第526話「亀裂」
空気を読まずにナカミチが取り出した釣り竿は、釣り具に詳しくない俺の目から見ても立派なものに見える。
「ちと重いの?」
「木の皮を交互に巻いて、蔓で補強したあと樹脂で塗り固めたロッドなんだが、まだまだ試作段階よ。ただ、強度には自信がある」
ナカミチの話では必要強度を満たしてから軽量化に取り掛かるらしい。
「リールは両軸で作ったけどよ、スプールはハンドルに直結のまま、ブレーキもないんで全部手動だわ」
「クラッチも無しかの?」
「今回はねーな。一応回り止めのレバーを下ろしたら固定されるんで、上手く使ってくれ」
サキさんはナカミチから釣り具のレクチャーを受けているが、横で聞いていてもサッパリ意味がわからん。
「ほら、見て! また釣れたわ」
怪物魚に全く興味のないティナが、空いた竿を使って釣りをしている。
「そのゴツい竿は一本しかないんだろ? まあ適当に頑張って。俺たちは小物釣りに飽きたら村の方に戻るから」
俺も興味がなかったので、サキさんが放った竿で小魚を釣ることにした。
「待て待て、待っとくれ。ミナトとティナとエミリアとレレさんには魚群探知機になってもらわねーと」
「ギョグン探知? ……ああ、氷越しに怪物魚の生命力を探知すればいいんですね?」
ナカミチの要求を即座に理解したエミリアは、凍った湖の上空を飛びながら精霊力感知を始める。
「湖全体しらみつぶしなの? うっわー、怠そう!」
エミリアはともかく、怪物魚捕獲に興味がないレレは露骨に嫌な顔になった。が──。
「この竿で怪物魚と一騎打ちしてやるわい!」
「う、うーん……じゃあ行ってくるよ」
サキさんが怪物魚との戦いを希望するとあっては断る事もできないらしく、渋々ながらエミリアの反対側を飛び始めた。
「言っとくけど俺は魔術師じゃないから。あいつらみたいに空を飛べるわけじゃないからな」
「ありゃ? そうだっけ?」
魔術師と精霊使いの違いがよくわかっていないナカミチは、とぼけたように笑う。
「エミリアさんを止められなかった以上、ミナトさんとティナさんは湖の奥を担当するしかないですね。これ、後でカルカスさんに怒られるパターンですよ」
もはや何の歯止めもかからなくなったところで、ユナが止めの一撃を放った。
こうなっては逃げられない。
カルカスのおっさんの手前、エミリアには村から姿が確認できる範囲で探知して貰うしかない。
本当に嫌々だが、俺はティナの飛行魔法に便乗して湖の奥地へと向かうことになった。
エミリアには村に近い場所を広範囲に担当してもらい、俺とティナは湖の一番奥を担当する。
レレにはエミリアが奥まで行かないように、バランスを取りながら中間地点を探索するように頼んである。
「下手な冒険者よりも強いんだから、放っておいても大丈夫だと思うけどね」
──とは、レレの言葉。
俺とティナもそれには同感だ。
エミリアが本気を出せば、湖の半径20メートルにいる生き物を根こそぎ一掃するくらいの魔力量はあるはず。
「とりあえず俺たちは、一番奥まで行ってみよう」
「一番奥まで一直線に行くの?」
「うん」
気分的には外堀から埋めていきたい。
一番奥から追い立てるイメージでやるのが合理的だろう。
ティナは俺の手を取って、氷面ギリギリの高度で飛行した。
「ちょっと上空に出てみようか? 湖の全形を知りたい」
などと言ってはみたが、高度を取ると目に入る景色は濃淡のある白一色。
「どこから山で、どこまで湖なのかもうわからないな……」
「谷の形に沿って湖が続いているなら、結構深い場所まで続いているわね」
湖の形状は、村の方を頭にした巨大なオタマジャクシのようにも見える。
ただ、尾の部分がどこまでも続いているように見えるから、そこがちょっと気掛かりだ。
「ずっと奥まで川が続いているようだと困るな」
上空からはいくらでも遠くを見渡せるが、今俺たちが見ている地形の先は、確実に村人たちの生活圏からは外れていると思う。
「せっかくだ。湖の一番奥がどうなっているのか確認してみよう。後でカルカスのおっさんに報告しておけば、湖で何かあった時の保険になるかもしれん」
「もう少し高度を落として飛ぶわよ」
俺とティナは、渓谷の真ん中を飛びながら奥地を目指す。
何もかも白く包まれた世界は幻想的に見えるが、左右にそびえる山々に視界を遮られた状況では、否が応にも閉鎖的な感覚に陥ってしまう。
「崖が見える。行き止まりか?」
谷はさらに狭く峡谷の様相を呈してきた頃、目の前に大きな岩の壁が現れた。
その頃になると、ここいら一帯の山もすべてが岩だらけ。
あれほど生い茂っていた木々の姿は消え去り、無機質な岩山の谷へと変貌していた。
「壁に亀裂があるわね」
行き止まり。
しかし目の前の崖には、車が一台通れそうなほどの亀裂が走っている。
「裂け目の天井は雪と氷で塞がっているのか。クレバスの底にいるようなものかな?」
なんにせよ、コイス村の湖から続く川はここでおしまい。
「あら? これ……」
じゃあ引き返すかと思ったとき、ティナが疑問の声を上げる。
「この壁って、岩じゃなくて氷みたいよ」
「いや馬鹿な……」
目の前にそびえる垂直の崖、30メートルかそこらはありそうな高さ。
勝手に岩石だと思い込んでいたけど、表面の雪を水で流したら氷の“地肌”が出てきた。
「長年の雪が凍って氷の崖が出来たのかも?」
「それだと左右の岩山も氷に覆われていないとおかしいわよ」
確かに。
「…………」
亀裂の奥を覗いてみる。
雪と氷で閉ざされた天井は、昼の明るさが透けてうっすらと水色の光を放っている。
「ちょっと入ってみようか?」
世界の謎を突き付けられた気分。俺は少し興味が沸いてきた。
俺が亀裂の中を探索したいと言ったら、ティナは頭上に障壁の魔法を展開した。
「これで天井から氷が落下しても一度は耐えられるわ。あとは全方位のライトと、床はツルツルの氷だから飛行したままの方が良さそうね」
「じゃあ俺は精霊感知でもしておくかな」
これまでの経験で、俺たちも手際がよくなったものだと思う。
何か忘れているような気もするが、俺はティナと手を繋いだまま亀裂の中へと足を踏み入れた。