第二十九話 三英傑、最後のひとり
「なにをしにきた~、だって。あは、そんなに真剣な顔しなくても」
「なんじゃと?」
「ウチはただ、興味をもってきただけなんだよね。……あんたにさ!」
少女は、言うが早いかさっと地を蹴り――
一足飛びに、俺のふところへと飛び込んできた!
「なっ!」
「えっ!」
「や、弥五郎!」
あまりの素早さに、俺は微動だにできない。
俺だけじゃない。カンナも藤吉郎さんも動けなかった。
こちらの眼前、50センチ。息までかかりそうなほどの至近距離に、少女の顔が迫っている。
彼女自身の体臭まで嗅ぎ取れそうなほどのところにまで近付かれておいて、俺はまったく対応できなかった。
油断していたわけじゃない。俺は戦闘態勢だった。だが、彼女があまりにも早すぎたのだ。こちらのメンバーは誰も反応できなかった。そう、誰一人――
いや。
「動くな」
伊与が、刀を抜いて、その切っ先を少女のうなじにくっつけている。
接近した少女に対応できたのは、この幼馴染だけだったようだ。……さすがだ。
「ぴくりとも動くな。動いた瞬間、貴様は死ぬ。……いいか、お前はこれでおしまいだ。だが、ひとつだけ問う。貴様は何者だ。目的はいったいなんだ」
「……質問がふたつになってるよ? おねえさ――」
「茶化すな! 問われたことにだけ答えればいい!」
鼓膜が裂けそうなほどの、伊与の絶叫。
その声に、少女はさすがに顔をしかめ、しかし、そうかと思うとニヤッと笑って口を開いた。
「ウチの名前は、おごう」
「おごう……?」
「そう。背景はない。どこにでもいる普通の女だよ。ただ――」
おごう、と名乗った少女は白い歯を見せて、
「父親は、あんたたちに殺されたけどね」
「俺たちに……?」
その一言に、俺は怪訝声を出した。
伊与も、無言のまま片眉を上げる。……そのスキを突かれた、
おごうは「よっ!」と叫んで伊与の刀の横を抜け、部屋の片隅に移動する。
「しまった……!」
伊与が顔をしかめたが、もう遅い。
おごうと名乗った少女は既に自由の身となっていた。
しかしそれにしても、やはり早い! ――俺は、今度こそやられまいと相手を一直線に見据えつつ、
「おごう、っていったな。覚えがないとは言わない。俺たちはこれまで何人もひとを殺してきた。だから、恨まれるのも当然の身ではあるが」
リボルバーを、構える(目立つのであまり使いたくはないが、この状況では仕方がなかった)。
「――俺たちが殺したのはどこの誰だ? 教えてくれ。許せとは言わないが、せめて君の心を受け止めたい」
「ウチの心を? ……あはっ、あんた、面白いことを言うね」
少女は、けらけら笑った。
かと思うと、にいっと笑い――妙に屈託のない声で、
「本当に面白いや。……ねえ、あんた。ウチはさ、実を言えば父親を殺されたこと、別に恨んじゃいないんだよね。親父ってば大概な悪党だったからさ。殺されて当然だったと思う。ウチ自身、親父に嫌気がさして、家出して駿府に住んでいたんだからさ~」
白い歯を見せながら、明るく語る。
なんだか妙な空気になってきた。殺し合いをしている雰囲気じゃないぞ。
やがて少女は、お手上げとばかりに細い両手を上に掲げ「ん~、やめやめ。ね、ウチ降参。だから勘弁して。悪かったよ!」と、あっけらかんと叫んだ。
そして――
「ほんと、驚かせてごめんね~。悪気はなかったんだ。あんたたちと戦うつもりなんて、なかったんだ。――松下家の納戸役、梅五郎――親父を殺した男がこの町に来たっていうから、どんな顔をしているのか見に来ただけなのさっ。……へっへっへ、ほほう、近くで見ると思っていた以上にいい男ですなあ!」
「なっ……い、いい男……?」
「なんば言いよるとね、この子……?」
『いい男』なんてフレーズに反応したのは、俺ではなく伊与とカンナであった。
いや、俺自身もどう返したらいいか分からず呆然としていたんだけど。
そしておごうは、可愛らしい笑みを浮かべると、ついに告げた。
「もう察しがついただろ。ウチは石川五右衛門の娘だよ。五右衛門の五の字を貰って、おごう。納得したかい!?」
おごうは、ケラケラ笑ったが――
笑いごとではなかった。……娘?
…………石川五右衛門の、娘ぇ!?
……翌日。
嘉兵衛さんは、五右衛門残党の雇用業務に。
そして俺たちは駿府城下を動き回り、硯の販売に駆け回った。
一軒一軒、武家屋敷や商家をまわり「松下家納戸役梅五郎でございます、硯はご入用じゃありませんか」と尋ねて回るのだ。
嘉兵衛さんの目論見通り、硯は50個売れた。さすがに小京都な空気をもった街だけはある。硯の需要もあるようだった。
【硯 7貫】が50個で、350貫。その売上を嘉兵衛さんと折半するから、俺たちに入ってくるのは175貫だ。
《山田弥五郎俊明 銭 11452貫0文》
<最終目標 30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>
<直近目標 今川領に潜入し、情勢を探る>
商品 ・火縄銃 1
・パームピストル 1
・甲州金 10
「でもでも、あんまりやりすぎないことだね~!」
おごうが、俺の後ろでニコニコ笑いながら言った。
「駿府城下は友野座っていう、すごく大きな座がシメてるんだ。あまりよその商人がチョロチョロしていたら、いくら松下家の納戸役っていう肩書とはいえ、ボコボコにされちゃうかもだよ~?」
「……もっともだな」
この時代、どの町にでもある程度、『座』が幅を利かせている。
『座』とは、要するに商人同士の組合で、そこに属さないと物の売買ができない。
だからこそ、加納のような楽市でない限り、あまり大っぴらに商売はできないのだ(第一部第十話「楽市の町・加納」)
おごうの言う通り、硯売りは適当なところで引きあげたほうがよさそうだ。それくらいは分かっている。
分かってはいる、が――ところで、それはそれとして――
「なぜ、お前が私たちの商いについてくるのだ!?」
伊与が怒号をあげた。
そう、おごうは今朝からずっと、俺たちの商いについてきているのだ。
昨日はあれからすぐに姿を消した彼女は、しかし今朝、商売を始めたらどこからともなく登場し、俺たちの商売に同行しはじめる。
それを咎めると、
「そんなつれないこと言わないでよ~。神砲衆の山田弥五郎ともあろうものがさっ!」
なんてことを口走ったのだ。
この女、どこでそれを知ったんだ!?
俺は針商人の梅五郎で通しているのに。
「だって、宿に泊まったときに、弥五郎弥五郎ってみんなに言われていたし。それでウチはピンときちゃったんだよね~。あ、これは神砲衆の山田弥五郎だって。あんた駿府でもちょっとした有名人だよ。変わった銃を使う商人だって!」
「お前、絶対に誰にも言うなよ!? 俺が山田弥五郎だってこと。特に松下嘉兵衛さんには――」
「ん~~~~~~……」
おごうは、ちょっと小首をかしげていたが。
……やがて、ニターッと意地の悪そうな笑みを浮かべてから言った。
「どうしよっかなあああああ~~~~~~~~~~~?」
にやにや、にやにや。
小悪魔的な笑顔を見せている。
「どう? どう? 言わないでほしい? 黙っていてほしい? どうよ、どうよ? んんん!?」
「斬る! この小娘、斬ってやる! ええい、うっとうしい!」
伊与が、刀を抜いて踊りかかる。
しかしおごうは、ヒョイッと刀をかわしてケラケラ笑った。
「身のこなしには自信あるんだ。親父に戦い方とか泥棒の技術といっしょに習ったのさ。親父のこと大嫌いだったけど、こういうところだけは凄い人だったね」
「くっ、悪党め……」
「なんとでも言ってくれ。……あっ、そうだ。女の武器の使い方も、親父の家来の女のひとから教えてもらったな~。使ったことはないんだけどさ~」
「お、女の武器!?」
「や、やらしか。響きがなんかやらしかっ!」
伊与とカンナは、ふたり揃って赤面する。
だがおごうは、伊与たちのことなど意に介さず。
「どう? 使ってほしい? やご、じゃなくて梅五郎~~。ウチ、アンタのこと気に入ったよ。いい男ぶりだし、手先も器用そうだしさっ。……うふふっ、女の武器の使い始め、アンタにしちゃおっかな~?」
おごうは、くねくねとうごめきながら、俺へと近付いてくる。
だが、そんなおごうと俺の間に、伊与とカンナが割り込んできた。
「だ、だめっ! だめやけん、そんなの! 絶対に許さんばい!? 修羅になるばい、あたし!」
「そ、そうだ! カンナの言う通りだ。露骨にいやらしい! そんなのはだめに決まってる!!」
女の争いが始まる。
俺はなんだか怒る気にもなれなくてため息をついた。
「なんだか変なのと知り合っちゃったな……。ねえ、藤吉郎さん。……藤吉郎さん?」
「……なぜじゃ」
「え?」
何気なく藤吉郎さんに話しかけたら、えらく暗い声が返ってきた。
「なぜじゃ。なぜなんじゃ。どうしていつも梅五郎ばかり女に囲まれるんじゃ……。変なの、じゃと。変だろうがなんだろうがおなごはおなごじゃろうが……ああ、天は不公平じゃ……」
藤吉郎さんは、えらくヘコんでいる。
自分の近くに女の子がいないことが悲しいらしい。
「前々から思っておったんじゃ。梅五郎ばかり、おなごおなごで。わしは悲しい。いいかげんわしにも、恋するおなごのひとりくらい現れてほしいわい」
「と、藤吉郎さん。落ち込まないでください。いつかきっといいことありますよ」
「そうッスよ。ほら、兵糧丸食べるッスか? 美味いッスよ??」
あかりちゃんと次郎兵衛が、藤吉郎さんを励ました。
俺、うらやましいって思われているんだろうか。いや、けっこう大変なんですけど、こっち。なおこうしている間にも伊与たちの争いは続いている。雅な街中に女同士のぎゃあぎゃあ声が響き渡って、正直恥ずかしい。
「あのね、殿方は胸とか脚をちら~っと見せたら喜ぶんだってさ。分かる? ちら~っとだよ。そこが大事なところ」
「ち、ちらっと……。……なんでちらっとなん? 胸が、そんなに好きなん? だったら、あたしだって――」
「カンナ! こんな女の言うことを聞いてはいけない! なんて露骨にいやらしい……! 耳をふさげっ、耳を!!」
白昼堂々、なんちゅう会話をしとるんだ。ひでえガールズトークだ。
しかし、まさか石川五右衛門に娘がいたとは。しかもこんな性格だったとは。
……気に入った、でついてこられたらたまらないんですけど……。どうしよう、これ。
再び、ため息をつく俺であったが――そのときだ。
「御大将ーっ」
声がしたので、振り返る。
すると、自称・平将門が手を振っていた。
彼は確か、三河に待機させていたはずだが……。
「岡崎城の鳥居さまから、文を預かってまいりました」
「ああ、そういうことか。ご苦労さん」
「なになに~? 梅五郎、もしかして恋文でも貰った~~?」
「そんなわけないだろう! ふしだら娘は引っ込んでいろ。……こら、梅五郎にくっつこうとするな!」
「そ、そうよ! だいたいそんなちっちゃいの、くっつけたところでなんちゃあなかばい! ……くっつけるならあたしくらいあったほうが――」
「カンナ。そのセリフは私への挑戦にも聞こえるが……」
「え!? ち、違う違う違うっ。そういうんじゃなかとよ、伊与。ただあたしは、その――」
「と、ふたりが醜い争いをしている間にくっつこうとするおごうちゃんであった。ね、梅五郎。ウチにくっつかれて嬉しいでしょ? うりうりうり」
「「だから、やめろって!」」
俺にすりすりしてくる、おごう。
それに対して怒鳴る、伊与とカンナ。
手紙ひとつ読もうとするだけでこれである。疲れることこの上ない。
「御大将、なんか修羅場ですね」
「俺のせいじゃない。……それより文だ」
俺は手紙をさっそく覗いた。
それで俺は――『ある事実』に気が付いた。
……そうか、そうだよなあ、……そりゃ、こういう流れになるよなあ……。
「梅五郎。文にはなんと書かれてあるんじゃ?」
ようやく立ち直ったらしい藤吉郎さんが問うてきた。
俺は、小さな声で答えた。
「我が殿が駿府にいるのでよろしく、紹介状も書いたので、ぜひ会ってみてほしいとのことです」
「我が殿。岡崎の鳥居どのの主君といえば……それは――」
「ええ。岡崎城の真の主。幼名は竹千代どの。しかし先日、元服されたという人物――」
俺は、多少おごそかな声で。
しかしはっきりとした声音で、その名を告げた。
「松平次郎三郎元信様。……彼のことです」
そう、松平家の現当主、松平元信。
彼こそが鳥居忠吉さんの主君だ。
だが元信は、初名。のちの名前は、家康。
――徳川家康だ。
そう、江戸幕府初代将軍、徳川家康が、いまこの駿府にいるのだ。俺はそれを思い出した!
しかも鳥居さんは、……会え、というのだ。――家康と!!
戦国乱世を終焉に導く役目を果たす、三英傑。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
秀吉と出会い、信長とはまだ会ってこそいないが目撃はした。
そしてここで、ついに最後のひとり。
徳川家康と、出会う機会がやってきたのだ……!
今回で、ついに連載100回目になりました。
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