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第九話 5000貫の価値

 荷駄を載せた馬が、大樹村を出発した。

 馬の両脇には俺のほかに、父ちゃんと母ちゃん、それに伊与がいる。

 俺たち4人はこれから、父ちゃんの仕事――商いのために、村の外へと旅に出る。


 ……といっても、父ちゃんは農民と兼業の商人であり、その商いの規模も小さなものだった。

 大樹村は炭が名産である。その炭を、父ちゃんと母ちゃんが村を代表して市場へと持っていき、販売して銭にする。そのレベルの商人だ。

 まあ、もちろんそれでも、大事な仕事には違いないけどね。

 父ちゃんはその商売を、今回から息子おれに手伝ってもらおうと言い出したのだ。


 俺たちはあぜ道を歩いてゆく。

 山間を抜けると、そこは草原だった。

 戦国時代の尾張の空は、気のせいか、未来よりもずっと青く澄んでいる気がした。


「……そういえば、なんで伊与も来ているのさ?」


「私は武士になる身だぞ。見聞を広める必要がある。だから義父様に頼んでついてきたのだ」


「父ちゃん、よく許したね」


「伊与も昨日の戦いではよくやったからな。弥五郎同様、一人前とみなしてもいいと思ったんだ」


「そうね。弥五郎が敵をひるませたとき、真っ先に小屋から飛び出したもの」


「おう、あれは息がぴったりだった。長年連れ添った夫婦のようだったぞ、わっはっは」


「そりゃ、ふたりはずっと一緒だもの。……そうね、伊与が弥五郎のお嫁さんになってくれたら、義母様はとても安心なのだけど――」


「ならないから」


 伊与は、ぴしゃりと言った。

 そんなにハッキリ言わなくても。


「私は嫁ではなく武士になる。それに弥五郎のことは守ってあげるべき弟だとしか思っていない」


「だから何度も言うけど、1日しか年上じゃないのに弟呼ばわりはやめろって」


「こちらも何度も言うが、1日とはいえ上は上だ。私のことは姉として敬い――」


「こらこら、喧嘩はやめなさい。……まったく、ふたりがもっと強くなって、力を合わせれば、シガル衆を倒すことだってできるだろうに……」


「義父様、それはほんとか?」


 伊与が、瞳を輝かせながら叫んだ。


「私と弥五郎ならば、シガル衆を倒せるか!?」


「あ。……いや、いまのはちょっとした言葉のアヤで……」


 父ちゃんは、ちょっと困ったように笑みを浮かべてから、ふいに真顔になって、


「やつらは集団だ。本当に滅ぼそうと思ったら、ひとりやふたりの力では無理だ。いくら弥五郎や伊与が強くなっても、お前たちだけではシガル衆は倒せない」


「私たちだけでは無理。……もっと、仲間を増やせということか?」


「まあ、そうだ。侍を雇い、武器を揃えれば勝てるだろう。だがそうするには莫大な――」


「金がいる」


 伊与が、父ちゃんのセリフを引き継ぐようにして言った。


「その通りだ。はるか遠くの堺という町は、まさにそういう状態になっているそうだ」


 そうだ。この時代の堺は商業都市で、会合衆(えごうしゅう)という商人集団が町を運営しているが、莫大な金を稼いでいる彼らは、その資本力を用いて浪人を雇って武器を揃え、町に対するいかなる権力の介入も許していない。その結果、堺は一種の独立勢力となっているのだ。


「大名でさえ、堺には手出しできんそうだ。なぜなら、金の力で強くなっているからだ」


「……では義父様。仮にシガル衆を倒すだけだとしたら、金はいくら必要になる?」


「また難しい質問を……。――そうだな、腕っぷしが強く、信用もできる武士を50人、そこに鉄砲や刀槍を装備させ、50人分の食い扶持さえも揃えるとなると、ひとり100貫として――」


 父ちゃんは、結論を出した。


「まず、5000貫」


「ご――」


 伊与は、絶句した。


「5000貫だと!? 人足ひとりの1日の手当が、確か20文くらいで――」


「ちなみに、1000文が1貫だ」


「と、いうことは、ええと――」


「人足仕事で5000貫を稼ごうと思ったら、毎日休まず働いて、700年近くかかるということだ」


「ば、馬鹿な……」


 伊与は唖然としている。

 その横で、母ちゃんもあんぐりと口を開けていた。


 かく言う俺も、すごい金額だと考えていた。……未来の価値に換算するとより分かる。

 1貫が、21世紀の日本だといくらになるか。これはハッキリとは分からない。戦国時代の日本が統一国家でないのもあって、地方によって物価があまりにバラバラで、推定しにくいからだ。


 それでもあえて米の価格などから推測するなら、1貫はおおむね10万円から15万円といわれている。つまり5000貫は、5億円から7億5千万円にもなるわけだな。

 すげえ金額だけど……まあ未来の日本でも、人間を何十人も雇用して使うとなったら、やっぱり億単位の資金が必要となるだろうしなあ。


「ところで義父様は、いま現金だといくら持っているのだ?」


 あけすけな伊与の質問に、母ちゃんが「これ」とたしなめたが、父ちゃんは意に介したふうもなく、げらげらと大きな声で笑って言った。


「300文だ。……ははっ、弥五郎も伊与もそんな顔をするなよ。家に戻ればさすがにもう少しあるがな、それでも5000貫なんて、とてもとても。村中から集めてもそうはなるまい。……つまりだ。さっきはシガル衆を倒せるなんて言ったが、ありゃ軽口だった。そんなことは無理だ」


 父ちゃんは明るく言った。

 伊与は、無言になった。現実を知ったからだろうか。

 俺も、口を開かない。これは単に話題がなかったからだが。


 ――ただ、5000貫、という数字だけは強く脳裏に焼きついていた。


 と、そのときである。ふいに、父ちゃんが叫んだ。


「おい、見えたぞ、あれが目的地だ。――加納の町だ!」




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