第93話「道楽クエスト」
ユナがサキさんの部屋に籠ったきり出てこないので、話し相手がいなくて寂しくなった俺は調理場を覗きに行った。
ティナは調理台で何かを作りながら、窯の鍋や水瓶の方を行ったり来たりしている。相変わらず良く同時進行ができるものだ。セーラー服にエプロン姿というのも実に良い。
ニートの俺に飯を作りに来てくれる隣の幼馴染み設定でお願いします。
暫くこの光景を眺めていたくなった俺は、調理台の隅っこで少なくなってきた精霊石の補充をし始めた。
日常で使う精霊石ならティナが作る方が安全なのだが、偽りの指輪を使うと疲労がないので引き続き俺の担当になっている。
何より俺が一番暇で家事も満足にできないので適任と言えば適任なのだが……。
「ティナ悪い、氷出して」
「いいわよー」
ティナは魔法の杖をこちらに向けると、俺の前に綺麗な四角形の氷を出した。
流石に手馴れたものだ。しかも俺が精霊石を経由して作った氷よりも精霊力の密度が異常なほど高い。
ティナが出してくれた氷を使うと、氷の精霊石はあっという間に補充できた。
「やっぱりティナが出した氷は精霊力の密度が高いな。俺が出したら自然のものと変わらないのにな」
「余分に魔力を使って精霊力を圧縮してあるのよ。不思議電池の時にわかったけど、精霊力の強さに比例して、精霊石に込める速さが変わるみたいだから」
「この氷は俺専用に出してくれたわけか。まあ、何でもかんでもこの密度だと病気になりそうなイメージだしな」
「街の中でも異常に精霊力の強い場所があるし、そういう所に住んでる人は体調を崩したりするかも知れないわね」
「俺の方は偽りの指輪に集中しないと精霊力感知できないからな。自前で感知できるとそういう事にも気付けるんだな……」
火、水、光、氷の精霊石を補充し終わった俺は、ティナのエプロンセーラー服に後ろから抱き付きたいのを我慢して観察していたのだが、勝手口の外が暗くなっていることに気付いたので広間の方へ戻ることにした。
そろそろエミリアが一人放置プレイを楽しんでいる頃だろう。
俺が広間に戻ると、案の定エミリアは一人放置プレイを堪能していた。
「エミリア、洗濯かご買ってきたから自分の部屋で使えよ」
「随分しなやかなバスケットですね。これはどう使うのですか?」
「いや、言わんでもわかるだろ? その日着てたブラウスとか下着とか、ここに入れておくんだよ。洗濯かごがいっぱいになったら実家に戻って、洗濯済みのきれいな服と中身を入れ替えて持ち帰る」
「!!」
俺の説明通りにイメージを思い浮かべていたエミリアは、まるで火を発見した原始人のような顔になった。魔法以外の教育もしておいてやれよ……。
「なるほど……これは素晴らしいアイデアです! これならちゃんと洗濯に回せそうです」
エミリアは洗濯かごを手で潰したり、底の方を覗き込んだりしている。ぐしゃっと潰しても何故かきれいに形が戻る、薄くて軽い丈夫なバスケットだ。
流石、ユナが選んできた物はハズレたことがない。
洗濯かごではしゃぐエミリアを眺めていると、晩飯の匂いを嗅ぎ付けたサキさんとユナも広間に下りてきた。
「姿見いいのあった?」
「うむ」
「………………」
あれ? それだけ? いや、まあ、期待してなかったけど。ユナとサキさんはあれからずっと二人で制服の打ち合わせをしていたのかな?
「ミナトさん、サキさんって筆絵も上手なんですよ!」
「そうなのか。漫画っぽい絵しか描かないと思ってた。ちょっと持って来いよ」
「それっぽく描いただけであるから、あまり自信はないがの」
サキさんは遠慮がちに言うと、掛け軸を取りに部屋まで戻ってすぐに出てきた。
この素早さは、きっとみんなに見せびらかせたいに違いない。
「これであるが」
まだ墨が乾いてないのか、サキさんは半端に広げたまま持ってきた掛け軸を俺たちの目の前に垂らした。
「ほう……」
サキさんの墨絵は、荒鷲と松を描いた何とも渋いものだ。絵心ゼロの俺では具体的に何がどう凄いのかを理解することはできないが、とにかく迫力があって感心してしまった。
「これサキさんが描いたの? 凄いわね……」
料理を運んできたティナも、サキさんの墨絵をまじまじと観察した。
「また手の空いた時にでも練習してみようと思うわい」
皆から褒められたサキさんは、少し照れながら掛け軸をミシン台の上に広げて置き、一人で勝手に飯を食い始めた。
今日の夕食は、エミリアが買ってきた良くわからない魚のソテーに、ウインナーと野菜がいっぱい入ったチキンスープだ。
「相変わらず何の魚なのか全くわからんなー」
「白身魚ですけど、今日のは何だか少し水っぽいですよね」
「そうねえ……焼く前は水っぽい感じはしなかったけど、これはお鍋か天ぷら用ね」
魚介類については特にわからん事が多い。オルステイン最大の港町であるミラルダには、いずれ機会があれば行ってみたいものだ。
片道一週間ほど掛かってしまうらしいので、帰りが大変そうだけどな。
今日は夕食を食い終わってもエミリアが帰らないので、俺は不思議に思いながら一人で食器の後片付けをしていたのだが、広間に戻るとサキさんが外出の支度をしていた。
外出と言っても、背負い袋に弓に槍にと、まるで冒険にでも出るかのようだ。
「ちと三、四日ほど留守にするわい」
「冒険か? 訳がわからん」
「ただの魚獲りよ。以前エミリアに用意してもろうた罠は大トカゲに壊されてしもうての、台無しになった。やはり夜通し見張る必要があるわい」
「まさか一人で行くのか?」
「私も行きます」
サキさんとエミリアとは珍しい組み合わせだ。
二人の話をまとめると、以前川で獲った魚の燻製が酒のつまみに良いらしく、そろそろ時期が終わるので、ここで必要なだけ獲りに行こうとなったらしい。
メンバーはサキさん、エミリア、ナカミチの三人で、飲兵衛パーティーの道楽クエストのようだ。
「大体わかった。飯はエミリアがテレポートで届ける感じになるんだな」
「頼む。では行って来る」
エミリアはテレポートで消え、サキさんは白髪天狗に跨り行ってしまった。玄関側の道を走って行ったので、どこか別の川に向かったのだろう。
サキさんが家を出たあと、俺はティナとユナが入っている風呂場へ向かった。
「サキさん、エミリアとナカミチの三人で魚獲りに行ったわ。三、四日帰らんみたいだ」
「さっき出て行ったのがそうだったの?」
「私たちは行かなくていいんですか?」
「全部燻製にして自分らのつまみにするんだと。何かあればエミリアがテレポートで知らせに来るだろうし、大丈夫なんじゃないか?」
俺はさっさと髪と体を洗って湯船に浸かると、心配そうにする二人を軽くあしらった。サキさんとエミリアの戦力なら心配する要素は何もないからだ。
「そうじゃなくて、サキさんとエミリアですよ? 生活面で心配してます」
「あー。駄目かも知れん……」
ここはナカミチに期待しよう。あのおっさんだけはしっかりしているからな。
風呂から上がった俺たち三人は、髪を乾かしたあと洗濯したり歯磨きしたりしてから、部屋でくつろいでいる。
「最近は急に冷え込む日があるから、気を付けないとダメよ」
「そうですね」
「夏用の掛け布団と冒険用のペラペラ毛布だとそろそろきついか?」
「サキさんが帰ってきたら秋物を揃えに行きましょう」
俺は冒険用の毛布を手に取ってみたが、やはりペラペラもいいところだ。真冬に野宿となれば、こんな毛布では何の足しにもならないだろう。
そうなるともっとゴツい毛布が必要になるが、背負い袋には収まらなくなるだろうな。冬は冒険に向かないって意味がわかったような気がする。
俺たちは各々やりたいことを適当にやってから、きりの良いところで寝ることにした。
翌朝、いつものように俺とユナの二人で朝の支度を終えたのだが、今日は広間のテーブルにエミリアの姿はなかった。
「朝はいらんのか……」
「そんなことはありません!」
「うおっ、びっくりした。変な登場するのまじやめろよ」
何ともなしに口を出た独り言に返事をされると心臓に悪い。俺が席に着くと同時に、ティナとユナが二人で木箱と湯気の出る水差しを運んできた。
「私たちのは今焼いてるからもう少し待ってね。エミリア、一応三人分だけど一度に運べそう?」
「はい大丈夫ですよ。基本的に私が持ち上げられる程度の物なら一度に運べます」
エミリアは木箱と水差しを抱えて、そそくさとテレポートしていった。
その後俺たちも朝食のピザを食べてから一段落した。今日の夕食はどんぶりにすると言っているし、向こうの状況を考えると皿物は作りにくいみたいだな。
「エミリアもサキさんも居ないが、今日はどうするかな?」
「向こうで何があるかわからないですし、全員で家を空けるのは控えた方がいいと思います」
「そうだな。準待機と言ったところか。常時二人は家に居ることにしよう」
「私は足りない食材の買い出しに行きたいわね。切れ掛かった日用品もあるし」
「そうかあ。じゃあ俺とユナは留守番だな」
「なるべく早く帰って来るわね」
後片付けは俺とユナでやることにして、ティナにはそのまま街へ買い出しに行ってもらうことにした。
朝のうちに布団を干した俺とユナだったが、特にやることもないのでユナの提案で家の裏の河原に移動した。
以前買った障壁効果の腕輪を色々とテストしてみたいらしい。俺は攻撃側の役なので、先日サキさんが買ってきた木剣を使うことにした。
「ハンドアックスでもいいんですよ?」
「危ないから今日は木剣にしておこう。障壁の耐久テストはサキさんじゃないと難しいだろうしな」
「わかりました。それじゃあ障壁を出すので、まずは障壁のサイズと厚みを調べて貰えませんか?」
「なるほど、そういう部分から始めるのか」
「では出しますよ……はい」
俺はユナの目の前に展開されているであろう魔法の障壁を手で触って確認する作業を始めた。




