第553話「三人の時間」
ユナとエミリアの居ない夕食は初めてではないだろうか?
何だか不思議な気分だな。
「安い馬車ではないからの。向こうは向こうで良いものを食っとるわい」
昼間の話が終わってから、何事もなかったかのように振る舞うサキさん。
あんな話をされた後だから、俺の方は思う所もあるのだが。
「流石のエミリアも抜け駆けして食事を取りに来るような真似はできないようだね」
「魔法がバレたら変装の意味がないからの」
エミリアは女商人って肩書きだから、魔法なんか使ったら台無しになる。
今晩は大食漢のエミリアがいないせいか、普段よりも質素な夕食だった。
先に風呂を済ませているサキさんは、暖炉の前で食後の一杯を始めた。
レレはいつまでも屋敷を空けられないからと言って、今日の所は実家に戻った。
「三人で過ごすのも久しぶりだな」
「うむ……」
そういえば、今はグレンとテオ=キラも居ないんだよな。
三人が無言になると、広間の中は薪の弾ける音だけが小さく響いた。
時折、屋根の雪が滑り落ちる音も──。
「凄い音がしたわね」
「石のゴーレムが片付けてくれるだろう」
毎日呼び直す必要があるものの、ゴーレム二体が常に雪かきをしてくれるのは非常に助かっている。
「みゃーこは今ので起きたか」
暖炉の横に置いてある座布団の上で寝ていたみゃーこも、落雪の音で飛び起きた。
この、白と水色の毛並みをした猫っぽい生き物はエミリアの使い魔なのだが、いわゆる国際条約で密猟と密輸が禁止されている聖獣の幼体だ。
以前これがバレて大問題に発展する寸での所でうちに来たのだが、ご禁制の生き物を外に出す訳にも行かず、使い魔としての役割は何一つ果たせていない。
今では完全に我が家の飼い猫だ。
「いっそティナの使い魔になるか?」
冗談半分で呟いてみたが、当のみゃーこはガン無視だ。
どうやらサキさんが齧っているつまみの方に興味があるらしい。
まあいい。俺とティナも風呂に入るとするか……。
風呂の間、俺は昼間の出来事をティナに話した。
「サキさんめ。散々腐り散らしていたくせに、何事も最初が肝心なんだと。何か上手くやってる感があるよなあ」
大分前から薄々考えていたことだが、俺も将来収まるべきところに収まった時、どっちつかずじゃ困った事になりそうだ。
「ええ、確かに最初が肝心だわ」
ティナはしみじみと頷いて見せた。
「私とサキさんは納得するまでの余裕があったから……」
俺なんて目が覚めたらその足で出発だったからな。
今の体に馴染むまでは、しばしば現実味の無い感覚に襲われることもあった。
精神的な負荷から不安定になる事も多かったというのに。
「その時が来たら考えなくてもわかると思うから、大丈夫よ」
「そこがいまいち不安なんだよな」
そんな事を言ってると、ティナは強めに俺を引き寄せた。
「ティナ? んん……あっ、なにして……?」
「ほら、もう女の子の胸の感覚しかわからないでしょ? ここも、こっちの方も──」
「確かにそうだけど……ひゃん!」
「男の子の感覚、思い出せる?」
いや、そこに手を置かれていると思い出す物も思い出せそうにない。
「じゃあ放すわね」
「……………………………………………………」
……待て。
いつだったかまでは錯覚だとしても感覚はあったんだ。
「………………」
かけ流しのお湯が湯船から溢れ出る音だけが響く。
「……ない。なんでだ?」
確かに存在した物のはずなのに、感覚を想像してもそれが正確なのかさえわからなくなってる。
「それはミナトの心が女の子になったから」
「でも……」
「これまで無理して男っぽい振る舞いを続けたせいで、女の子らしく立ち振る舞うタイミングを逃して来たのよ」
ティナの一言に、ああ──! と、合点がいった。
自分でもそれなりに自覚はしていたが、今さらイメチェンするのも何だか気恥ずかしかったので、ずっと先送りにしてきた問題だ。
周りの人たちも今のキャラ付けで納得しているだろうから、いきなり変わったら合う人全員から突っ込まれそうで何となく怖い。
「サキさんみたいに、漢字と書いて漢みたいな生き物なら余裕なのにな」
「たまに素が出た感じで、ゆっくり女の子して行けばいいんじゃないかしら」
それもアリかもしれない。
というか、いい加減のぼせそうだ。
風呂から上がると、酒を飲みながらソファーで寝こけているサキさんがいた。
こいつはいつでも自由でいいよな。