第481話「精霊魔法の報告」
翌朝、まだ足元がおぼつかないまでも、何とか一人で立ち上がれた俺は、少し遅れて朝の支度を終える。
「もう一人で大丈夫なの?」
「昨日と比べたら、かなりマシになったぞ」
「そう、なら良かったわ」
これ以上ティナに心配をかけたくないと思った俺は、少し無理をして答えたのだが、その返事は少し寂しげに聞こえた。
「今日のお昼までにはダレンシア王国に入りますが、一番近くにある町までは、まだ一日近くかかります。馬を売るなら東に移動しますが、海の絶景を楽しむなら南西でしょう」
いつの間にか現れていたエミリアが、ユナと今日の打ち合わせをしている。
「私の知るところによると、ダレンシア王国は国土の西半分が未開の土地だそうです。蛮族の集落が点在していると思われますが、国の管理が行き届いていないので、当然現地に生息している危険な生き物も野放しですね」
「ダレンシア王国までのテレポートを確立できれば、後は好きなようにできます。まずは真っすぐに南下ですね。西側にあるボルゴナ王国とハザーン聖国も気になる所ですけど、まずはダレンシア王国の首都シアンフィを目指そうと思います。そこにはシーランドを経由して来る新バルド帝国の貿易船が行き来するそうなので、時期が良ければ一番高値で馬が売れると考えています」
「……そうですね。時期を逃すと台無しですから、まずは馬の売却を優先するのは間違っていないと思いますよ」
何だか俺の入る余地は無さそうだな。
ユナとエミリアの目的地は、ダレンシア王国の首都シアンフィになりそうだ。
以前読んだ言語関連の本に載っていたが、シアンフィは大きな港町らしい。
シーランドと新バルド帝国とは交流があるらしく、オルステイン王国に運ばれてくる舶来品の多くが、シアンフィを経由して輸入されている。
ちなみに、年中荒れ狂っている西側の海上ではとても航海できるはずもなく、全ての輸入品はバハールの草原地帯を経由して、公都エルレトラの貿易倉庫に収まるそうだ。
エルレトラ公国がオルステイン王国の一部であるにも拘らず、公国として独自の体制を任されている背景には、こういった事情も含まれている。
「ユナとエミリアは、もうしばらく移動が続くと見ていいかな?」
「国境を過ぎても雄大なジャングルが広がっているだけですから、海が見えるまではどうにもならないと思いますよ」
タイミングよくサキさんも帰って来たから、このまま全員でダレンシア王国に雪崩れ込んでやろうと考えたりもしたが、それはもう少し後の話になりそうだ。
「わしはどのみち、今日は鎧の修理に行かねばならんからの。そのあと銭湯に寄るゆえ、帰りは何時になるか知らんわい」
そうか。まあいい。
獅子奮迅の活躍で疲れただろうから、ゆっくり休んでくれ。
俺も今日は家で休む。
本当はミゼルさんに会いに行きたいところだが、途中でへばったらまた迷惑になるしな。
「私も今日は一日家にいるわ」
そんな感じで、今日の俺たちの予定が決まった。
ユナとエミリアの二人は、いよいよ夏服の上に長袖を着た格好でテレポーターに消える。
サキさんは、風呂敷の中に全身鎧を包んで防具屋に行った。
今家に残っているのは俺とティナの二人だけ。
そしてグレンといえば、相変わらず暖炉の火の中だ。
「…………」
家の中にいるというのに、俺の意識はまだ迷いの森の中にいるような気分だ。
あの森での戦いや、不安を掻き立てる暗闇の記憶が今も脳裏に蘇る。
誰にも頼れない場面では強がって見せたものの、今になってその反動が来た。
「あぁーん……やっぱり『ここ』が一番落ち着くなぁ……」
俺はソファーの上で、ティナの小さな体に抱きついた。
いつもと何も変わらない、いい匂いがする。
服とブラの感触しかしない膨らみかけの小さな胸もいつも通り。
──最後の一言は口が裂けても言えないが。
「ミナト……本当に無事でよかったわ……」
ティナは揉みくしゃにするほど強く抱き返してくる。
『………………』
俺とティナは互いの心と体を確認し合うように、何度も何度も抱き合った。
「やあ、おはよう! サキさんはいるかな?」
「!?」
テーブルの方から、やたらテンションの高い声がした。
レレがテレポートしてきたのか?
「あ、あ、あはは……。お取り込み中だったかい? 続けて。ごめんね。出直す」
首だけこちらを向けたレレは、真っ赤な顔で硬直したまま消えた。
……何しに来たんだ一体?
「そんなことより、ミナトも髪が伸びてきたわね。そろそろ結んだりできるかしら?」
ティナは俺の横髪を持って、あれこれと弄り始める。
中途半端に結ぶと髪が跳ねて幼く見えるから諦めていたが、これからティナやユナみたいに選べる髪形が増えていくと嬉しいな。
ようやく気分も落ち着いた頃、俺とティナは互いの成果を報告し合うことにした。
俺の方からは、精霊魔法についての報告。
「コレットのレクチャーでとりあえず使えたっていう話だから、まだここ一番でアテになるかは未知数だな」
「その場に精霊が発生していないと使えないのね……」
「その代わり、精霊魔法は言葉で指示や要望が出せる。戦闘中にも精霊魔法を使ったけど、頭の中だけでイメージして使う魔法よりも即応性は高いと思った」
魔術師の魔法にしろ精霊魔法にしろ、どちらも一長一短ではあるが。
何だかややこしいから、魔術師が使う魔法と、精霊術師が使う精霊魔法を区別する言い方はないものか……。
「定着しなかったようだけど、古代の魔術師が使っていた魔法を『古代魔法』、今の魔術師が使っている魔法を『近代魔法』と呼び分けていた本があったわ」
いいな。それを採用しよう。
古代の魔術師と近代以降の魔術師では、魔法の強さや発動の条件がまるで異なるからな。
特別な拘りがない限り、この方がわかりやすい。
「あと、俺たちは最初からエミリアの言い方を聞いていたから『魔術師』とか『精霊術師』の呼び方に慣れていたけど、どうも世間一般では『魔法使い』とか『精霊使い』って呼び方をするのが普通らしいな」
「魔術学院だと『術師』って言葉を使うわね。今は少数派になってるけど、錬金魔法を研究している『錬金術師』っていう人たちもいるみたいよ」
錬金術師は初耳だが、恐らくその辺のマイナーな術者もひっくるめて、世間では『魔法使い』と呼んでいるのだろう。
話が逸れてしまったが、ティナの方は俺が王都に運び込まれて以降、図書館通いを辞めていたため、その後の成果は得られなかったようだ。
「あと、これは気のせいかもしれないけど、ミナトが家を出た日から、誰かの声が聞こえるような気がするのよ。最初はグレンの独り言かなと思ったけど……」
「アノ声……、俺デハナイゾ……」
寝ているんだと思っていたが、暖炉の中から顔だけを出してグレンは否定した。