多を攻めにいくようだ」
伊与は笑みを浮かべながら、俺たちの博多上陸をそう表現した。
「あたしにとっては里帰りよ。夢にまで見た博多到着やけんね。何年ぶりかいな」
「カンナは昔、お父さんと船で旅をしていたんだよな?」
「うん。ずいぶん前の話やけん、かなり記憶があいまいになっとるけど」
確かに、カンナは12歳のときに尾張で俺と出会ってから、ずっと一緒だからな。
つまりもう、30年以上、博多に来ていないことになる。
「でも、博多はやっぱりお父さんの土地やけん、印象には残っとうよ。ついに、また来ることができたぁ……」
「俺もぜひカンナをここに連れてきたかったから、感無量だ。さて」
俺は船内をぐるりと見回して、
「まず、俺と伊与とカンナ、それに神砲衆から7人を連れて博多に向かう。そこで食べ物を買い込み、交易の話を進め、あるいは神屋さんたちの居場所を尋ねる。……結果が出たら、ここに戻ってくる。留守は牛神丸と次郎兵衛に任せる」
そして、誘拐同然に同行させてしまったキュウスケ号の乗組員たち。
彼らは、俺たちのボートと、もうひとつのボートにそれぞれ分かれて乗船し、そして博多に上陸してから、そこで別れることになった。
彼らは金銀を受け取ることを、やはりかたくなに断ったが、食料と水だけでも受け取ってくれ、と俺が言ったので、それだけはひとまず受け取ってくれた。
「――さて、こうなると、博多で意地でも船員を雇わないと、キュウスケ号を動かすこともできないわけだ、俺たちは」
俺と伊与とカンナは、小型船で博多に向かいながら、小声でおしゃべりする。
「次のメドが立つまでは、彼らを同行させたほうがよいのではないか?」
「でも、無理矢理連れてきたけんね。これ以上、無理強いはできんよ。……もし船員を雇えんかったら、そのときはみんなで九州に上陸して、ここで生きていけばええやない」
「それもいいが、近いうちに藤吉郎が九州を攻めてくるからな。博多にはあまり長居できないんだ」
もっとも五右衛門が来るまでは、博多に留まらないといけないんだがな。
そのまま一時間ほど経つと、いよいよ博多の町が迫ってきた。
「……これが、博多なん?」
上陸するなり、カンナは呆然としていた。
無理もない。
博多の町は想像よりも、ずっと荒廃しているのだ。
二つの河川に挟まれた町全体が、煤ぼけているというか……
半壊したような建物が建ち並び、道路には焦げた木材やら砕けた岩石やらが転がったままという有様だ。
「嘘やろ……。あたしが昔、来たときは、もっと市場やら屋敷やら、寺やらあって、海辺には教会まで建っとって、小さくても立派な町やったとに」
「俺の知る史実によればだが――博多は何度も、戦国大名同士の争いの場となって、こんなふうに荒廃してしまったんだ。だからこそ、博多商人の神屋さんや島井さんは、一時的に博多から避難し、信長公や藤吉郎に助けを求めて上洛したんだからな。……しかし、こいつは……」
想像以上の荒れっぷりだ。
博多で船員や食料を補給するもくろみだったが、さてどうするか。
「とにかく、町中に向かおう。最低でも食べ物は確保しないとな」
俺たちは上陸した砂浜から、南へ、南へ。
三十分も歩くと、博多の市中とでもいうべきか。
古びた神社の前に、いくつかの屋敷が並び、さらに簡易的な市場が形成されている場所があった。俺は市場のど真ん中で、饅頭を売っている女性に話しかけ、
「人数分、饅頭と水をくれないか。ついでに米や漬物を売ってくれる商人を知っていたら、紹介してくれるとありがたい」
永楽銭を、じゃらり。
一貫文分を見せつけた。
すると女性は「あらまあ、どこから来なさった方かね」とほくほく顔になって、すぐに饅頭を出してくれた。俺はありがたく、饅頭を受け取って「ありがとう。大坂から来た山田弥五郎という」と名乗り、頬張った。
うん、美味い。
しかし市場で饅頭を食べるなんて、ずいぶん久しぶりな気がするな。
「それで、米商人を紹介してほしいとね? 神社の裏にあるとびた屋さんが商っとるはずやけど、一見さんにどれくらい小売してくれるかは、ちょっとわからんねえ」
「それも、そうか。ただ、一見さんではあるが、ここに博多出身の人がひとり、いるんだがね。なんとか博多出身のよしみで米を売ってほしいもんだな」
俺は隣で饅頭を食べるカンナを、女性に紹介した。
「えっへっへ。カンナちいいます。あたしのお父さんが蜂楽屋ち名前で商いばしよったとですけど、もう博多の人は忘れんしゃったろうね~……」
「蜂楽屋? ……なんか、名前を聞いたことがあるよ! あらあら! あんた、博多の女ね? なんね、その髪の色は。南蛮の人かとばかり思うたばってん。……いや、でも蜂楽屋は本当に聞いたことあるよ。とびた屋さんも古い店やけん、行ってみたらいいっちゃなかと?」
「本当に!? 本当に蜂楽屋て知っとるとね! あはは、嬉しか~! うん、ありがとう、それじゃあたし、とびた屋ちゅうところに行ってみるけん! ……弥五郎、行こう!」
「ああ! それにしても、さすが地元だな」
「ふふん、そやろ、そやろ。あたしがおってよかったやろ。ふふふんふん」
「得意満面だな、カンナ」
俺、伊与、カンナの3人は神砲衆を引き連れて、とびた屋とやらへ向かう。
神社の裏には、古い店とはいうものの、真新しい木で建造された店が確かにあった。最近になって再建したのかもしれない。建物の横にある壁の向こうには、高々とそびえ立つ米倉
の屋根が見える。
これがとびた屋だろう。
ちょうど門の中から、若い男が数名出てきたので、俺は「ちょっと、よろしいですか」と声をかけた。
「はい、どちらさんでしょうか」
先頭の男が、怪訝そうな顔を見せる。
「自分は大坂からやってきた、山田弥五郎と申す者です。こちらが米屋を営んでいるとうかがって、やってきたのですが」
「ああ、すみませんが、うちは小売はやっておりません。あしからず……」
おっと。
俺たち、門前払いを食らいかける。
もちろん、ここで引き下がるわけにはいかない。
「すみません、用はもうひとつあるのです。ここにいる女性は俺の妻でカンナといいまして、かつて博多で商いをしていた商人、蜂楽屋の娘でもあります。その娘として、一度、神屋ソウタンさんや島井宗室さんとお会いしたことがありまして……」
「神屋……島井……? えっ、まさかあの神屋さんと島井さん……!?」
男たちは、互いに顔を見合わせる。
「妻はいま、その神屋さんたちを探しているのです。商いの話があって来たのですが、どちらにお住まいか分からなくて。ご存じではありませんかね?」
「急に押しかけてきて、申し訳なかち思います。お米も小売どころやのうて、船に積み込むくらい買うつもりですけん、よろしくお願いします」
カンナは、恐らくわざと、強い博多訛りでしゃべりながら、銀の延べ棒を一本、彼らに見せつけた。それで彼らは、いよいよ俺たちをただ者ではなさそうだと判断したのか「ちょいと、お待ちを!」と短く叫んで、店の奥へと戻っていった。
やがて、五十歳くらいの男が登場した。
「とびた屋でございます」
と、男は名乗り、
「間違いであったら申し訳ないことですが、あなたはもしや、神砲衆の山田弥五郎様でございますか」
「いかにも、自分は神砲衆の山田弥五郎です」
「おお……! 噂はこの博多にも及んでおりますよ。関白殿下の商人司として有名でございますからね!」
ここに来て、いよいよ、先ほどの男たちが瞳を光らせて俺たちのことを見るようになった。うさんくさいよそ者が来たと思ったら、秀吉おつきの有名商人だったとは、という感じだろう。
実際にはもう秀吉から離れてしまっているのだが、ここは知らぬ顔で話を続けたほうが得策だと判断し、俺は「どうも」とだけ答える。――我ながら、狡猾というか、世渡りができるようになってきた、と思う。
「それに、そちらのカンナさんも。……実は手前、もう何十年も前に、カンナさんを遠くからお見かけしたことがございます」
「えっ、本当に!? い、いつのことやろか?」
「蜂楽屋さんが博多から船出をするときに、船に乗り込む金色髪の女の子を遠くから眺めたとです。なにしろ珍しい髪の色でしたけん、いまでもようと覚えております。……ああ、これは失礼! いつまでもこんな立ち話で……。皆さん、よろしければ我が家に入って、おくつろぎください」
そういうわけで、自分自身の名声と、カンナの地元ということで、ひとまず逗留先を見つけることができた俺たちであった。
そしてとびた屋さんの繋がりから米や水、塩、漬物、干物、酒、味噌などを購入した俺たちは、とびた屋さんから人間を借りて、キュウスケ号に運び込んだ。さらにその後、キュウスケ号は、やはりとびた屋さんから船員を借りて、博多の西、筑前志摩のほうに停泊させた。そちらのほうが、海はまだしも深かったからだ。
もちろん、とびた屋さんには金を払った。
ぴかぴかの永楽銭と、小粒の金銀、500貫分。
とびた屋さんは喜んで、「気の済むまで、我が家にご宿泊ください」とまで言ってくれた。俺はありがたく、その厚意を受けたのだが、
「とはいえ、ここは仮の宿だ」
と、俺は仲間たちに言ったうえで、
「五右衛門と合流して、正式な船員を確保次第、出航したほうがいいと思っている。カンナには悪いが、な」
「あたしのことなら気にせんでいいとよ。故郷といっても昔のことやし、こうして一度来ることができて、あたしのことを知っている人に会えただけでも嬉しか。……まあ、欲を言うたら、あと何日かは博多におりたいけれども、ね」
「それくらいの時間はさすがにあるだろう。……それよりも俊明、必要なものを揃えたあと、お前は結局、どうするつもりなんだ? 九州にはあまり長くいられないだろう」
「ああ、藤吉郎が来るからな。……どうするつもりか、と言えば、やはり目的地はあそこしかないと思う」
俺は宣言した。
「マカオだ」
「やはり、そうなりやすか?」
と、船から下りてきた次郎兵衛が言った。
「他に行き先もないだろう。近いうちに日本はすべて藤吉郎のものとなる。となれば逃げる先は限られているし、生活なり交易なりができそうで、しかもカンナたちが行ったことのある場所だ」
俺は、さらに続けて、
「五右衛門と合流し、樹の様子を聞いたうえで、マカオに向かう。そして商売をして力を蓄え、最終的には」
そこで少し考えて、俺は言った。
「その資金力を持って、豊臣政権の海外出兵を阻止する」
「……本気か、父上」
牛神丸は、唖然とした顔だ。
「怖いか、牛神丸」
「ああ、怖いよ。そりゃ怖い。父上、いかになんでもそれは――あの大坂城と10万を超える兵をを有する関白殿下だぜ? その殿下に、たったこれだけの」
と、牛神丸は俺たち全員をぐるりと見回した上で、
「10人かそこらの数で立ち向かおうっていうのかよ。まともじゃねえよ。勝てっこねえって!」
「勝つ必要はないのだぞ、牛神丸」
伊与が落ち着いた声を出す。
「関白が、海外に兵を出すのは無謀である。山田弥五郎に手出しをするのは難しい。……そういう風に思ってくれたら、それでいいわけだ。なにも大坂城を超える必要はない。そういうことだろう? 俊明」
「そういうことだ。さすが伊与。俺の考えを分かってくれた。牛神丸、そういうことだ。……藤吉郎に、朝鮮出兵をやめてもらえば、俺の目的は果たされるのさ」
それが秀吉自身のため、豊臣政権のためでもある。
あいつがそれに気付いてくれたら、それでいいんだ。
「し、しかし、それだけでも無茶じゃねえのか? 俺たちだけで関白をそう思わせるなんて」
「あたしもそう思うよ。無茶やって。でもね、牛神丸」
カンナは、にっこりと笑いながら言った。
「この人は、その無茶を何度もなしとげてきたとよ。だから今度もうまくいく。それができる人やと、あたしは信じとるけん」
「……はあ……。……母上は、父上にべた惚れだな」
「やけん、もう何十年も一緒におろうが」
「私もな」
「それと、あっしも」
伊与と次郎兵衛が、微笑を浮かべる。
みんなの賛同が、俺は嬉しかった。
「……仕方ねえなあ。やるしかねえよな。……父上、仕事、教えてくれよ。俺だってこうなったら、やるべきことはしっかりやるからな」
「ああ、期待しているぜ、牛神丸」
俺は、息子の肩をぽんと叩いた。
さて翌日から、俺はキュウスケ号の乗組員を探し始めたが、博多には外海を航行する力を持った人間が、なかなか見つからなかった。いたとしても、それほどの人材はとっくに然るべき大名や商人が召し抱えてしまっている。
「長崎に向かうのが、よろしいかと存じます」
とびた屋さんが、俺に言ってくれた。
「神屋さまと島井さまも、ちょうどいま、長崎におられると聞きました。マカオに向かう船員を雇うためにも、神屋さまたちとお会いするためにも」
「長崎、か。……そうですね、そのほうがよさそうだ」
そして博多から長崎までを航行するための船員ならば、とびた屋さんが揃えてくれるそうだった。マカオまでは難しいが、長崎ならば近いし、銭なり米なりを払えばやってくれる者がいる、ということだった。
「なにからなにまでお世話になって、感謝します。もうひとり、博多で落ち合う約束の仲間がいますので、その仲間と合流次第、長崎へ向かいます」
俺はそう言って、とびた屋さんに感謝したが、さてその仲間、五右衛門の到着はいつになるだろうか。
そう思いながら、3日が経った。
博多に一艘の船が到着し、その船には五右衛門が乗っていたのだが、五右衛門は博多に現れるなり、
「すまねえ、弥五郎!」
と、それは大きな声で謝罪を始めたのである。
なんだ。
いきなり謝るなんて。
いったい、なにがあったんだ?




