第三十一話 秀吉、弥五郎の転生を知る
その日、俺は大坂城内の山田屋敷にて、秀吉から、登城するようにという命令を受けた。
俺は使者に「承知つかまつった」と述べると、屋敷内にいたあかりに、
「茶々さまへのお歳暮を揃えたから、見ておいてくれ」
と頼んだ。
家康が秀吉に臣従する直前に、あの茶々、すなわちのちの淀殿は秀吉の側室となっている。俺としては、年末の歳暮を贈らねばならない。そしてこういう贈り物のこととなると、誰よりもあかりが頼りになる。
「女性への贈り物となると、俺は鈍いからな」
ついでに言うと、伊与は変なものを贈りたがるし、カンナに任せると南蛮由来のこれまた妙なものを贈りたがる。
なんというか、普通の女性であるあかりは、貴重な存在なのだ。
「承知いたしました。では夫と共に確認をしてよろしいですか?」
「うん、任せる」
あかりの夫は、俺とは交流が極めて薄い。
顔を合わせれば、挨拶はもちろんする関係だが。
若いころに結婚をしたふたりは、子供はできなかったが、その分、仲良くやってきていた。
ただ、あかりが俺に雇用されてからは、収入が明らかにあかりのほうが上となったので、旦那さんはもっぱら家のことをやったり、黙って田畑を耕したり、とにかく、黙々と労働
を続けている。……あかりが大坂にやってきてからは、あかりの手伝いをやることも増えてきた。
あかりは子供ができなかったことを、一時期はかなり悩んでいた。この時代の感覚として、子供ができないことは女性側のせいにされることが多かったが、あかりの夫は少なくともそのことはいっさい口に出さず、実家からの離婚要請も拒絶して、ただ、あかりと添い遂げることを選んだ。
立派な男だ。
と、俺は思っている。
愚痴のひとつもこぼさず、弱音も吐かず、ただ仕事と家庭のために生きている――ヨウに見える彼を、俺はひそかに尊敬していた。
と、あかりの家に思いを馳せている場合じゃなかった。
「俺は藤吉郎と会ってくる。伊与たちも、あと半刻(1時間)もすれば仕事から戻ってくるはずだから、そのときは夜食を用意してあげてくれ」
「かしこまりました。では、いってらっしゃいませ」
「ああ、いってくる」
俺は大坂城内へと向かった。
大坂城、天守へと続く、そのひとつ前の部屋に俺はやってきた。
城内にいた小姓に尋ねると、秀吉はここにいる、というのだ。
妙なところにいるものだ。
俺は、天守か、謁見の間か、秀吉個人の部屋のどこかに行くつもりだったが……。
まあ、なにか考えがあるのだろう。
俺はいつも通り、ふところに手製のリボルバーだけを入れたまま、脇差も帯びずに秀吉のところへ向かっていく。
「藤吉郎」
秀吉は、そこにいた。
「来たか、弥五郎」
天守へと続く、中間地点の、物も置かれていない十畳の部屋。
ただ秀吉らしく、柱や天井のあちこちに、金箔が貼られている。
また襖には、当代一流の絵師たちによって竜虎の絵が描かれていた。
そんな場所で、俺と秀吉はただふたり。
「妙なところで話をするんだな」
「まあ、たまには良かろうが。……酒でも飲むか?」
秀吉は、酒が入っているらしい陶器――ひょうたんの型をしている――を右手に掲げた。左手には小皿を持っている。
「珍しい。下戸の藤吉郎が」
「わしとて、飲みたくなるときもあるよ」
秀吉が酒をすすめてくるなど、数十年の付き合いでどれだけあった?
「怖いな……どれだけの話が待っているんだ?」
俺はわざと明るく言いながら、秀吉が差し出してきた酒を小皿に受けて、飲んだ。
「良い酒だ。さすが天下人だな」
「分かるか、この味が」
「いくら俺でもな。分かるよ」
材料と技巧の極地を尽くした、見事な味だった。
「……それで藤吉郎。けっきょく、なんの話なんだ。酒を飲みたいわけじゃないだろう」
「久しぶりに、友とふたりで飲みたいと思っては悪いかのう? ……小六兄ィも、おらんくなって、寂しくなったんじゃから」
「ん。……うん……まあ……」
本当に、飲みたいだけだったのか。
そういう夜もある。俺の考えすぎだったのか?
「いや、確かにそうだ。藤吉郎の言う通り、人がずいぶん亡くなった」
「そうさの。……羽柴秀勝、滝川一益……丹羽長秀、織田信孝、織田信忠に柴田勝家、明智光秀……ここ数年で知っている人間がぐっと死んだ。死にすぎた。……わしが殺した者もおるが、のう……」
「藤吉郎の口から、久助や柴田さんの名前が出てくるとはな……」
「そういう夜もあるのよ。……そして、信長公……」
「…………」
「わしは、あの方との天下を、どうしても見たかった……なんであんなことになったのか、いまでも……思い出すだけで、涙が溢れそうになる」
「……言うな……いまさら……」
それは俺にとって痛恨の過去だ。
けっきょく、俺は信長公を守れなかった。
未来を知っていながら、変えられなかった。
後悔しきりだ。
信長公さえ生きていれば、死なずに済んだ命もたくさんあるのに――
「…………」
しかし、それにしたって今日の秀吉は暗い。
暗すぎる。いったい、なにがあったんだ。やはり今夜は、なにかがある。
「藤吉郎――」
「未来と会った」
「……なに?」
「飯尾家の、未来だ。覚えておろうが。汝を愛し、またつけ狙っていたが、わしが逃がした女じゃ。……あれがまた現れて……いまは、この城の座敷牢に閉じ込めておる」
「な、み、未来がか!?」
この広い大坂城内だ。
どこかに閉じ込められていても、確かに分からないだろうが……。
「その未来が、妙なことを口走りおる。じゃからわしは、狂女としてあの女を捕まえた」
「妙なこと……?」
「未来は、これまで九州におったそうじゃ。そのとき、あの島井宗室ら博多商人が話しているのを聞いたそうな。……すなわち」
秀吉は、声を低くして、
「信長公と汝が、話をしていた。その話の内容は、……汝が……弥五郎が、はるか未来の世界からやってきたもの、ということだった、と……」
雷が鳴る音が聞こえた。
こんなに寒い時期なのに、大坂城の中にいるのに。
どこからか、雷鳴のほとばしる音が――
「なあ、妙な話じゃろうが。大樹村の弥五郎が、どうして遠い未来の時代から来た人間であるものか。……わしは、汝の両親も、幼なじみの伊与も、齢十二のときから知っておるんじゃ。じゃから、そんなものは未来の妄想か、あるいは博多商人どもの
聞き間違えじゃと思う。わっはっは、汝もそう思うじゃろうが、弥五郎? ん? ……」
「………………」
俺は絶句して、なにも言えない。
秀吉は、にやにやと笑っていたが――
俺には分かる。
この笑顔は、油断していない顔なのだ、と。
数十年来の、相棒なのだから。
分かるのだ。
「わっはっは……」
「…………」
「……で、どうなんじゃ」
秀吉は、ニコニコ笑いながら、
「汝の口からちゃんと聞きたい。汝、山田弥五郎は未来から来た人間か、否か? ……言っておくが、わしらの間に隠し事はなしじゃぞ」
「………………」
「答えよ、弥五郎。…………答えてくれ…………!」
俺は――
この瞬間が、何より怖かった。
自分が未来から来た転生者であることが、誰かに露見する瞬間。
これまでにも、自分が未来人であることは、何度か打ち明けてきたが、慣れることなどまったくなかった。
まして今回は、最大の相棒であり、いまや天下人でもある豊臣秀吉に話そうとしている。もう、ごまかすことはできない。隠し事もできない。……未来。……信長公。……博多商人。……このラインから俺のことが秀吉に伝わるとは。――けれども、もう、喋るしかない。
秀吉なら、きっと、分かってくれる。
信長公や、伊与たちが分かってくれたように。
「藤吉郎。……俺は、未来人だ……」
「…………!……」
「いまから400年以上も先の時代から、やってきた。……そのときの名前は山田俊明。……ある日、雷に打たれて、気がついたら、この時代の少年、弥五郎になっていた。……だから俺は、弥五郎でもあり山田俊明でもある……」
「なん……と」
秀吉は、絶句していた。
「……はるか未来から……時の彼方からやってきたのが、汝と……?」
「そうだ。……俺が作った数々の武器、知っていたあまたの歴史。それは俺が……未来から来た人間だからなんだ」
「……そういうことか。……昔、汝は、大樹村の牛松とは別に親がおると言っておったが……山田俊明という名前はどこから来たのか、まるで分からなかったが……そういうことじゃったのか……汝は、汝は、未来……別の時代から……やってきて――」
「すまなかった。ずっと隠していて――本当にすまなかった!!」
俺はその場で、土下座して詫びた。
何十年来の親友に、隠し事をしていた。
これはやはり罪なのだ。俺はただ、頭を下げ続けた。
「……弥五郎……」
「もっと早くに話すべきだった。本当に……すまない……」
「…………」
秀吉は、視線をずいぶんの間、彷徨わせてから、
「……なぜ、こんなにも長い間、黙っていた……。……もしここでわしが尋ねなかったら……死ぬまで隠していたのか……?」
「……未来から来た、などという話、いくら藤吉郎でも信じてもらえるかどうか、怖かった。それに……藤吉郎は、歴史に影響のある人物だ。のちに織田家の重臣となり、また天下人になることが分かっていた。だからうかつなことを言えば、未来が変わるかもしれないと思うと、それも怖かった。
……藤吉郎に聞かれなかったら、答えなかったかというと……。……答えなかったと思う。一生の秘密にして……墓の下まで……」
「水くさいではないか! あまりにも! 汝とわしは、何年、何十年、共に艱難辛苦を乗り越えて、戦い抜いてきたというのに――」
「すまん!」
「弥五郎!」
「すまない……!!」
秀吉が、明らかに混乱し、悲しんでいるのが伝わってくる。
それは歴史が変わるとか、俺が未来人だからというのではなく、……親友が、ずっと自分に対して、本当の自分を見せていなかったのだという、哀しみ。
「……他は、だれじゃ……」
「なに……?」
「他に、汝が未来から来た人間だと知っている者は……? 他に誰がおる。……信長公はご存じだったのじゃろうが」
「ああ。……信長公と……竹中半兵衛は、気付いていた。俺が話したんじゃない。思案の末に、たどり着いた結論だったようだ」
「半兵衛か……あの男の知恵ならば、できるやもしれんな。……他には」
「伊与、カンナ。……あかり、五右衛門、次郎兵衛……」
「5人もか」
秀吉は、かぶりを振って、
「伊与やカンナはともかく、五右衛門まで……このわしは、そやつらよりも後回しか……」
「……影響が、本当に怖かったんだ。いまでも怖い。……関白、豊臣秀吉……その名ははるか400年以上先の未来にも伝わっているんだ。戦国一の出世頭。百姓から天下人に成り上がった希代の英雄。……藤吉郎が未来を知れば、未来があまりにも変わりすぎる。伊与やカンナとは比べものにならない」
「それほどまでにか? しかし、ならばなぜ信長公にはお話ししたのだ」
「その死を、防ぎたかった」
「む」
「信長公が明智光秀に殺されることは、分かっていた。だから俺は、どうするべきか悩んだ。……明智光秀と俺は、馬が合わなかったが……それでも、一緒に戦ったことがある。救われたこともある。そんな光秀を相手に、どうするべきか悩み、けっきょく信長公にすべてを打ち明けて、共に対策を練ったんだ」
「しかし……信長公は……」
「そう。……俺はけっきょく守れなかった……信長公を」
「汝がついていながら、か。未来を知っていながら、あの方を……!」
「力不足だった。すまない。俺にはあれ以上、できなかった!」
「馬鹿者! 信長公じゃぞ! 信長公……。……ああぁ……もどかしい! 弥五郎、汝は……いや信長公も、優しすぎるわ! 甘すぎる! 明智にやられると分かっていながら、なぜもっと早く明智を殺さなかったか!? 甘い、甘い、甘すぎるわ! 信長公は……なぜそこまで甘かったのじゃぁ……」
秀吉は、ぼろぼろと涙をこぼしはじめた。
大粒が、畳の上に、ぼたり、ぼたり……後悔しきりの感情そのものが、乱れ落ちていく。
「藤吉郎」
「ええい! ええい! ……聞きたいことなど山ほどあるが……ええぇい! ああ、あぁ、信長公……!! なぜお亡くなりになったのか! 生きてさえいてくれたら、三七(織田信孝)を殺さずともよかった。柴田勝家も、他の兵も、無駄な死を遂げずに済んだものを!
弥五郎よ、もっと、もっとわしに早く話してくれていれば、いくらでも……なんとでもしたものを……弥五郎よ……!!」
「……すまない……」
「すまない、は聞き飽きたわ! ……くぅ……」
信長公を救えなかったことが、秀吉にとっては本当に痛恨だったらしく、何度も何度も畳を殴っては、咆哮を繰り返した。
10分……
いや、15分は咆哮を繰り返していた秀吉だが。
やがて、ゆっくりと顔を上げて……瞳の奥を光らせながら、
「……それで……?」
「……それで、とは」
「……わしはどうなる……?」
秀吉は、腹の底からうなりをあげるような、獣みたいな低い声で尋ねてきた。俺は、思わず肝が冷えた。
「わしがいつ死ぬか。……いや、わしがこれから先、なにをするのか。死ぬまでになにを成し遂げるのか、弥五郎、未来から来た人間ならばそれを知っておろうが。……それを教えてくれ……。……わしは……知りたい。このわしと、豊臣氏の未来を……」




