第8話「アサ村」
今日はアサ村に向けて出発する日だ。いつものように三人で洗顔と歯磨きを済ませて、井戸のついでに洗濯物を回収する。
昨日の晩に洗っておいた下着もしっかり乾いているようだ。
洗濯物と物干し竿のロングスピアを抱えて部屋に戻るときに、カウンターで朝食を注文しておく。
今俺たちが泊まっている宿は、荒くれ客のいない宿なので食堂で食べても良かったんだが、なんだかすっかり部屋に運んで貰うのが定番になっている。
早速取り込んだ服に着替えてから、予備の服は畳んで背負い袋に詰め込む。一度洗ったおかげで服のにおいも取れたのか気持ちが良い。洗濯の必要性を再認識した。
今日のティナはツインテールを胸元に降ろしていた。後ろで括って終了のサキさんと違って色々髪型が変わるので、毎日見ていると面白い。
俺の髪が整えられた頃、部屋に朝食が運ばれて来る。チーズと野菜を挟んだパンが一つと、薄目のコーンスープのようなものだ。
俺たちはあまり時間をかけずに食べ終えると、サキさんが鎧を着込むのを待ってから部屋を後にした。
ちなみに武装しているのはサキさんだけで、俺はもう道中では胸当てを付けない事にした。
昨日の一件以来ブラジャーを付けさせられたので、これ以上蒸れると気持ちが悪いからだ。
宿のカウンターで鍵を返して、俺たちは宿を出た。
「何も無ければこのままアサ村に向かおうと思うが」
「途中で食う物が欲しい」
サキさんの要望で近くの店に寄ってから出発することにした。
焼きたてのパンをいくつか買い、バラの干し肉にチーズの燻製という無難な所で済ませる。
だんだん問題点がわかってきたが、このパーティーでは持ち運べる物の重量制限がきついので、今のままでは現地での調理に必要な素材を持ち運ぶ余裕が無い。
下手に物を増やすと、自動的にサキさんに負担が行く。今買った食い物も全てサキさんが背負っていた。
カナンの町の北口まで行くと、ちょうど乗合馬車が出発している所だった。王都オルステインとは違う方向なので、俺たちがまだ知らない場所へと旅立って行くのだろう。
俺たちは邪魔にならないように馬車の一団が走り抜けるのを見守っていると、最後尾の荷馬車からひょっこりと顔を出したレスターが手を振ってきた。
「突然ですが私も旅立つことにしました! ごきげんよう歌姫たち! また何処かで歌いましょーう! ではーっ!」
「何処までいくんだよーーっ!」
「ら○ゃ※□ぁ×っ…………」
行き先だけでも聞いておきたかったが、良く聞こえなかった。突然現れて自由気ままに演奏したかと思ったら、突然ふらっと居なくなる。風の様な男だ。
まだ暫く滞在するのだろうと思っていたので昨日はそのまま宿に帰ったのだが、もう少し色々と話をしておけば良かったかもな。
「面白い男であったな」
「だなあ……」
「あんな生き方だと、周りからは行方知れずにされそうね」
風来坊め。こうして突然居なくなると、まるで昨晩の出来事が夢のように感じてしまう。あれだけ派手に大騒ぎしたステージだったのにな。
また歌う機会が無いとも限らないから、俺も歌の練習くらいはしておこうと思った。
「俺たちも行こう。何せこっちが本来の仕事だからな」
カナンの町を出て、暫くは穀倉地帯の風景を見ながら歩いていたが、やがて街道は森の中へと続いて行く。生い茂る木々の日陰がいくつもできて、街道にまばらな影を落としていた。
「ん……っ。はい……」
俺の前を歩いていたティナが、フラフラと右に左に足を出しながら歩きだした。
「今影以外踏んだな」
思わず突っ込んでしまった。
「今のは練習よ」
「わしもやる」
ティナが始めた影以外を踏んだら死ぬゲームに興じてしまって、殆ど進んでいないのに一時間くらい無駄にしてしまった……。
「だめだろこれ。もう昼だと思うが、まだ街道分かれの側道が見えないんだが」
「もう少し歩いてダメだったら飯にするか?」
距離感がわからないので、いつまで経っても同じ景色ばかりだと不安になってくる。
黙々と歩き続けていると、やがて街道の木々が口を開いた場所に側道が現れた。
「あれではないか?」
先頭を歩くサキさんが指を差す。標識のようなものは無いが、事前に調べておいた方向と同じなので間違いないだろう。
側道は小さな荷馬車が通ったらしい轍の部分以外は、草の生い茂る獣道だ。ここでサキさんは籠手も身に付けて、完全武装の状態にした。
ロングスピアの先に被せた革のカバーも外している。
俺も胸当てを付けて革手袋をすると、矢筒を腰に移動させてからロングボウを手に持った。ティナは籠手をはめないで、背負い袋から火口箱と、リレーのバトン程度の松明を取り出していた。
「最悪ゴブリンと鉢合わせするかもしれん。わしから少し離れてくれい」
ロングスピアを脇に抱えて先頭を歩き出すサキさんは、銭湯でハァハァ言ってた変態の目ではなくなっていた。
「熊とか猪とか狼とか出ないよな?」
「何か居そうなときは松明に火を付けるわね」
警戒しながらだと歩く速度は落ちてしまうが仕方がない。何せ村周辺という情報しかないから、問題のゴブリンがどの辺りに生息しているのかわからんのだ。
暫く無言のまま進んで行くと、道が開けてきた。街道から逸れたので森を抜けたのだろうか?
道が開けると、片方は山、もう片方は段々畑が続く浅い谷のような場所に出た。
俺たちが歩いている道は山側の方だ。高低差はあまりないが、谷の下の方には小さな川が流れ、その周辺に集落が見える。あれがアサ村なのだろう。
「無駄骨であったか?」
「いや、あのくらい慎重で良い」
もう武装を解くかと言う話になったが、いかにも戦えそうな格好で村に入った方が印象が良いかもというティナの提案を採用する。
ティナは火口箱と松明を収めて、ここで初めて籠手を装備した。
道を下って村に入ると、奥の方で男たち数人が集まっているのが見えた。
「何かあったのかな?」
「わしが行こう。見た目にハッタリが効く」
俺たちはサキさんを先頭にしたまま男たちの方へ近づいていくと、向こう側の一人と目が合った。すぐに男たち全員が振り向き、そのうちの一人がこちらへ向かってくる。
「お待ちしておりました! 冒険者の方で間違いないでしょうか?」
「うむ。依頼を受けてゴブリン共を蹴散らしに来たのだ。アサ村で間違いはないか?」
「はい、間違いございません。おーいみんなー! 冒険者の方が来てくださったぞー!」
男がそういうと、奥にいた男たちも集まってきた。口々に早く何とかしてくれだの、家畜が襲われるだの、畑を荒らされるだの、女房と喧嘩しただの……ちょっと待て。
そんな感じで矢継ぎ早に騒ぎ立てられる。
「あの、まずは村の村長と話がしたいんですが」
『………………』
サキさんを取り囲んで騒ぐ男たちに、このままでは埒が明かないので村長に会わせろと言った所、村の男たちは一斉に黙り込んでしまった……赤い顔をして。
「これはどういうことだ?」
「ミナトがかわいいから、みんな照れているのよ」
「すみませんでした」
「お主らの話は良くわかったから、まずは村長に会わせて頂こう」
「……はっ! 失礼しました。どうぞこちらです」
最初に話しかけてきた男は正気に戻って、俺たちを村長の家まで案内した。
この村の建物は、外壁が板張り、屋根は木の枝を敷き詰めて、その隙間を粘土のようなもので塞いで固めている。変わった作りだな。
「村長、冒険者の方がお見えになりました」
「ふうむ。入って頂きなさい」
俺たちは村長の家に通された。家のドアを跨ぐと床は土のままで、殆ど馬小屋のような作りだ。部屋の真ん中に囲炉裏のようなものを作り、ござの上に腰掛けた老人がいる。
この人が村長だろう。見た目には田舎にいる普通のおじいちゃんという感じがする。
「ニートブレイカーズのミナトです。ゴブリンについて、詳しい話を聞かせてください」
「………………」
村長は耳まで真っ赤になって黙り込んでしまった。もうやだ、こんな村。
「村長! しっかりしてください! こちらが冒険者の方ですよ!」
「……はっ! そうじゃった……わざわざお越しいただいてありがとうございます。わしがアサ村の村長です」
「早速なのだが村長、ゴブリンの住処と規模、村の被害を教えてもらえぬか?」
ここはもうサキさんに任せた方が良さそうだな。今日のサキさんはまるで賢者のようだ。
ゴブリンの住処は、この村に流れている小川を少し下った所にある洞窟らしい。
洞窟といっても、崖を刳り貫いたような形の、雨風を凌げるようなドーム状の空間なんだそうだ。
規模としては、確認しているだけで五体。
住処を探して村人だけで討伐を考えたものの、ゴブリンの数が多いので死傷者が出るよりは冒険者を雇った方が安いという判断を下したらしい。
村の被害は、夜中に家畜や農作物を盗んだり殺したりする感じで、まだ怪我人は出ていないようだ。
「その洞窟を見て、帰って来るのにどの程度かかるか?」
「片道十五分くらいです。村の者なら誰でも知ってる場所ですよ」
「今から偵察に行く気か?」
「うむ。見に行った方が早かろう」
俺たちは村長の家に荷物を置き、武装した状態で偵察することにした。洞窟までの案内は、引き続きこの男、名前はジムという……にお願いした。