第二十七話 カンナのマカオ冒険譚
羽柴家と徳川家の和解ムードは、急速に進みつつあった。
両家の間を、使者が何度も行き交いする。
その使者を主に務めている人物のひとりが松下嘉兵衛だった。
身分こそ、あまり高くはない。だが秀吉とも、山田俊明とも若いころから交流がある嘉兵衛は、この役割にうってつけで、酒井忠次らの命令を受けて、何度も浜松と大坂を往復していた。
そんな嘉兵衛。
ある日、大坂城内で一仕事を終えたあと、さあ浜松に戻ろうかというときに、妙な声を聞いた。
(女の声……?)
確かに聞いた。
なにかを呪うような、悲鳴にも似た絶望の声音。
(怨霊? まさか。だが、どこかで聞いたような)
嘉兵衛は、たまたま通りがかった若い侍を捕まえて、尋ねてみた。
「いま、奇妙な声が聞こえた気がしたが、あれはなにかね?」
「はっ、それがしも噂しか知りませぬが、あれはおかしな女が城内の座敷牢に入れられておるそうで」
「座敷牢? この大坂城にはあまり似つかわしくない……」
「関白殿下じきじきのご命令だそうで。胡乱なことを日々叫ぶ女だったので、捕らえておけ、と」
「追放でも、斬るわけでもなく、捕らえるとは」
嘉兵衛はその処分の奇妙さに首をひねった。
(藤吉郎。なにを考えている?)
尋ねたくなった。
しかし、尋ねるには勇気が要る。
いまの関白秀吉には、いくら嘉兵衛といっても、つまらない質問はできないものだ。
(弥五郎を通じてなら、聞けるかもしれない。今度、聞いてみるか)
そう思いながら嘉兵衛は、若侍に礼を言って話を切り上げ、大坂を発った。
1586年(天正14年)9月1日。
俺は、伊与とふたりで堺にいた。
少し、複雑な気持ちで町を眺めていた。
堺の壕が埋められ始めていたのである。
「なぜ、壕を埋めるのだ。壕があればこその堺という気がするのだがな」
「戦乱の世だったからこそ、壕は必要だった。だがもはや戦は終わろうとしている。だから壕は埋めてよい、との理屈だが」
と、俺は語ったが、
「実際は、堺の自治を奪い、大坂に商いの利益を集中させたいという藤吉郎の狙いだろう」
「会合衆はそれでいいのだろうか」
「いいもなにも、いまの藤吉郎には逆らえないさ。……千利休も裏で糸を引いている。時代はいよいよ藤吉郎のものだ」
「他人事みたいに言うな。壕の埋め立ては俊明も賛成したのだろう」
「したさ。羽柴家に富が集中したほうが、商いとまつりごとの効率がよくなるからな。そして」
「そして?」
「富はあとひとつ。大きなものが。……恐らく、もう少しだと思うが……」
「なんだ、それは。思わせぶりにつぶやいていないで、教えろ」
伊与は口を尖らせていたが、俺は馬にヒョイと飛び乗って、大坂に向かい始めた。
伊与も、騎乗してついてくる。
ややあって。
大坂城に到着すると、まさにいま、俺が言っていた『大きなもの』が待っていた。
「弥五郎っ! 伊与っ!」
「カンナ!」
大坂城の門前に、カンナがいた。
その隣には五右衛門と次郎兵衛、それにマカオについていった神砲衆の連中もいる。
「帰ってきたな、カンナ!」
「もっちろん。蜂楽屋カンナ、堂々の帰国たい!」
カンナは相変わらずの、爛漫な笑顔を見せてくれた。
「そう、蜂須賀さんが亡くなったん。……残念やったね」
山田屋敷に入るなり、蜂須賀小六の訃報を聞いたカンナは悲しそうにしていた。
「あとで蜂須賀さんの屋敷に行きたいな」
「蜂須賀家はいま阿波国だ。大坂の蜂須賀屋敷に行っても、留守居の者しかいないぞ」
「そうかあ、それもそうよね。残念。……やったらあたし、ここでひとり、冥福を祈るとよ」
カンナはうなだれて、目を閉じた。
次郎兵衛も、五右衛門も、揃って沈んだ顔を見せたが。
ややあって、
「それで――マカオはどうだった?」
と、俺が尋ねると、カンナは顔を上げて、わずかに笑ってから、
「うん、凄かったよ。あちこちの国の船や人がやってきて、大きな商いばしよる。特にポルトガル人がたっくさんおってねえ。儲け話はないかって血眼でマカオの町中をうろつきよるばい」
「マカオに上陸した最初のうちは、カンナが目立ってなあ」
五右衛門がにやにやしながら言った。
「マカオにゃ、どこから流れてきたのか、金髪碧眼の女もそこそこいたが、カンナはそれで日ノ本の着物を着てるもんだから、妙な女だと地元の連中にからまれたんだ」
「五右衛門のアネゴが、連中を次々と投げ飛ばすもんだから、また大騒ぎになって、えらいことだったッスよ。関白殿下や堺衆と知り合いだと分かって、ようやくちょっと落ち着きましたがねえ」
次郎兵衛も苦笑いを浮かべた。
カンナたちのマカオ行きは、なかなかの冒険譚となったらしい。
「ま、そのへんは笑い話なんやけれどね。……そろそろ真面目な話をするばい?」
ここでカンナは、少し真顔になって、
「結論から言えば、マカオは日ノ本の製品をかなり欲しがっとる。ポルトガル人は絹や反物、工芸品などを求めていて、次に明国人が欲しがったのは日ノ本産の銀が第一。第二は火縄銃や槍、刀などの武器。……特に弥五郎が作った連装銃やらリボルバーやらを見て、目を輝かせよったとよ」
「ポルトガル人のほうは分かるが、明国人がなぜ銀や武器を欲しがる?」
「いや、分かるぜ、カンナ。それはモンゴルが関係しているな?」
「大当たり! さすがは弥五郎やね。歴史に詳しい」
カンナが褒めてくれたので、俺はちょっと得意になって微笑んだ。
どういうことだ、と伊与が怪訝顔をしているので、俺は話し始めた。
「そもそも明は、外国との交易を国家体制として禁じている。いわゆる鎖国体制に近い。……外国人が明に頭を下げて『貢ぎ物を持ってきました』と言って物品を持ってきたときのみ『ではその恩恵として下賜品を与えよう』という態度で明の品物を渡すという、いわゆる朝貢貿易のみが認められていた。……だから、明は国営交易だけを行い、一般の商人が外国と交易を行うことは、まったく認められていなかった」
「……ふむ。それで?」
「ところが数十年前から、モンゴルのアルタン・ハンが明の北方を脅かし始めた。明は、モンゴルに備えるために、軍備を整え始めた。となると当然、金が要り、武器がいる」
「なるほど。そのための銀であり、武器か!」
伊与は合点がいった顔をした。
俺とカンナは、うなずいた。
「明国は金銀や武器を得るために、マカオを外国に向けて開いた。そこにポルトガル人がやってきて、さまざまなものを交易し始めた。金銀、香辛料、火薬、爆薬、火縄銃……。やがて日本人もやってきて、交易を始めた。一般の商人は儲けるためだが、明国そのものも、それを必要としていたわけだ」
だから、だ。
1557年、ポルトガルは明から、マカオの永久居留権を獲得している。
このために、ポルトガル人は明王朝に多額の賄賂を送ったともされている。
ポルトガル人はマカオで交易がしたい。
だが明もまた、結局は外国人との大きな交易を求めていたわけだ。
「けれども日ノ本はこれまで戦国乱世。大規模に、商人がやってくることは難しかったらしいとよ。……だからこそ、ここが商機ばい。藤吉郎さんに頼んで銀をかき集め、弥五郎が作った武器を持ち込めば、そらあでっかい儲けになるばい! それだけやない、日ノ本の銀を大量に持ち込んで、マカオの基軸通貨とすれば、銭の面からもマカオを支配できるも同然!」
「気宇壮大なことを言うな、カンナ!」
「そら、こんな機会は二度となかもん。いまのあたしたちやけんこそ、できるとよ。羽柴家が管理しとる銀山から産出される銀は膨大。弥五郎は藤吉郎さんと永遠の盟友。弥五郎さえやると言えば藤吉郎さんは必ず協力してくれる。羽柴家の銀を弥五郎が用いれば、商売の町マカオはすぐに神砲衆のものとできるばい。どうね!?」
「……悪くない。いや、それどころか、素晴らしい……」
カンナの言う通り、秀吉の持つ財力を持ってすれば、恐らくマカオに食い込んでいくことは可能だろう。そうすれば莫大な銭になる。秀吉の天下統一を助けられる。
それに――と俺は思う。
天下統一のあとのことに思いを馳せる。
武士や足軽、雑兵は、戦いが終われば一種の失業状態になる。だが、国際交易業を大きくしておけば、失業者の雇用対策としても使えるのではないか。
そうしておけば、秀吉の晩年に行った、最大の愚行とされる唐入り。いわゆる朝鮮出兵についても、また違う未来となるかもしれない。
だが……。
「ここでいきなりマカオに俺たちが乗り込んで銭をばらまけば、明国人やポルトガル人のメンツを潰すことにならないか?」
そうすれば、要らぬ争いが巻き起こるかもしれない。
だが、カンナはニヤニヤ笑って、
「大丈夫。そんな心配もされると思うて、すでにマカオに進出している日ノ本の商人にも話をしておいたよ。いきなり神砲衆が出ていくのではなく、既存の日ノ本商人に出資して、あるいは商品や金銀を提供することで勢力を伸ばしていくとよ。これなら、新入りが突然大きな顔をしたようにはならんやろ。
それと、もうひとつ。あたしには明国人とポルトガル人の知り合いがいる」
「……ああ! 昔、堺で会った玉香とレオンというあの二人!」
「そう! あの二人とも今回、実は再会できたとよ! 本当に久しぶりやったけれどねえ。二人とも、交易のために、あたしたちとの友情のために、神砲衆のマカオ進出に協力してくれるち約束してくれたばい」
「おお……! なるほど、それなら……!」
俺は笑みをこぼした。
「いけるな。マカオ進出。大いにやろうじゃないか。よし、藤吉郎に相談しよう。あいつのことだ、きっと手を挙げて賛成してくれるさ!」
次の行動が見えてきた。
マカオ上陸。そして国際交易だ。
それも、かつてない規模で――羽柴家の銀を用いて、一気に進出する。いけるぞ!
俺はカンナと共に、大はしゃぎを始めた。
そのときだった。
「山田さま!」
あかりの声がしたので、俺たちはいっせいに振り向いた。
あかりが部屋に飛び込んできた。血相を変えている。
「滝川さまの容態が急変しました。命が危ない、ということです」
「久助が!? ……そうか、分かった」
「俊明、すぐに行こう」
「あたしも行くばい、もちろん。滝川さんとはあたしだって、海老原村以来の付き合いなんやけんね!」
盟友、滝川一益の死が間近に迫る。
俺はみんなと一緒に、久助のところへと急ぐことにした。




