第491話「ダレンシア王国の山」
翌朝、外の様子を確認してみると、昨日のような吹雪きはもう止んでいた。
が、ストーンゴーレムの力をもってしても、除雪作業が間に合っているとは言い難い。
ちなみに吹雪は止んでいるが、雪自体はまだ降り続いている……。
「日が照っているのに雪が止まんとはな」
「西の空からまた雲が来てるわ……」
この冬最後の悪足掻きとでも言わんばかりの様相だ。
俺はいよいよ家に居る気が起らなくなって、今日はユナたちとダレンシア王国へ行くことに決めた。
「向こうは夏服でいいかな?」
「首都シアンフィに入るまでは、なるべく肌を露出しない方が良いと思います」
ユナにアドバイスされたが、あいにく長ズボンといえば作業着しか持ち合わせがない。
まあいいや。
今日はスカートにタイツでも合わせておこう。
ティナもそうするつもりのようだ。
「今日はミナトさんたちも来るんですね?」
俺とティナの服を見て、エミリアが確認をするように聞いてくる。
「昆虫採集はしないけどな」
暖炉の火は強めにしているが、ダレンシアの気候を見越した服装ではやはり寒い。
俺たちは手早く朝食を済ませてから、一人ずつテレポーターの上に乗った。
「グレンもおいで。暖かい所よ」
「行ク! 行ク!」
グレンも来るのか? じゃあ暖炉の火は消しておかないとな……。
俺は炭になっても燃え続けている薪に灰をかけた。
テレポーターで移動した瞬間、真夏のような周囲の明るさに俺は目をやられた。
目頭を押さえて座り込むと、今度は四方八方から様々な「音」が耳を刺激する。
しんと静まり返った冬のオルステインとは全てが真逆の世界──。
「ミナトさんもティナさんも、大丈夫ですか?」
「うん……神経がびっくりしただけ……」
「頭が痛くなりそうね。気候違いの長距離テレポートも考え物だわ」
連日慣らしてきたユナやエミリアと違って、ここ一月ほど薄暗い家の中に居ることが多かった俺とティナは、陽の明るさに慣れるまでに時間を要した。
「登り坂なのか? 今はどの辺りにいるんだ?」
「この峠を抜けたらシアンフィまであと一息のところですよ」
今俺たちがいる場所は、北東にあるボルゴナ王国から続いている山脈の末端だ。
大きく迂回すれば平坦な街道もあるらしいが、どのみち馬単騎なので峠ルートを選択したらしい。
「西に迂回するより大分早いらしいです。古い街道なので危険ですけどね」
「巨大ムカデも出るらしいので、みなさん注意してくださいね!」
なるほど。
早く目的地に着きたいユナと、巨大ムカデが欲しいエミリアの利害が一致した訳だ。
「それにしても、日本の山奥みたいな風景だな……」
鬱蒼と生い茂る草木。
所々にある大きな岩肌を除き、隙間なく緑で埋め尽くされた山。
下の景色を覗こうにも、手前の植物が邪魔をして視界が悪い。
そして、やかましいほどに聞こえてくる生き物の音と声。
「殆ど虫が鳴く音か?」
幸いなことに、猛獣を予感させるような低い唸り声は聞こえてこない。
それにしても、エルレトラの山林地帯とは全く毛色の違う山だな。
「見て見て、凄いトンボが飛んでいるわよ」
俺たちの目の前を、30センチ超のトンボが「二両編成」で飛んで行った。
全身が黄色と黒の縞々模様。
工事現場か踏切のように目立つトンボだ。
あんなのに噛まれたら大変だと身構えるも、こちらに興味はないらしい。
2匹のトンボは尻尾の先で結合したまま器用に飛んで行った。
「よし。ここの環境にも慣れてきたぞ。そろそろ出発しようか」
「グレンとミナトさんはこっちにどうぞ。ティナさんはエミリアさんの方にお願いします」
俺たちはユナの指示に従って、それぞれの馬に乗る。
ユナが公都エルレトラで買った二頭の馬は、それほど強靭さを感じさせない細めの馬だ。
「駿馬の一種で、元々こういう子なんです。輸出先ではスラっとした馬の方が人気があるんですよ」
そうなのか。
少し不安になる細さだが、二人乗りの登り坂でも特に音を上げるような気配はない。
俺は安心して、周囲の景色を楽しむことに集中した。
俺たちが移動を始めてはや一時間──。
この間にも、結構ヤバ目な蛇を見かけたりしたのだが、どれも襲ってくる気配は無いし、今のところ警戒は取り越し苦労に終わっている。
「この国はゴブリンがいないそうですよ」
そうなのか?
「西から南下するとバハールの大草原があるし、南東はボルゴナ王国の巨大山脈に阻まれているせいで、ダレンシア王国まで辿り着けるゴブリンはいないそうです」
それは平和だな。
ちなみにオルステイン王国の東隣りの国、マルスヘイム王国にはゴブリンが生息している。
「待ってください!」
突然、エミリアが制止の声を上げた。
俺とティナは、咄嗟に精霊力感知でエミリアが指差す方向を確認する。
「何がいるの?」
「こちらを見てます」
俺がエミリアと同じ目線に合わせて確認すると、猿の群れがこちらを見ていた。
猿の個体はそれほど大きくはないが、群れの大きさは不明だ。
『………………』
俺たちと猿の群れはしばらく無言で相手の動きを観察していたが、やがて群れの中の一頭が奇声を上げると、猿の群れはやる気をなくしたような態度で山の奥に消えた。
「なんだったんでしょうか?」
「街道に出てくるような猿だし、人間が食い物を運んでいないか確認したのかもな」
「さる? あれは魔物ではないんですか?」
そうか、オルステイン王国には猿がいないんだな。
その後面白半分で猿が人間を支配する未来の物語をエミリアに話してやると、途中からエミリアの顔色が悪くなってきたので、作り話だと訂正しておいた。
何でも知っていそうなエミリアだが、国外の知識には乏しいようだ。