第5話「吟遊詩人と音楽会」
朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、俺一人だけあたふたしながら便所を済ませ、相変わらず朝食は部屋まで運んで貰い、今日の事を考えながら食事を取った。
今日の朝食は、チーズを乗せたパンのスライスと、卵と野菜の入ったサラダである。食費は別なので昨晩のと合計を支払ったら、銀貨17枚しか残らなかった。
昨日のうちに準備を整えておけて良かったと思う。
食事を終えてもまだまだ時間には余裕がある。
サキさんはエミリアから貰った小冊子を何となく眺めていて、ティナは髪をとかしたあと、手鏡を見ながら物凄い技術力で髪型を整えてリボンで括っていたのだが、自分の事が終わると今度は俺の髪も丁寧にとかして、昨日無理やり買わされたかわいい髪留めを付けられた。
こっちに手鏡を寄こして見るように促されるが、恥ずかしいので見たくないと言ったら「気にしなくなったらサキさんの始まり」と返されて仕方なく自分の顔を映した。
まあかわいかったわ。俺はベッドに手鏡を投げ捨てた。
そんなことをしていると、ゴソゴソと起き上がったサキさんが鎧を付け始める。胸当てと腰当てを付けて、籠手の方は背負い袋の横に引っ掛けて準備完了らしい。
俺も胸当てだけを付けて準備完了した。ティナも籠手は背負い袋に引っ掛けていた。
メイン武器のロングスピアは3メートルくらいあるので、大荷物のサキさんは大変だろうな。
忘れ物が無いかチェックをして、俺たちは宿を出る。
乗合馬車は街の出発地点ではなく、運営元に直接行ってそこから護衛するそうで、王都の地図を見ながら言われた通りの場所までやってきた。
「カナン行き乗合馬車の護衛を引き受けた、ニートブレイカーズのミナトですが、どの馬車を護衛するのか教えてください」
とりあえずその辺のおっさんに尋ねてみると、今回護衛する馬車まで案内された。
「おや? 冒険者の方ですかな? 私はこの乗合馬車の責任者、サジルと申します。カナンまでの道中よろしくお願いいたします。なあに、道中は気楽なものです。規定で護衛を付けないといけない決まりなので、まあ形だけのようなものですよ」
赤いタキシードのような服に、背の高い帽子を被った中年の紳士、このサジルさんが乗合馬車の責任者らしい。
軽く挨拶を済ませると、早速俺たちは荷馬車の方に乗り込んだ。
乗合馬車は三台編成で、客車が二台、荷馬車が一台である。それぞれの馬車には御者を含めて三名が乗り込んでいる。
カナンまでの道中で一泊するので、人手を考えるとそうなるのだろう。
何も起こらないとは言われても、この規模を戦闘経験のない冒険者三名で守り切れるのかと聞かれたら、無理と答えるしかない。
馬車が街の出発地点に到着すると、乗客だろうか、大小の荷物を抱えた人たちが我先にとサジルさんの所へ寄ってくる。
せわしい奴らだと思っていたが、先に金を払った方が早い者順で席を取れるので、窓側などは争奪戦になるんだと、荷馬車に乗り合わせた使用人の男が教えてくれた。
乗客が次々と乗り込む中で、荷馬車の方にも大きな荷物が運ばれてきて、出発前は広々としていたスペースもすっかり手狭になってしまった。
そろそろ出発かなと思っていると、手狭になった荷馬車にやたらデカいケースを持った変な男がいそいそと乗り込んできやがった。なんだこいつは?
ただでさえ狭くなった荷馬車は変な男まで乗り合わせて、もうすし詰め状態である。
この男、旅の吟遊詩人らしい。今回の護衛が運営お抱えの用心棒ではなくフリーの冒険者だと耳にした彼は、通常料金を払っておきながら、わざわざこの狭苦しい荷馬車を希望したそうだ。
「しがない旅の吟遊詩人ですが、どうぞよろしくお願いします。私の事は気にしないで、どうか普段通りにして頂けると幸いです」
芸人根性も大概にしろよ。狭いのに。
この吟遊詩人はサキさん程逞しい体格ではないが、背丈は180センチを超える長身だ。ティナとはまた毛色の違う銀髪の持ち主で、ヘアスタイルは音楽の教科書に載っていそうな横ロールでキメている。
「手入れが大変そうな髪型ね」
「フフッ、これはカツラですよ。地毛だと寝癖が付いてしまいますからね」
こいつの変な髪型については俺も何か言ってやりたかったが、ティナがオブラートに包んで先に突っ込んだ。こんな変なカツラ、一体何処で買ってきたんだよ?
「では、カナン行き、これより出発しまーす!!」
サジルさんの大きな掛け声と共に、サジルさんの客車が走り出した。
その後ろにもう一台の客車が続き、俺たちが乗る荷馬車は最後尾を走る。道中はずっとこの並びで行くんだそうな。使用人の男が俺に逐一説明してくれる。
荷馬車が街を出て暫くの間、みんなで街の方を眺めていたのだが、街中では建物と城壁で見えなかった王城が姿を現してくるのが見えた。
高さはそれ程でもないと思うが、結構大きな城だ。
黙々と走る中、眺めていた城も街もすっかり見えなくなり日も高く昇った頃、暇なのも結構つらいが荷馬車の中は風が抜けないので酷く暑い事に気が付いた。
「これは暑苦しいわい」
サキさんも暑いらしい。鎧と長袖のインナーシャツを脱いで、半袖になっていた。
ティナもエプロンを取ってただのワンピースになり、タイツと靴も脱いでいる。
しがない吟遊詩人はいつの間にか下着一枚のパンツマンになっていて、サキさんの目線を奪っていた。対抗して脱ごうとするサキさんを止めようと思ったが、奴は手遅れなのでもう放っておく。
俺もサキさんみたいに長袖のインナーシャツを脱ぎたかったが、一度上半身裸になる必要があるので、胸当てを外して上着のチュニックだけを脱いだ。
ハードレザーの胸当ては、風も空気も通さないからとにかく暑いし汗をかく。しかも胸の辺りが蒸れるのだ。
上着を脱いだあと、ティナが何か言いたそうにずっとこっちを見ていたが、どうせろくな事を言って来ないだろうから無視しておいた。
しかしパンツマン二体は良いとして、ティナは暑くないのだろうか?
「ボタンを外して背中を開いているから、少しは余裕があるのよ」
そんな裏技があったとは……。
ティナのスカートなら下半身はパンツマンと同じ条件だし、暑いのは俺だけかよ。
俺が暑いと言っているのが聞こえたのか、使用人の男が前の席に出てきても良いと声を掛けてくれる。
これは有り難いと思って、俺は荷馬車の先頭席にお邪魔することにした。
荷馬車の中と違って先頭席は雨避けだけなので風が直接当たって気持ちが良い。
これなら汗で張り付いたシャツもすぐに乾いてくれるだろう。
使用人の若い男二人も、御者のおっさんも、ずっとここに居れば良いよとにこやかに言ってくれるので、俺は後ろのパンツマンの事なんかすっかり忘れて甘えさせてもらう事にしたのだった。
俺が使用人の男たちと雑談で盛り上がっている後ろでは、サキさんとティナも何やら盛り上がっていた。
「わし、今の状態でカラオケに行きたい」
「私もこれでカラオケに行きたいわ」
この二人は、どうやら現実世界の時に異性の声で歌いたい曲があったらしい。
そのうち変なスイッチが入ったのか、突然サキさんが大声で歌い始めた。下手くそだった。
「おかしい。上手く声が出ん」
「男の声帯は女より太くて長いらしいから、女の時よりガッツがいるんじゃないのか?」
「むう。ならば練習しよう」
暫くサキさんの発声練習を聞いていたパンツマンの片割れが、業を煮やしてレクチャーを始めた。そういえば吟遊詩人とか言っていたな。すっかり忘れていたが。
プロの指導を受けると凄まじい勢いで上達しているのが聞こえてくる。サキさん元々は上手かったんだろうな。
サキさんの練習が終わると、今度はティナも歌い出した。
めちゃくちゃ上手かった。
何曲かは本気モードで歌っていたようだ。中には俺が知っているアニメの曲もあったが、話に加わると一緒に歌わされそうなので知らない振りをする。
「高音が余裕すぎて少し押さえないといけないくらいよ」
へえ……今度は俺も、誰もいないところでコッソリ歌ってみよう。
それから先はパンツ詩人が楽器を取り出してきて、ずっと曲の練習をしていた。サキさんとティナで曲を教えて、それをパンツ詩人が演奏するといった具合だ。結局、一泊する休憩所で馬車を止めるまでパンツ詩人の猛練習が続いていた。
休憩所はキャンプ場のようになっていて、テントを張る土台や、小さなコテージもあり、近くには井戸もある。
地面に雑魚寝だと思っていたが、流石何も起きないと言われるだけあってのどかな雰囲気を醸していた。
「今日はここに一泊しますので、我々がテントを張るまで乗客のみなさんは野外テーブルでおくつろぎください。夕食はテントを張り次第作りますので、もう暫くお待ちください」
サジルさんだ。御者は馬を繋いで、他の使用人は手際よくテントを張り、火を起こして食事の準備を行っている。
そのままコテージに入って行った乗客は金持ちの人間だろうか?
テントは20分も掛からずに完成して、食事は街から持ち込んだパンとスモークチーズ、現地で作ったスープと塩味の強いハムだった。
酒もあってか、食事というよりはツマミをメインにしているような感じだ。
折角なので俺も少し飲んだ。サキさんはドン引きするくらいザルだった。ティナは後でやる事があるからと言って飲まないでいる。
食事が終わり辺りもすっかり暗くなった頃、焚き木の前でパンツ詩人が演奏を始めた。
荷馬車の中のだらしがない恰好ではなく、ちゃんとした出で立ちに戻っている。
リュートに似たような楽器だが、見たこともない大柄な楽器を抱えて、ゆっくりとフレーズを繰り返す。客引きの合図のようなものか? 数分もすると乗客の殆どすべてが焚き木を囲んで彼を取り巻く形となった。
「静かな夜のひと時に、楽しい音楽などはいかがでしょう?」
「一発景気の良いやつを頼むよ!」
乗客の一人が言うと、パンツ詩人は軽快な曲を演奏し始めた。演奏を聞く乗客たちは気分良く酒を進めている。
ボタン一つで好きな曲が聞ける世界にいた俺にはわからなかったが、この世界での吟遊詩人は教養もあって尊敬される存在らしい。
軽快な音楽も終わりを告げたとき、パンツ詩人がこんな事を言い始めた。
「本日私は素晴らしい友人に出会いました。是非皆様方にも紹介したい。ニートブレイカーズの歌姫、ティナさんです。どうかお聞きください」
「まじっすか……」
パンツ詩人の前奏が始まると、良い具合に酒が入って調子に乗っているおっさんグループがはやし立てる中、ティナの歌声が響いた。
ティナが歌い出すとその場の全員がぽかんと口を開けて聞き入っている。
荷馬車の中でも上手いと思ったが、もう手加減してないな。しかもこんな曲をこの世界の住人は聞いたことが無いだろう。
曲が終わっても辺りはシンと静まり、焚き木のはじける音だけが響いた。
「す……すげえぞおい!」
「何が起こったのか理解できんかったがとにかくすごかった……」
ショックから覚めた乗客が漏らすと、歓声が沸いた。もっと聞きたいと言われるがまま、パンツ詩人は昼間に覚えた曲のレパートリーを紡ぎ出す。
乗客に混じったサジルさんたちも仕事を忘れて聞いているようだ。
結局三曲くらい歌って終わったが、興奮の冷めない乗客たちはその晩遅くまで酒を飲み交わしていた。
「そいやサキさん、ずっと姿が見えないな」
パンツ詩人の演奏中も姿が見えなかったので辺りを探してみると、木の陰でゲロを吐きながら酔い潰れているサキさんを見つけた。
ティナは歌姫に転職したようだが、サキさんはゲロ侍への転職に成功したようだ。