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第三十四話 ひとの命は救えるのだから

「しかし山田うじ。この状況から、果たして我らは逃げられるのか?」


「なに、策はあります。経験がありますので」


 俺は陣中に置かれた、『それ』に目をやった。

『それ』は和田さんを逃がすために持ってきた道具。

 そして、かつて使ったことのある道具でもあった。


「二番煎じですが、それだけに淹れ方は慣れたものです。良い茶をたててご覧にいれましょう」




 和田軍からの矢弾やだまが、いきなり止まった。

 そのことに中川瀬兵衛は、まず疑問を抱き、


「……なにかの罠か?」


 優れた武将だけにそう思った。


「皆、いったん止まれ! ……和田惟政は甲賀の忍び。なにか仕掛けていてもおかしくはない。皆、注意深く、あたりを調べながら進め。油断をするなよ!」


 中川軍の進みは、目に見えて遅くなった。

 和田軍の本陣まで、かたつむりが這うかのように進む。

 先ほど、伊与が和田を助けたときのように、敵兵が突然現れる可能性もある。

 ここはじっくりと進むが上策。中川はそう思い、慎重に兵を進めていたのだが、


「ぬっ!?」


 そのときだ。

 和田の本陣から、馬が数頭、突如として飛び出した。

 馬上にはどれも鎧武者が載っている。かすかに血の臭いがした。怪我人が乗っているのか?


「いや、あれに見えるは和田惟政じゃ!」


 中川は瞬時に判断した。


「あの集団の先頭を見よ! 間違いなく和田惟政が身につけていた鎧兜!」


 理解した。

 先ほどの戦闘で負傷した和田が、馬に乗って家来と共に退却したのだ。

 中川は脳を切り替えた。そうと分かれば慎重策は捨てる。犠牲を払ってでも和田を討つべきだ。


「者ども、和田を追え! きやつを討ち取ったものは恩賞は望みのままじゃ! 追えっ、追えっ!!」


 わっと、中川軍が和田を追いかけ始めた。

 特に騎乗の者は早い。我先にと和田を追い、やがて追いつき、そして武士のひとりが槍をふるった。


 槍の柄が、馬上の和田に直撃した。

 和田は、そのまま地べたに尻もちをつく。


「和田どの、御覚悟――」


 その武士のみならず、中川軍は餓鬼のごとく和田に群がる。

 無数の刀槍とうそうが和田の鎧に突きささる。赤い液体が、どばぁとあたりに広がって――


「っ!!」


 中川の家来たちは、瞬時に顔色を変えた。


「どうした、和田は討ち取れたか!?」


 中川がやってきた。

 だが、彼もすぐに気が付いた。

 馬に乗った数騎の鎧武士――その鎧の中身は、猪の肉を詰めた袋だったのだ。

 感じた血の臭いは、猪の血の臭いであった。――はかられた! 中川は苦虫を嚙み潰したような顔になり、


「ええい、引き返せ! 和田の本陣へ戻れ! やつはそこにいるはずだ! おのれっ!!」


 しかし時すでに遅しであった。

 和田の本陣は、もはや、もぬけの殻だったのだ。

 中川は、怒髪冠を衝く勢いで憤慨した。歯ぎしりした。その場にいた家来たちに、和田をなんとしても見つけよ、と吼えまくったのだが――それも、もはや手遅れであることを、中川はうすうす感づいていた。




「見事じゃ、山田うじ!」


 戦場から、和田軍を連れて撤退している最中、和田さんは何度も俺に賞賛の声を送ってきた。


「肉詰めの鎧武士を作るという策も見事じゃが、なんといっても手際の良さよ。中川勢がやってきた絶妙の時機を見計らって馬を放った。大したものじゃ!」


「二番煎じゆえ、うまくやれると言ったでしょう。……この策は以前、使ったことがあるんです。まぁ発案者は藤吉郎ですがね」


 そう、あれはもう15年以上前になるか。

 かつて熱田の銭巫女と戦ったときのことだ。

 信長を逃がすために、藤吉郎が、アノラックに塩漬けの猪肉を詰める肉カカシを作って、敵の目を欺いたことがあった。そのときの話を聞いていたことがいま活きた。


「これにて退却成功です。……もう大丈夫です」


「山田うじ。……昔からおぬしには助けられっぱなしじゃ」


「なにをおっしゃいます。こちらこそ甲賀には助けられていますよ」


「……うむ。……いや、それでもありがたし」


 和田さんは、そこで深々と頭を下げた。


「おぬしがいたおかげで、九死に一生を得ることができた。和田伝右衛門、心より御礼申し上げる。……おぬしは命の恩人じゃ……」





 ――救えた。

 俺はいま、悟った。

 本来の歴史であれば、ここで討ち死にするはずだった和田さんを。

 確かにこの山田弥五郎は、救い出すことができたのだ。――死の運命から!


 変えられる!

 歴史はきっと、動かすことができる!

 これまでずっと、史実を大変動できなかった俺だ。

 歴史はやはり動かせないのか。たかが俺ひとりの力では運命の歯車を動かすことはできないのかと悩んでいたが、……できたのだ。ひとの命は救える! ひとの手によって!


 ならば。

 和田さんを救えたならば。

 これから起こるであろう数々の悲運だって、きっと……!




 俺はとっさに、紅蓮の炎の中に包まれていく織田信長や、朝鮮に兵を繰り出す豊臣秀吉の姿を想像した。……信長……藤吉郎……。俺は……俺の知るふたりを、不幸にしたくはない……!




「しかし弾正忠さまには、どう申し開きしたものだろう……」


「え……」


 和田さんの独り言で、俺は我に返った。


「将軍家と弾正忠さまに摂津をお預かりしておきながら、この体たらく。腹を切れと言われてもなにも言えんのう」


「いまの織田家に、和田さんを殺すだけの余裕はねえと思うけどなあ」


 五右衛門が、場に似合わない間延びした声で言った。

 すると、伊与も小さくうなずき、


「四面楚歌の織田家だ。人材を切り捨てる余裕はない。それに弾正忠さまは、誠心誠意を込めて事情を話せば、決して慈悲無きことを申される主君ではないと思う」


「…………。ならばよいが」


 かつて信長から叱責された経験のある和田さんは、煮え切らぬ反応だった。

 かと思うと、


「それともうひとつ、気がかりがある。それがしには息子がいる。ここから北に向かったところに後詰めとして陣を張っているはずだ。……このままでは息子もやられる。息子にも逃げてもらわねばならぬ」


「それならあっしが、ひとっぱしり行ってきやしょうか。若殿ならば顔を合わせたこともありやすし」


 甲賀出身の次郎兵衛が言った。

 彼ならば足も速い。適任だ。俺はうなずき、和田さんも、


「本当にたくましくなったな、次郎兵衛。山田うじにところに預けたのは間違いではなかったの。……頼む。息子に撤退し、甲賀に戻れと伝えてくれ」


「へへっ、承知!」


 次郎兵衛は言うが早いか、街道を北へと走り抜けていった。

 すでにあたりは薄暗くなっている。だがさすがは忍びである。彼は夜目が効く。


「――それで俊明、これからどうする?」


「ん。今日はもう遅い。このあたりの手ごろな地形に夜営しよう。そしてあたりの情勢を探りつつ、京の都へ戻る」


「織田家にはまだ、和田さんのことは伝えないでいいのか?」


「難しいところだ」


 信長に無断で摂津までやってきたからな。

 事後処理は、残ったカンナや久助こと滝川一益がうまくやってくれていると思うが。


「遅かれ早かれ、弾正忠さまにはお目通りし、詫びを申し上げねばならぬ。それならば早いほうがいい。……山田うじ、息子のことが片付き次第、岐阜へと向かおう。なに、山田うじにこれ以上迷惑はかけぬよ。弾正忠さまにはそれがしがとにかく頭を下げる」


「いまさら和田さんひとりを困らせませんよ。そのときは俺も頭を下げます。……ああ、それともうひとつ……。弾正忠さまにお会いするのでしたら、行き先は岐阜ではありません」


「なに? ……どういうことだ?」


「弾正忠さまはいまごろ、岐阜から進軍しておられるはずです」


「どこに向かって」


 俺は答えた。


「比叡山延暦寺」


 そこには藤吉郎もいるはずだ。

 戦国史に名高い、延暦寺焼き討ち。

 それがそろそろ、始まるはずだ。


「ならば我々もゆくか。比叡山に」


 伊与の言葉に、俺はうなずいた。






挿絵(By みてみん)


「戦国」第3巻の表紙ラフデザインが到着しました。

WEB版から大幅改稿予定の第3巻、発売します。乞うご期待でございます!

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