第480話「サキさんの原点」
今日の夕食は……本来ならサキさんの帰還祝いとなるところだが、それは俺が全快するまでのお預けとなった。
俺の食事はほんのり塩味の効いたおかゆだ。
エミリアが上手い具合に体力の消耗を抑える魔法をかけていてくれたせいもあり、半日起きていただけでも明らかに体調の戻りが早い。
「何かの事故で意識が戻らなくなる魔術師もいますから。肉体を維持する知恵はわりと昔からあるのです」
エミリアを見ていると変な研究ばかりする魔術師も多そうだから、普通に納得した。
「わしは今回の浄化聖祭に参加してしみじみ羨ましいと感じたが、やはり美少年の従者が欲しいと思うわい!」
「ぐぶッ!」
横で汁を啜っていたユナの鼻から何かが垂れた。
「サキさん、食事中だ」
「いいや黙らんのじゃ! やはりわしの原点は美少年萌えであった。主が用足しのさいも、年端もいかぬ美少年が腰の装具を外して、最後まで世話をしてくれるのだ羨ましい!」
『……………………』
この男、まだ一滴も酒が入って無いのにこれだ。
信じられるか?
最近すっかり忘れていたが、こいつはこういう男だったな。
「エミリアよ、王都にはレンタル美少年のサービスはないんかの?」
「何故か心が揺れ動く甘美な響きですが、そんなサービスはありません!!」
俺だったら良く知らん男よりも、身近にいて裏表まで分かっている相手の方が安心できるのだが……。
「美少年はいずれ手に入れるとして、明日は防具屋に行ってくるわい。鎧の修理もして貰いたいが、レレオに借りた盾がそれはもう、えらい傷もぐれになっての。何とか直せんか相談に行かねばならんのだ」
「えっ? 盾の修理ですか?」
何故かエミリアが反応した。
「うむ。周りの騎士からは、女性に送られた盾は遠慮なく使うて返すのが礼儀だと聞かされたがの、いかに言うてもズタボロになった家紋入りの盾をそのまま返すのは忍びのう思うわい……」
エミリアはしばし、こめかみを押さえたあと、サキさんに耳打ちをした。
サキさんの額に汗が浮かんでくる。
「何だか面白そうね。私たちにも聞かせなさいよ」
恐らく何かを察したであろうティナが食い付いた。
「これは貴族の……いや、貴族だけという話ではないのですが、騎士や兵士が戦いに赴くとき、意中の男性に盾を送るのはそのー、ある種の告白というかですね……」
「うぉう、うぉう、うぉーう……」
まだ一滴も酒が入ってないのに、サキさんが壊れてきた。
「で、で?」
ユナが続きを促す。
「盾を送られた男性がですね、戦いの中で傷を付けた盾を女性に返すと、それはまあ……承諾のサインというかですね……。大半の男性は自分で傷を付けた盾を返すものですが、本当に戦いの中で付いた傷であればあるほど情熱的というか……きゃっ!」
目の前にいる人妻は、生娘のように赤らめた頬を両手で覆った。
オルステイン王国の風習に馴染みのない俺たちにはピンと来なかったが、とりあえずややこしい話になりそうな事だけは理解できた。
「それだと修理には出せないわね。そんなことをしたら、二度と立ち直れないくらい相手を傷つけてしまうもの」
「サキさんどうするんです? この際だからハッキリ言いますけど、もう少し現実を見据えた方がいいと思います」
「いや、しかしの……せめて一回だけでも美少年と──」
「レレもギリ美少年みたいなもんじゃないか。サキさん、幸せにしてもらえよ」
「ミナトさん、それはあんまりです。レレが聞いたら泣きますよ」
「とりあえず美少年攻めの地獄絵図だけは回避されたというわけね」
「ぬおおぉ……、おぬしらーーっ!!」
他人事だと思って冗談交じりに茶化していたのだが、流石のサキさんもキレ気味になったので、俺たちは逃げるようにして風呂場に雪崩れ込んだ。
っていうかおい。まだ報告するべきことは沢山あると思うのだが……。
脱衣所にて、エミリアがテレポートで家に帰ったため、エミリアの浮遊魔法で運ばれてきた俺は、容赦なくその場にへたり込んでしまう。
「まだ歩けそうにないの?」
「うん。だいぶ力が入るようにはなったけど、まだ一人で歩くのは難しいかな」
「じゃあ脱がせてあげるね」
ティナはそろそろと俺の服を脱がせたあと、丁寧に下着も取り払った。
「…………」
なんだろこれ。
無抵抗に脱がされていく自分が、とてつもなくか弱い存在に思えてしまう……。
なんか変な気持ちになった。
「ユナ、そっちお願い」
「はーい」
俺はティナとユナの間に挟まれるようにして、風呂まで移動した。
「俺が寝てる間はどうしてたんだ?」
「ティナさんが全身を拭いたり、エミリアさんに浮かせて貰いながらお風呂に入れたり、その日の気分で色々やってましたね」
色々ってところが少し引っ掛かるが、本当に良くやってくれたと思う。
特に痒い所もないし、体から変な臭いとかしないもんな。
むしろ、花のように甘い香りがする……。
「石鹸はいつも通りか?」
「え? ああ、そうね……」
微妙な間があって──。
「原因は不明なんですけど、ミナトさんから出てる匂いなんですよ」
「石鹸で洗った後は暫く石鹸の匂いがするんだけど、翌朝にはこうなるのよ……」
「大丈夫かなこれ……」
ちょっと腕を舐めてみたが、味らしい味はしない。
思い当たるフシとしては、森の大樹──植物の上位精霊から受けた影響が体に作用しているんだろうけど。
放っておけばそのうち消えるのだろうか?
「さ、体も洗いましょう」
俺はティナとユナの二人から、左右攻めにされた。
多分天然だと思うけど、ユナの方は洗い方が艶めかしくて困る。
「ちょっとユナ、なんで胸だけ手で……あんっ! そこは……」
「何言ってるんですか? ここはタオルでごしごしできません! ミナトさんが寝ている時もこうやって洗ってたんですから、これで大丈夫です」
わりと大丈夫じゃない。
おちおち意識不明にもなっていられないぞ。
俺は二人の執拗な洗い攻めを何とか耐え抜いて、ようやく湯に浸かった。
「ええと……話の途中で風呂になったけど、ユナの方はどのくらい進んでるんだ?」
「そうですね……ようやく草原地帯を抜けたので、今日は朝から森の中を走っていました。明日の午前中にはダレンシア王国の国境を越えられると思います」
「もう大草原は過ぎてしまったのか……」
「ですね。ミナトさんがあと二日早く目覚めていたら、地平線の先まで緑の草原が広がる景色をお見せできたんですけど……」
それは見たかったなあ……。
まあ、本命のダレンシア王国に期待しよう。