第482話「喋りはじめた銅像」
何かの間違いであって欲しかった……。
ティナの言う「誰かの声」の主だが、俺とグレンには心当たりがある。
俺は暖炉の棚の上に置いてある「邪神の銅像」を睨んだ。
「…………」
「まさか、あの銅像が喋ってるの?」
(ハァ……。ようやく気付きおったか。娘よ、わらわを手に取るがよい)
前回は全力で聞こえないフリをしていたが、ここまで明瞭に聞こえてしまうと認めざるをえない。
直接頭の中に響くような声だ。
以前エミリアとテレパシーの魔法で話した時もこんな感じだった。
(警戒せずとも良い。銀髪の娘よ、早う、わらわを手に取らんか)
幼子の声にも聞こえるが、声質が安定しているので、声の主は大人だろう。
「私のことよね……」
「ティナ、ソレニ触ルナ! コ奴ハ魔力ヲ吸ウ!!」
ついつい素直に言うことを聞きそうになるティナを、グレンが制す。
そうだ。
この邪神の銅像は、前回グレンの魔力を吸ったのだ。
「ティナの魔力を狙っているようだが、そうはさせんぞ」
俺は暖炉の隅に立て掛けてある炭バサミを手に取る。
(む!? 貴様何をするうわーーーっ!)
俺は邪神の銅像を、灰まみれの炭バサミで挟んでから、テーブルの上に置いた。
俺とティナとグレンはテーブルに対峙して、邪神の銅像と向き合っている。
この銅像のモデルとなったのは、邪悪な知識を司る「テオ=キラ」という邪神らしい。
いまいち断言できないのは、普通の人は知らないマイナーな神様である事と、レスターから聞いた情報を真実であると仮定して話を進めているからだ。
「お前は邪神らしいな? 名前はテオ=キラ……、知識の神ヴァルナとは対極の存在だ」
(…………)
邪神の銅像は、だんまりを決め込む。
「マンティコアのヴァンゴは知っているな? あれは俺たちが討伐した。奴が溜め込んでいた本当にヤバそうな魔法の本は処分してやったぞ。何か言いたい事はあるか?」
(……………………)
俺はわざと挑発的な物言いをしたが、邪神の銅像は反応を示さない。
「もしかして魔力が切れてるんじゃないの?」
それも考えられる。もう一度グレンの魔力を吸わせてみようか……。
「嫌ダゾ! 絶ッ対ニ嫌ダッ!!」
「一瞬だけでいいから」
「コイツ、容赦ナク魔力吸ウ。前ニ吸ワレタ分、マダ回復シテナイ」
まだ回復してないの? それはいかんな……。
一体何なんだろうな、この銅像は。
俺やエミリアが触ったときには、特に何も起こらなかったのだが。
「私が触ってみるわ。もし魔力を吸われても、死ぬことは無いだろうし……」
かなり心配だが、状況が動くとすればティナが銅像に触るしかないだろう。
仮にティナの魔力が尽きたとしても、グレンのように存在が消える訳ではないから、その点では安全と言える。
『…………』
ティナの手がゆっくりと銅像に伸びていく。
指を払うようにして、一瞬だけ銅像に触れてみたり──。
「特に何も起こらないわね」
徐々に銅像に触れる時間を延ばしていくが、何も起こらない。
「何もなし?」
「ええ……。壊れてはいないと思うけど……」
そう言ってティナが銅像を持ち上げた瞬間、頭の中に大きな笑い声が響き渡る。
(にゃははははーーっ! 死んだフリに騙されるとは馬鹿な娘たちびょーーッ!)
これはマズいと感じた瞬間、俺は炭バサミで思いっきり邪神の銅像をぶっ叩いていた。
テーブルの上に舞い散る灰の粉。
吹き飛んでいった邪神の銅像は、調理場側の壁に激突する。
まさか死んだフリをするとは!!
今のはティナの握力が弱かったのが幸いして事なきを得たが、冷汗が噴き出た。
「ティナ! 何もされなかった?!」
俺はティナの手を取って、どうにもなっていないかを確認する。
「ありがとう、大丈夫よ。魔力も吸われなかったわ……」
「これは危険だな。魔術学院で封印するか処分して貰おう。いや、サキさんの伝手を使ってマレンティ神殿に納めてしまうか……」
(ままま、待っちくり! 今のは冗談じゃけん! わらわを邪神などと抜かしおるから、ちょっとビビらせてやろうとしたまでよ。真に受けるでない)
邪神の銅像は壁の方を向いたまま必至に弁明を始めた。
もう信用できないだろ……。
とりあえず俺は、炭バサミで挟んでもう一度テーブルの上に銅像を置いた。
(おい小娘、これでも一応神の『ヒトカケラ』じゃぞ。もっと恭しく扱わんか!)
当然のように抗議の声。
「次に変な真似をしたら、マレンティかヴァルナの神殿に納めてやる。魔術学院なら面白がって遊んでくれるかもしれんが、神殿は冗談が通じない所だからな」
(…………)
またダンマリか。
「よーし、今から神殿に持って行こう」
俺は邪神の銅像の頭を、炭バサミでべちべちと叩いた。
(やめーや)
かなり不機嫌そうな声が脳内に響く。
「ねえ、あなたは本当にテオ=キラなの?」
(そうとも言えるが、そうでないとも言える……)
邪神の銅像は考え込むようなアクセントを付けて、勿体ぶった言い方をする。
(テオ=キラという存在はとうに滅びてしもうたが、この愛らしい銅像に宿ったテオ=キラの欠片は今も存在し続けておる。じゃが本体とは袂を分こうておるゆえ、わらわの個は最初から独立した存在なのじゃ。ゆえに、テオ=キラから生まれた別の存在と言えばそうであるし、テオ=キラの一部であるからテオ=キラであると言えばそうでもあるのじゃ)
言ってることはよくわからんが、こいつが理屈臭いことだけはよくわかった。
「まず、その銅像が愛らしいと言う部分から意味不明だ」
若干キモ可愛い雰囲気は出ているが、俺の美的感覚では完全にアウトな造形……。
本当に可愛かったら、エミリアの部屋に投げていくような真似はしなかっただろう。
(かーーっ! まったく失礼な小娘じゃのう。この愛らしい銅像はな、テオ=キラが自らの欠片を人間に分け与える条件として、世界一の芸術家に作らせた銅像を依り代に据えるという約束の元に用意された逸品ぞ。みゃあ小娘ごときでは芸術なんぞ知る由もないか。それは恥ではないぞよ?)
むかつく。
俺は無言で脱衣所の鉄鏡を持ってきて、邪神の銅像の前に置いてやった。