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第一話 長篠の戦い

「いつもながら、実に手回しのいいことだ」


「恐れ入ります」


 織田信長から貰った賞賛の言葉を受けて、俺は平伏した。

 天正3年(1575年)5月15日。場所は、三河国岡崎城内。

 城内の一室にいるのは、信長と家康と、それにこの俺だけである。


 ……約20年前、商人としておとずれ、鳥居忠吉と交流し、石原甚兵衛をやりこめた場所だが、時は流れ、城内の様子も様変わりしている。鳥居さんはすでに故人であり、なにより感慨にふけっている暇もなかった。


 いくさが、始まろうとしているからだ。

 相手は、武田信玄のあとを継いだ武田勝頼たけだかつより――




 いまから4日前、武田勝頼は、織田家の同盟相手である徳川家の長篠城を包囲した。

 これを見捨ててはおけぬと、家康は軍を編成。さらに同盟軍である信長にも救援を要請。

 信長は了承した。ただちに軍を編成して、三河国へと向かったのだ。


 その織田軍の中に、俺が率いる神砲衆100名もいる。

 神砲衆は、信長の命令を受けて、連装銃3000と、さらに銃に使うための弾丸と火薬を用意している。


 信長が俺のことを「実に手回しのいい」と褒めたのは、まさにこのことだった。

 出陣を決意した信長が、岐阜城内において「山田、いますぐに用意できる鉄砲はいかほどか」と問いかけてきたとき、俺は即座に答えた。


 3000、と。




「鉄砲を用いて武田軍を打ち破ることは、この信長、つねづね考えていたことであった。だがそれも、山田の作った数々の変わり鉄砲と、神砲衆の調達能力あればこそ。山田の才にはいつも驚かされる。……のう、三河殿?」


「左様。このオレも、わらべのころにあのパームピストルを見たときから、この山田弥五郎は見事な男だと思っておりました。……しかしこれほどまでとは」


 岡崎城に運び込まれた、猛烈な量の連装銃と弾薬たまぐすりを目の当たりにして、信長と家康はただ感嘆、俺のことを激賞している。


 言うまでもなく、俺は未来の知識により、今回の戦いが起きることを知っていた。

 天正3年(1575年)5月には、武田勝頼を倒すための戦いが起きる。

 武田軍を倒すためには鉄砲が大量に必要となる。


 鉄砲といえば、俺だ。

 俺は商いを繰り返して銭を稼ぎ、連装銃や弾丸を作り、火薬を調達しておいた。

 その準備が、確かに生きた。……長篠の戦いは、5月18日に起きるはずだ。その戦いにおいて、織田・徳川連合軍は鉄砲を使って武田勝頼軍を撃破する。


 そうなるはずだ。


「申し上げます」


 そのとき部屋の外から、声がした。


「その声は与七郎か。入れ入れ」


 家康がそう答えると、部屋の中に無表情な男が入ってきた。

 見覚えがある。このひとは、……与七郎、というと……


「出陣の準備が整いました」


「よし。それでは参りましょうぞ、織田殿」


「うむ」


 信長と家康が、部屋の外に出ようとする。

 部屋の入り口にいた、与七郎と呼ばれた男は、俺を見て、口の端を上げた。

 そうだ、このひとは石川数正! ずいぶん昔、そう家康と初めて会ったときに駿府で顔を合わせたぞ。


「お久しゅうござる、山田どの。立身されたようで何よりです」


「いえ。……石川さんもお変わりなく」


 俺は目を細めた。

 あれから20年は経っているのに、石川さんはあまり当時と変わっていないように見える。

 こういうひとっているよな。見た目があまり老けないひと。少し羨ましい。俺は今年で満年齢でいえば36歳になるが、ずいぶんヒゲが濃くなってきた。伊与は「そのほうが男らしくていい」なんて言ってくれるんだが……。


「与七郎、山田弥五郎。旧交を温めるのはあとにしな。オレたちは長篠に急ぐんだ」


 家康が、早口で言った。

 徳川方の長篠城を救うために、一刻も早く出陣したいようだ。

 そうだ、石川さんと話をするのは後日でもいい。いまは急ぐべきだ。


「皆の者、出るぞ。長篠城を包囲している武田勝頼を叩く!!」


 信長の高い声が、あたりに響いた。

 いわゆる『長篠の戦い』が始まろうとしていた。



 織田・徳川連合軍は合計38000と称して、長篠城に向かった。

 もっとも連合軍の数は、実際にはその半分、19000人といったところだった。

 つまりハッタリである。


 19000の連合軍は、長篠城を包んでいる武田軍を、さらに包み込むように布陣した。

 柵や土塁を用いて、少しずつ、少しずつ武田軍に接近していく。

 と同時に、連合軍は別働隊を作り、武田軍の一部を奇襲してこれを壊滅させる手柄を立てた。


 こうなると武田軍は、連合軍を打ち破るために、決戦を挑もうとしてきた。

 武田側は、公称18000の軍を率いていたが、「実数は6000ほど」というのが信長と家康の見立てであった。数はそう多くない。このまま連合軍に包囲されては敗北するしかない。戦うしか道はなかったわけだ。


 武田軍は、連合軍に戦いを挑んできた。

 織田・徳川連合軍は、それを迎え撃った。




 さて。

 連合軍と武田軍の戦いだが、俺はこの戦いの前線に出ていない。


 織田家は、この戦いに、織田信長本人や、信長の嫡男織田信忠のほか、柴田勝家、丹羽長秀、佐久間信盛、前田利家、滝川一益、佐々成政などそうそうたる顔ぶれを揃えて武田軍と戦っている。


 だが俺と神砲衆は、織田軍の後方に配置されていた。

 それも、羽柴秀吉率いる羽柴軍と共に。


 理由は明快。

 予備の弾丸や火薬を、守るためだ。




 タッターン……!

 タタタ、タタタ、タタタ、ドーン……!!




「やってる、やってる」


 俺は思わず、声をあげた。

 戦場で、神砲衆が作った連装銃3000が火を噴いている。

 その銃の火薬や弾丸の予備を持っているのが、俺たち神砲衆だ。

 そして神砲衆だけでは、守りが心もとないので、羽柴軍もここに配置されているわけだが、


「ぬう、つまらんのう。これでは手柄の立てようがないわ」


 我が盟友、秀吉は、この状態に不満そうにうめいた。


「まったくです。連装銃を作ったのは我が神砲衆なのに、守りの役目を任されるとは」


 秀吉に同調したのは、妻の伊与である。

 腰に差した刀の上に手を置いて、なにやら、うずうずさせている。

 ふたりの不満も、分かる。武将は手柄を立ててナンボだが、こう部隊が後方にいては、戦いようがないし戦功もあげられない。


「ぶつくさ言っても仕方なかろうもん。それより、そろそろ先鋒から、弾丸が足りないから寄越せとか言うてくるころよ。その準備をしたほうがいいっちゃない?」


 あっけらかんと言ったのは、カンナだ。

 ソロバンを片手に、明るい声を出している。


「先鋒っていうと、前田さんと佐々さんかい。確かあのふたりが、連装銃を多く任されてるはずだよね?」


「そッスね。佐々さまは元より鉄砲の名手で、前田さまもヘタじゃない。それにうちのアニキと古くから付き合いがあって、連装銃の扱いにも慣れているからッス」


 五右衛門と次郎兵衛が、それぞれ言った。

 次郎兵衛の言っていることはもっともだ。

 信長は、ちゃんと考えてそれぞれの軍を配置している。

 弾丸の予備を守る役目として、羽柴軍をここに配置したのも、秀吉が俺と親しいから、連携をとるのも容易だと判断したのだろう。すべて理にかなっている。……秀吉と伊与がブツクサ言っているだけで。


「そんな理屈は分かっている。分かっているが、手柄を立てたいのだ」


「まったく、伊与の言う通りじゃ。待つだけは、どうもわしの性分に合わぬわ。はっは……」


 伊与の不満に、秀吉は顔をしわくちゃにさせて応じる。

 そういえば、俺はヒゲが濃くなり、秀吉はシワが増えてきた。

 それに比べて伊与やカンナや五右衛門は、まるで老けた様子がない。


 俺と同い年なのに、せいぜい20代後半くらいにしか見えない。

 石川さん同様、老けないひとってのはいるもんだ……。


 そんなノンキなことを考えていると、


「お二方、おしゃべりの時間は終わったようでござる」


 これまでずっと黙っていた、竹中半兵衛が口を開けた。

 どういうことだ?


「ご覧じろ。……わずかに、武田の旗印が左手に動いた。あれはきっと、織田軍の射撃をかわした武田軍の一部でござるな」


「なんじゃと!? ということは、武田め、織田軍を回り込んで攻める気か!?」


 秀吉は、慌てて振り返ったが、竹中半兵衛は首を振り、


「さにあらず。いまの武田軍にその余裕はございますまい。回り込んでくるように見せかけて、こちらの軍を動かすための陽動でござろう。ここはヘタに動かず、持ち場を守ることこそ肝要かと」


「そうか!? ……いや、しかし……我が殿(信長)はあの動きをご存知なのか?」


「さて、どうでござろう。賢明なる殿のこと、恐らくお気付きと思われるが」


「他人事みたいに言うな、半兵衛。……こうなれば、わしはゆく。我が殿に、武田の動きをお知らせせねば! いくぞ、小一郎、小六兄ィ!」


 秀吉は、小一郎と蜂須賀小六、さらに自軍を率いて、信長の本陣に向かおうとする。


「おいおい、いいのか? 持ち場を勝手に離れて」


 蜂須賀小六は、慌ててそう言ったが、秀吉はニヤリと笑って、


「羽柴軍の半分は置いていく。指揮は弥五郎に任す。よいな?」


「引き受けた」


 俺はニタリと笑って言った。

 相棒の行動は、俺が全力で支える。

 それが俺なりの立志伝だ。ずっと前からそう決めている。


 秀吉は、またニヤリと笑って、羽柴軍半分を率いて織田の本陣へと向かった。


「……変わったおひとよ」


 半兵衛が、ぽつりと言った。


「持ち場を離れたことで、軍令違反を殿に咎められるかもしれぬのに」


「抜け駆けで出世したひとだからな。ここで命令を守るだけのひとなら、それは羽柴藤吉郎ではあるまいよ」


 俺は半兵衛に向けて答えた。

 半兵衛は、じっと俺の顔を見つめてきた。


「……竹中どのよ。あなたもよく、俺の顔を見つめてこられる」


「……ん」


「俺の顔に、なにかついているか?」


 ずいぶん前から気になっていたことだ。

 それを俺は、ついに尋ねてみた。


「いやいや……」


 半兵衛は、すぐに手を振って、


「いつも感心しているのよ。よく藤吉郎どののことを理解しておると」


「そうかい?」


「そうですとも。……藤吉郎どののことならば、知らぬことはないようだ……」


 含んだような、ものの言い方だな。

 秀吉のことを、変わったひとだというが、半兵衛もずいぶん変わっていると思う。

 まあ、歴史上の有名人なんてどこか変わっているから、歴史に名を残すわけだが……。


「そらもう、弥五郎と藤吉郎さんは、殿様が家督を継がれる前からの仲間やけん。お互いになんでも知っとるとよ! ねえ、伊与?」


「ん。……うん、そうだな。……そうだ。あのひとがまだ那古野城にいたころからの関係だからな」


 カンナと伊与は、……特にカンナは、微妙にピントがズレたような答えを返した。

 半兵衛は、どうも俺のことを見てときどき不思議な反応をする。

 嫌われているわけじゃないと思うが……なんだろう?




 タッターン……

 タタタ、タタタ……ズゥーン……。




 …………。




「音がずいぶん減ったな」


「戦が終わったのでござろうな」


 俺と半兵衛が、そう言ったとき、前方から羽柴軍が戻ってきた。

 秀吉、小一郎、蜂須賀小六がそれぞれいた。


「おう、弥五郎。……いやはや、半兵衛の申す通り、武田軍の動きは陽動だったようじゃ。我が羽柴軍が、武田の旗印に鉄砲を撃ちかけたが、やつらはすぐに引っ込んだ。回り込んでこちらを攻めるつもりなら、ああいう動きはせぬからのう」


「陽動だったか。それならいいんだ。……それより、敵の陽動のこと、殿様は知っていたか?」


「ああ、知っておった。知ったうえで、こちらに使いを寄越してのう。『藤吉郎、いらぬ気を遣っていないで、持ち場を守れ。山田に甘えるな』と叱られてしもうたわ。はっは……」


「はは……そりゃ、岐阜に戻ったらまた怒鳴られるやつだな」


「なに、我が殿のことじゃ。わしの気持ちくらい分かってくれておろう」


 秀吉はカラカラと笑ったが、俺はふと気になった。


「ところで藤吉郎。殿様が寄越した使いって誰だ?」


「拙者のことです」


 突如、声が聞こえて――

 そのひとは、羽柴軍の中から、ヌッと姿を現した。


「……明智さん」


 そう、それは明智光秀だった。


「拙者、こたびの戦では鉄砲指南役として、殿様の本陣におり申したが、羽柴殿への使いを命じられ、羽柴軍にやってきたのです」


「それは……ご苦労に存じます」


 俺は思わず、頭を下げた。

 明智光秀は、小さく「いえ」と答えた。


 明智光秀は鉄砲指南どころではなく、本来なら軍勢を率いて、一軍の大将として戦場にいるような立場だ。


 しかし先月、畿内で起こった織田家と三好家のいくさ――『高屋城の戦い』で、戦そのものは織田軍の勝利だったが、織田軍の中にいた明智軍はずいぶん被害を被った。だから今回は、明智軍は、いわば『一回休み』として参戦せず、光秀本人だけがやってきたのだ。


 その光秀が、羽柴軍に使いとしてやってきたのか。

 贅沢な使い方だ。明智光秀を使いにするとは。信長らしい人間の使い方だ。

 それとも、いまの羽柴秀吉に対する使いとなると、光秀くらいの人物でないと務まらないと判断されたのかもしれないが――


 ……ん?


「…………」


「…………」


 半兵衛と、光秀が、ちょっと目を交わしたのを、俺は見た。

 ふたりは美濃出身。それも、光秀が織田家に仕えたのは半兵衛の口利きあればこそだったはずだ。


 ……ふむ?

 ふたりにしか分からない何かが、あるみたいだ。

 それは、俺と秀吉の関係に、似ているのかもしれないが……。

 それにしても、顔を合わせたなら、挨拶くらい、したらいいのに。


「無数の足音が、長篠から引いていく」


 そのとき五右衛門が言った。

 俺には聞こえないが、彼女は耳がいいからな。


「織田家と徳川家の勝ちだ。……弥五郎。うちらの勝ちだよ!」


「そうか! ……そうか!! やったな!!」


 五右衛門の言葉に、俺だけでなく、その場にいた誰もが笑顔になった。

 勝った。かつて織田家をあれほど苦しめた武田軍を、倒したのだ! 結果は分かっていたが、やはり嬉しい。


「やったぞ! 藤吉郎!」


「おお! 勝ちどきじゃ!!」


 えいえいおう、と羽柴軍が叫んだ。

 神砲衆も、それに続いた。


 ただふたり――

 半兵衛と明智光秀だけは、喜色こそ浮かべていたが、なにか思うところがあるような目で、俺を見ていた。


 ……だからなんなんだよ、いったい!


第五部投稿、遅れてすみません。

戦国は全六部でいく予定です。

最後までどうかよろしくお願いいたします。


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