第485話「通過点」
荒い息遣いと共に、ティナの体温が激しく上昇しているのがわかる。
明らかな異常事態。
だがその原因が魔力によるものでは、今の俺にはどうすることもできない。
あまりにも動揺した俺の心臓は、やかましいほどに強く鼓動している。
(力の代償じゃよ。間に合うて良かったじゃにゃーか)
テオ=キラは床に転がったまま、特に慌てることも無く淡々と言った。
(確かにこの娘の中には、人ならざる魔力の器があったわ。別の世界からこちら側に来る途中で、いわゆる『拾い物』をしてしもうたんじゃな。変に融合しちょるから、暫くの間は無理やり魔法が使えたんじゃろ)
あの魔法陣で召喚される最中に起きた副作用が原因だったか。
やはり俺たちが辿り着いた結論と同じ所に落ち着いたな……。
(副作用かどうかは知らにゃあで)
一番の問題は、ある日突然魔力が回復しなくなった原因の方だ。
(ぬしらは悪魔憑きじゃないけん、いずれは体内に取り込まれた悪魔の残り香も消えてゆこう。拾い物の器も然り。本来あるはずのない繋がりは徐々に薄れて行き、最後は自分自身の魔力の器に繋がったのじゃろうて……)
以前、ヨシアキからも似たような話を聞いた。
馬鹿みたいに早かった傷の治りが次第に遅くなってきたって話、その話とも繋がる……。
(問題はその先じゃな。繋がりは断たれてもすでに融合した魔力の器は消えぬ。活性化したままの状態で行き場を見失うとるんじゃ。今は溢れた魔力が自分自身の器に流れ込む事で人体への悪影響を押さえておるが、いつまでもその状態を維持できるわけがにゃあ)
「それで拾い物の魔力の器と、ティナ本人の魔力の器を繋げたのか……」
ティナの魔力は完全に枯渇したわけではなく、毎日少しずつながら回復しているとも言っていた。
ここまで色々な状況が噛み合ってくると、流石にテオ=キラの話を信じるしかない。
(中途半端に繋げてもロクな結果にならん。かわいそうじゃが手加減なしで繋げたんじゃ。見た目通りの年端なら廃人になるじゃろうが、この娘なら大丈夫じゃろ)
紙一重で廃人になるようなことを、事前に教えることも無くいきなりやりやがった。
(身構えた状態では深層に触れられん。しょうがにゃあで)
あっけらかんと言い放つテオ=キラに苛立ちもするが、それは後に取っておく。
「あ……あ……、ああ……く…………」
ややあって、硬直したティナの体から、少しずつ力が抜けていくのを感じた。
目はまだうつろ、口の端からはよだれを垂らして、魂のない声を出す。
俺は自分の足元を伝う熱に動じることもなく、ただティナの体を支えていた。
テオ=キラがティナの器を繋げてから、随分時間が流れたと思う──。
「ミナト、風呂ノ湯ハ、ソロソロ良イゾ」
あれから俺は、暖炉の中に隠れているグレンに頼んで、風呂の用意をしてもらっていた。
「よし。グレンもティナの背中を持ち上げろ」
俺は未だに意識の戻らないティナを正面から抱き上げた。
ティナの軽さなら、俺一人でも運ぶことができそうだ。
流石に階段の上り下りは難しいと思うが……。
今回はグレンも協力してくれたので、風呂場までは楽に運ぶことができた。
「ベルト以外の服は全部、そこのタライに入れておいてくれ」
「ウム」
「ついでにタライにも湯を張ってくれ」
「ウム……」
俺はティナの長い髪が濡れないようにタオルで巻いてから、汗だくになった体を洗う。
脊椎から力の抜けた人間の扱いにくさは尋常ではない。
俺はティナを抱き抱える方向を変えながら、両手を駆使して全身を洗った。
直に肌が触れ合うとわかる体温の異常な高さ。
これは多分、湯船に浸けたりしない方がいいよな……。
「グレン、二階の部屋から浴衣を取ってきて。白と薄い紫のやつだ」
「マカセロ」
こういった状況だと、上から下からと着せる服では難しい。
以前サキさんが縫ってくれた浴衣が、まさかこんなところで役に立つとは。
もう下着はなくてもいいだろう。
俺はグレンが持ってきた浴衣をティナに着せてから、暖炉前のソファーに座らせた。
意識はないに等しいが、体は覚醒しているし、横にするかは迷うところだ。
(あんのー……ちょっとええでしゃろか?)
ティナの方が終わるのを待っていたかのように、テオ=キラが震えた声を出す。
(そろそろ床に放置やめたもれ。あと、綺麗に洗うて欲しいちゃ……)
仕方ない。こっちの方も片付けるか……。
ティナの様子はグレンに任せて、俺は床を掃除しながら、テオ=キラへの質問を続ける。
「レスターの話だと、人間の魔術師が言葉で魔法を操れなくなった原因は、神の逆鱗に触れたせいだと聞いているが、本当のところはどうなんだ?」
(しらにゃあ)
「塩漬けの重しにしようか──」
(待て待て、ほんまに知らんのじゃ。わらわの本体が消滅したのも丁度その辺りじゃから。気付いた時には世界が様変わりしちょった)
エスタモル時代の終焉は、激動の夜明けでもあったからな。
テオ=キラも騒動に巻き込まれてしまったのだろうか?
せっかく家に神様がいると期待したのだが、簡単に新事実発見とはいかんようだな。
(人間だけは神の創造物ではないからの。危険視はされど、基本的には愛されてにゃあで。なぜか人間どもは、神に祈れば助けてくれると思い込んじょるがの)
神が実在する世界なのに、困った時の神頼みは通用せんのか?
そういえば、レスターの詩でも人間は神に見放されていたよなあ……。
なんていう詩だったかな……。
ミラルダの町で聞いた詩なんだが。
一通りの片付けが終わった頃、テレポーターからユナとエミリアが帰ってきた。
「ちょっとティナさん!? ミナトさん、何があったんですか!?」
当然の事ながら、俺はユナから質問攻めにあう。
「エミリアも一緒に聞いてくれ。実は……」
俺は今日の出来事を、ユナとエミリアに説明した。
「そんなことが……。それで、本当にティナさんは大丈夫なんでしょうね?」
ユナは銅像をわし掴みにして、テオ=キラに問う。
(やだ……この子怖い……)
わりと本気で怒ってるユナにふざけていると、新しい発明の実験台にされかねんぞ。
「つまるところ、本来の器に規格外の魔力が流れ込んだショックですよね? エミリアさんならこういう時の対処法もわかるんじゃないですか?」
「確かに、資質に恵まれた幼い生徒の中には、似たような症状を引き起こすケースもあります。ですが今のティナさんでは、器から魔力を取り出してもすぐに新しい魔力で満たされると思いますから、知恵の神の助言通り、本人が耐えきるのを信じて待つしかありません……」
エミリアは半信半疑なのか、訳の分からない自問自答をぶつぶつと繰り返すばかり。
ユナとエミリアが話に加われば、少しは状況が好転すると期待していたのだが。
余計に場が混乱してしまった。
「ああ……、今日の夕食はなんでしょうか……」
テオ=キラが邪神じゃなかった件といい、情報の荒波に飲み込まれたエミリアは現実逃避を始める。
「む? 随分賑やかになっとるの?」
そこへ銭湯帰りのサキさんが帰って来た。
俺はサキさんにも、ユナとエミリアにしたのと同じ説明を繰り返す。
「とりあえず米を炊くのだ。今晩はわしがおかずを買って来るわい。話はそれからだの」
サキさんは慌てる様子もなく、調理場から適当な容器を見繕って家を出た。
相変わらずマイペースな男である。
まあどれだけ心配しても腹は減るので、ここはサキさんの言う通り、米だけでも炊くことにしよう。