第509話「浮力の精霊魔法」
まるで冷凍庫のような自室で水着に着替えた俺たちは、再びダレンシア王国の入り江まで移動した。
「日焼け止めの液も試してみますか?」
「お願いするわ」
テントの下には茣蓙が敷かれて、ティナはうつ伏せに寝転ぶ。
「では、行きますよー」
ユナの手が、ティナの背中を這う。
これは絶対に背中だけでは終わらないパターンだ。
「うぅーん……」
いつもの調子でされるがままのティナを横目に、俺はテントの外に出た。
日陰から出た瞬間、強い日差しが牙を剥く。
「ミナトさんは日焼け止めしないんですか?」
「ああ、どうせ海に入ったら全部流れていくだろうしな」
俺は準備体操よろしく適当に伸びをしてから、サキさんの元へと向かう。
「また赤褌か。いい加減、普通の水着にしたらどうだ?」
「…………」
俺が赤褌を指摘すると、サキさんは無言のまま尻をTバックにしやがった。
そんなに気に入っているのなら、もう何も言うまい。
「海なんて十数年ぶりだ」
「わしはもっとである」
俺とサキさんは波打ち際に立って、海水の温度を確かめる。
透明な水に飲まれた足元には、キラキラと光る砂の粒子が舞う。
「思ったより冷たいな……」
「うむ……」
あまり長く海の中に入っていると、唇が紫になるやつだ。
日差しの暑さと海水の冷たさのギャップに泳ぐのを躊躇っていると、日焼け止めを塗り終わったティナとユナもやってきた。
「ひゃあ! なによこれ? 冷た過ぎない?」
「確かにちょっと冷たいですね」
冷たいと言いながらも、ユナは一人で胸まで浸かって、そのまま泳ぎ始めた。
「負けとれんわい!」
何の勝負か知らないが、サキさんもそれに続く。
「元気良すぎだろ。風邪引かなきゃいいが……」
こまめに上がってくれば大丈夫か?
ユナとサキさんは海水浴を満喫しているが、俺とティナは膝辺りまでが限界だった。
海水の冷たさに慣れないからと言って、このままテントに引き籠るのはもったいない。
俺とティナは海での冒険を見越して、魔法で水を操れないか実験することにした。
「精霊魔法で海水の制御は難しいな。ずっと何かに引っ張られるような感覚だ」
海中でも水の精霊ウンディーネを行使できるが、どちらかと言えば上位精霊クラーケンの影響に当てられてしまう。
これは淡水と海水の関係性ではなく、純粋に海が広大過ぎるからだろうな。
「……どお?」
「海の水を直接どうにかするのは無理そうだ。手に取った海水を真水に変えるとか、水の精霊に働きかけて対象の浮力をコントロールする事ならできそうだが」
汚水を真水にする魔道具なら家の調理場にもあるし、海水を飲めるように出来てもあまり意味は無いか……。
そもそも水の精霊が近くにいるなら、直接真水を出せばいいだけの話だからな。
「浮力はどのくらい変えられるの?」
「実践してみよう」
俺は水の精霊に働きかけて、自分の浮力を目一杯上げてみた。
すると、最終的には水の上を歩ける程の浮力を得た。
「あ、これいい。足を沈めようとしても、それ以上の力で押し返してくる」
感覚としては、発泡スチロールの下駄で水面に浮いているような気分だ。
「面白いわね。海面の滑りはどんな感じなの?」
「浮力が強くても海面は滑らないな。しっとりしたゼリーの上に立ってるような感じがする」
というか、さっきから足元がうねうねと波を打っていて気持ちが悪い。
俺は精霊魔法を解く。
海に落ちても溺れない魔法を習得したが、波の高い外洋で使うと怪我をするかもしれん。
「浮力を操作すれば、魚を海面に浮かせることもできそうだ。息が続くなら水中に沈むこともできるだろうな」
「精霊にお願いするだけでその効果が出るのよね? 魔法だと複雑になり過ぎて無理そうだわ」
この後、ティナも同じような事を魔法でやろうとしたが、浮力の操作は出来なかった。
むしろ浮遊の魔法で直接対象を操作する方が簡単だと言った。
「やっぱり魔法と言えば、物理法則を完全に無視したやり方が一番だろう。例えば海を二つに割るとか……」
「入り江の規模なら二つに割れるかもしれないけど、魔法が解けたときに海の水がどう暴れるか想像が付かないわ」
せっかくの入り江が台無しになるのはまずい。
やはり大掛かりな魔法は何処か安全な場所で試さないと駄目だな。