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第三十一話 秀吉、豊臣氏の未来を知る

「教える……」


 秀吉の。

 豊臣氏の。

 未来を、教える、か……。


「話してくれ、弥五郎。わしは知りたい。知る義務もある」


「義務……?」


「わしは関白じゃ。この国の天下人ぞ。日ノ本の天下が間違いのない方角に進むために、未来さきの話は知らねばならんのだ」


「それはそうだが……」


 この期に及んで、俺はまだ、口が重かった。


「なぜ、そこまで語ろうとせぬのだ。それほどまでに、わしの未来は扱いが難しいのか」


「難しいさ。藤吉郎は天下人だ。小さな話でも、ひとつを知ることで天下がどう動くか分からない。……バタフライ・エフェクトが起こりかねない」


「ばたふらい? ……なんじゃ、それは」


「つまり――」


 俺は語った。

 そう、はるか昔、俺が秀吉と出会ったとき。


 俺が危惧したことなんだ。

 バタフライ・エフェクト。

 ささいな動きが、未来を異様なレベルで変えてしまうことをそう言う。


 ――――

 例えば俺が道端になっている柿をひとつ食ったとする。そうしたら、その柿を本来食う予定だった旅人が餓死するかもしれない。で、その旅人の遠い子孫が、のちの西郷隆盛だとか坂本龍馬だとか、そういう有名人だったとしたら――はい、これで歴史は変わりました。


 ささいな動きが歴史を変えるとはそういうことだ。いわゆるバタフライエフェクト。取るに足らない些末な行動ひとつでも、結果はみるみる変わってしまうものなんだ。


 ――――


 俺はかつてこう思った。


 そのバタフライ・エフェクトが起こることを俺は危惧していたのだが、


「それでも構わぬ。喋れ。……しゃべってくれ、弥五郎。ここまで喋っておいて、なにも明かさぬのは殺生ではないか。……信長公や伊与やカンナには喋っておいて、わしには秘密はあまりにも冷たいではないか。のう、弥五郎……!」


「…………。…………」


 俺は、数秒――十数秒間の沈黙を保ち、思案した。

 秀吉の言葉はもっともだ。俺が秀吉の立場でも、未来を教えてくれと頼むだろう。まして、自分が天下人ならばなおのこと――


 そして俺は、そのとき、信じた。

 秀吉の持つ心の強さを。未来を知っても、それが哀しい未来ならば、修正に向かってくれるであろうことを。


「……分かった、語ろう」


「おお!」


「少し、辛い流れになるが……」


 俺は、一度、大きく呼吸をしてから――


 語り始めた。


 これより以後の秀吉は、九州を攻める。九州の島津氏は数か月で敗北し、九州は秀吉のものとなる。その後、関東の北条氏、奥羽の伊達氏も秀吉は下す。その後、陸奥むつ九戸政実くのへまさざねが乱を起こすも、秀吉はすぐに軍をさしむけてこれを討伐。豊臣秀吉による天下統一は、これにて成った――


「おう、そうか! 九州も関東も奥州も、我がものとなるか。良いではないか。結構ではないか!」


 秀吉は上機嫌だった。


 俺は一度、うなずいて、さらに語った。


「家庭的にも……良いことが起きる。……先日、藤吉郎が側室とした茶々さま……彼女が藤吉郎の子を懐妊する」


「……は……!?」


 秀吉はあんぐりと口を開けた。


「身ごもるんだ。……それも、二度。一度目は鶴松という子供で、これは残念ながら早世する。だが二度目の子は、秀頼ひでよりという名前で、これは豊臣の跡継ぎとして、成人するまで生き延びる」


「まことか? ……本当に、本当のことか、それは?」


「本当だ。誓っていい」


「お、お……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 このとき秀吉は、歓喜を爆発させた。


 喜悦が全身から溢れ出ていた。一度、がばっと立ち上がり、天を仰ぐと、深呼吸を五度、六度、七度と繰り返し、両手を握りこぶしとして、体中を震わせ――「我が子が!」――と、吠えくるった。


「我が子ができるか。男子か。我が後継ぎが! わしの……まことにわしの……茶々が産んでくれるか! わ、わしの……わしの……」


 その喜びようがあまりに大きかったので、俺はさすがに面食らった。

 そこまで驚いて、喜びまくるほどのことなのか?


「藤吉郎……」


「ええい、黙れ! 黙ってくれ! ……そうか、わしの息子が……この世に……生まれるのか……ああ……ああぁ……そうかあ、うん、そうかあ……なんという、朗報かぁ……」


「……そこまで喜ぶとは思わなかったよ」


「弥五郎には分かるまい! 分からんのだ、汝には!」


 秀吉はまだ、夢の世界にいるような表情で、


「娘に、息子に、孫までいる汝にはいまのわしの気持ちが分かるまいよ。……子供が……どれだけ欲しかったか……。……我が子を……どれだけこの手で撫でてやりたかったか……」


 そこにいるのは、関白でも天下人でも、あるいは俺が長年付き合ってきた藤吉郎でもない、ただひとりの男だった。


 秀吉は、若いころから世襲を嫌っていた。それは低い身分から成りあがってきたからこそ、心の中に生まれた反発だっただろう。だが、といま俺は思う。


 秀吉の世襲嫌いは、自分に子供がいないからこその劣等感だったのではないか。どれほど出世をしても、継がせる実子がいないという寂しさが、秀吉を本来の性根以上の世襲嫌いにさせてしまったんじゃないか……。


「弥五郎、良き知らせばかりではないか。これほど良い未来ならば、わしは残りの人生、すべて汝の言う通りにするぞ! わっはっは!!」


「はは……」


 俺は微笑を浮かべた。


 そして。


 この未来は黙っておいたほうがいいか? と、思った。


 この未来というのは――秀吉は、その人生の最後期に、甥である豊臣秀次とよとみひでつぐを切腹に追い込む。


 いや秀次だけじゃない。秀次の家族や重臣まで巻き込んでほとんどすべてを殺害し、大量殺人に近いことをしてしまう。


 その理由はよく分からない。一般的には、実子の秀頼に天下を継がせたいから、甥の秀次が邪魔になったから、と言われているが……。


「弥五郎、それでしまいか。わしは天下を統一し、我が子秀頼があとを継ぐ。それでいいのか?」


「……いや……」


 俺は暗い顔をした。


 秀次のことは、またあとにするとして、最後にもうひとつ、どうしても話しておかねばならない未来がある。


「……秀頼が生まれる少し前に、藤吉郎は外国に兵を出すんだ」


「外国? ……なんじゃ、それは……」


「つまり。天下を統一した藤吉郎は、次は明が欲しいと思い、日ノ本中の武将や兵を集め、明に攻め入ろうとする。……豊臣軍はまず朝鮮に上陸し、そして朝鮮軍や、さらに援軍として駆けつけた明軍と戦をするんだ。


 長い戦いが続く。何年も、何年も。……開戦当初はともかく、やがて戦いは泥沼となり、果てなく続く殺し合い。それでも和睦は成立せず……やがて……やがて、藤吉郎が亡くなるまで、戦いは続くんだ……」


「…………なんじゃい、それは……」


 秀吉は、茫然自失とした顔で、


「わしがなぜ、明に攻め入らねばならぬ?」


「分からん。動機は未来でも不明だ。ただいくつか推測はあって……


 例えばキリスト教の勢力がルソンなどの諸国に進出してきており、日ノ本の九州にもキリスト教の教えが広まっていた。九州にはキリスト教が支配する土地まであった。それを知った藤吉郎が、キリスト教勢力、早く言えば南蛮に対するけん制のために明に攻め入ったという説。


 次に、諸将に与える恩賞が足りないという説。……天下を統一した豊臣政権は、功ある家臣に褒美を与えねばならないが、その褒美が不足していたために外国にそれを求めたという説。……明や朝鮮を支配して、その土地を家来に与えようとしたわけだな。


 他にも理由がいろいろと推測されているが、証拠はなにもない。すべて推論だ。……藤吉郎、あえて聞くが、いま藤吉郎に、明に攻め入ろうという意思はあるか?」


「いや……」


 秀吉は首を軽く振って、


「冗談交じりなら、言ったことはある。関白になった直後に、わしが天下を取れば唐天竺まで奪い取ってやろう、とまわりに吹いたが……」


「冗談だった、と?」


「半分はのう。しかし半分は、このわしの強さを周囲に見せつける必要があったからじゃ。秀吉の、明にまで攻め入ろうとするこの強さを、朝廷から諸将にまで見せつけて、このわしに逆らってはならんぞ、という意思を示すがためじゃ」


「では、本気では……」


「ない。……わしは明とむしろ交易がしたい。だからこそ、汝のマカオ交易案に賛同した。船の建造も許したではないか。ポルトガルの大型船も購入を考えたことがあるが、それはあくまでも明との交易を脳に描けばこそ、じゃ」


「ならば、藤吉郎。天下を平定したあとに、明に攻め入るつもりは……朝鮮に兵を出すつもりは……」


「ない」


 秀吉の力強い断言を聞いて、俺は心底ほっとした。


「よ、よかった。それならば……それならば、言うことなしだ!」


「なんじゃ、明に攻め入ることがそんなに汝にとって大事じゃったか?」


「もちろんだ。……豊臣氏が明に攻め入った理由、それはなにか事情があったのかもしれないが、結局のところ、それが理由で――」


「理由で?」


「…………」


 俺は、勇み足だったかと思いつつ、しかしここまで来たらすべてを隠すことはもはや無理だと思い、


「それが――つまり出兵が理由で、豊臣氏の権威や実力は明確に落ちる。そして藤吉郎はすでに亡く、小一郎も病で死んでおり、残されたのは、まだ幼い秀頼のみ。……やがて……秀頼は……つまり豊臣氏は、戦乱の中で滅びることになる……」


「な、なんじゃと!? 滅びる。……この大坂城も、か?」


「……そうだ」


「誰じゃ。誰がそんなことをする。わしが築いたこの古今無双の巨城を攻め落とすなどと、そんなことができる男は……」


「徳川家康さ」


「とっ……」


 秀吉は今日何度目かの絶句を見せて、また何十秒かの濃厚な沈黙を保ったが、やがて、


「……確かに、そんなことができそうな武将は、もはやあの男くらいかもしれんが……。……待て、わしの息子が成人して、その後、大坂城が家康にやれるとなると、あの男、そのとき、年はいくつじゃ」


「家康の年齢か? 75……くらいだったと思うが」


「そんな年齢としまで、よういくさをするわ!」


 秀吉は変なところに感心して、それから、


「……家康はなぜ、我が子を滅ぼす。理由はなんじゃ」


「話すと長くなるが……藤吉郎が死んで数年後には、すでに家康が征夷大将軍となり、関東の江戸に政権を築いている。諸国の大名も家康に従う。だが秀頼だけは従わず……家康も、かなり気長に、秀頼を従わせようとするんだが、ついにそうはならず、いくさとなる。


 豊臣が滅び、やがて徳川の時代が来て……その政権は250年ほど続く、というわけだ」


「250年! ……長い……。……いや、それよりも、……ええい、話があまりにも濃厚で、さすがのわしでも頭のほうが追いつかん! ……諸国の大名の家康に従う? 誰も彼もか? 蜂須賀も竹中も黒田も? 石田も福島も加藤もか!? ……そうじゃ、弥五郎、汝は? 汝や山田家はどうなる!? 汝らも徳川につくのか!?」


「いや、それは……分からん。……俺のことは……俺たちのことは、その後の歴史にまったく伝わっていない」


 石川五右衛門だけは、秀吉によって処刑されるはずだが……。

 そのことも、いまは黙っておいたほうがよさそうだな。


「山田家も、神砲衆も、俺も、伊与もカンナも、未来にはその名が残っていないんだ。伊与だけは歴史書の中に小さく名前が残っていたが……それだけだ。


 まあ、俺はもともと『いなかった』んだろうな。大樹村に俺はいない。あるいは『弥五郎』はいても『山田俊明』は戦国の世にいなかった。だから俺が知る歴史に神砲衆はいないんだ」


「それも妙な話じゃな」


「え……」


「汝がおればこそ、織田家も、信長公も、そしてこのわしも立身したのではないか。汝が、つまり『山田俊明』がいなかったら、この世はどうなる? 織田信長は稲生の戦いか桶狭間で滅び、武田信玄は殺されず、このわしも恐らくどこかの荒野で野垂れ死にじゃと思うが」


「それは……」


「『山田俊明』は、いたのではないか? 汝が知っている歴史の中にも」


「…………」


 秀吉の言葉は不思議な矢となって俺の心に刺さった。


 俺が……戦国時代に、ずっといる?


 俺が知っている歴史の中にも、『山田俊明』はいたのか?


 だとすると、俺の転生は、歴史の中に組み込まれた話だったというのか?


 いや……しかし……


 どうも頭がこんがらがってきた。……気が付けば、もう夜の、午前3時ごろだろうか。ずっと俺たちは話を続けている。


「まあ、よい。……聞きたいことはまだ山ほどあるが。少し疲れてきた……」


「ああ、俺もだ」


 どうやら今夜はひとまずお開き。

 そういう空気になってきた。


「……ちゃんと話ができてよかった。……一番言いにくかったことも、言えたからな」


「わしが明に攻め入るという話か。ふん、しょうもない話よな。なぜわしがそんなことをせねばならんのか。……出兵の話よりも、わしにとっては、子供が生まれるということのほうが、よほど――」


 そのときだった。


 秀吉の顔が、ふいに凍りついた。


 なんだ? ……後ろに誰かいるのかと思って、俺は思わず振り返ったが、誰もいない。室内には俺と秀吉だけだ。


「弥五郎」


 秀吉は、おそろしく冷たい声で、


「改めて、聞きたいことがある」


「……なんだ」


「わしの子が――豊臣秀頼が生まれるのは、何年何月何日じゃ? 分かっている限りでいい。……申せ……」

 


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