第472話「精霊とエサと魔法の鎧」
俺は雪上を駆けるソリの上でも、精霊魔法の試行錯誤を繰り返している。
いざ使えると分かるや、さっそく検証してしまうのは悪い癖だ。
というか、専門家が傍にいる今だからこそ、何でも試せるチャンスだろう。
「雪よ、消えろ!」
この冬、雪国の洗礼を受けた俺としては、自然とこのような願望が飛び出す。
「ぷっ……雪の精霊なんていないのに」
「そうなのか?」
「ミナトが雪の精霊だと思っているのは、たぶん冷気の精霊ね。ちなみに氷の精霊もいないからね」
あれ? これまでの常識が通用しなくなってる?
魔術師の世界では氷の精霊力は存在するし、俺とティナの感性なら雪の精霊力も確かに存在していた。
雪の精霊石まで作ったから、勘違いではないと思うのだが……。
まさかとは思うが、魔力を源にする魔法の場合は、その現象に応じて独自の「精霊力」を作り出せるのか?
この疑問は後日ゆっくりと研究する必要がありそうだな。
しかし今は、精霊魔法の流儀に従って検証を続けるとしよう。
「今のうちに教えておくわ。精霊魔法を使うときは、使役する精霊の存在を否定するような命令はできないの。例えば──炎よ消えろ! みたいな使い方ね」
ほう……。
この辺も魔法とは大分異なる部分だ。
「例えばだけど、水の精霊で火を消すことはできる?」
「それはできるわよ」
そうやって俺は、コレットから精霊の種類なども含めて、基礎的な知識を教わった。
「けど気を付けて。精霊との関りが深くなると、稀に上位精霊の声が聞こえるようになるの。でも決してその声に耳を傾けてはだめ。熟練したエルフ族の精霊使いでも命を落とす結果になるわ」
「…………」
何事も調子に乗るとろくな結果にならないという事か?
上位精霊と呼ばれる存在は明確な意思を持っていて、人間やエルフよりも霊的な意味では格上の存在になるらしい。
例えば上位精霊の頼みを聞き届けることで契約を交わせたり、何かの気まぐれで力を貸してくれる事もあるにはあるが、殆ど期待はできないそうだ。
やはり、手放しで便利な力っていうのは、そうそう転がっていないものだな。
適度にスリリングで快適なソリの旅はそっちのけ、すっかり精霊の方に興味が移ってしまった俺は、折角の雪景色も眼中にない。
だが、そんな精霊との戯れも、コレットの一言によって終わりを告げた。
「この辺りがエルフの里の入り口になるわ」
目の前には鬱蒼とした森が、小さな口を開いている。
いつの間にか足元の雪は減り、この周囲だけが不自然なほどに青々としていた。
ふと後ろを振り返っても、雪の地平線が見えるだけだ。
街道を外れてから、随分移動したと思う。
こんな場所ではこれから先も、人の目に止まることのないポイントだろうな。
「おかしいわね……里の出入り口はここだけなのに。ここ最近、ソリや荷馬車が通った形跡がないわ」
「確かに……古い轍しか見当たらないな……」
ということは、誰もエルフの里からは出ていないって事になるのか?
「見たところ異変がある訳でもなし、里に入って確かめるしかなさそうね」
「そうしよう。服の素材を出荷して貰わんと俺も困る」
俺とコレットは熊鹿たちのリードを木に縛り付けて、森の中へ入ることにした。
森の中には雪が無いので、ソリもここに置いていく。
「水とエサはこのくらいでいいかしらね?」
ソリの荷物から熊鹿たちのエサを取り出すコレット。
しかし熊鹿たちは、用意したそばからエサを食い尽くしてしまう。
「明日の朝まで戻らないから多めにエサをあげたのに、あったらあっただけ食べるのね……」
「こいつらも里の中に連れていけないのか?」
「こういう不自然に配合された生き物は、里の中だと嫌がられるのよ。まあいいわ。これだけ食べればもう十分でしょ」
なんて言いつつも、もし足りなかったらと不安に思うのか、さらにエサを一撒き。
まあそれも、物凄い勢いで平らげてしまうのだが……。
出したら出しただけ食う姿を見ていると、エミリアを思い出して仕方がない。
「いや、さすがにエサ多すぎだろう。もしかして熊鹿たちが変な体形になってるのって、単にエサの与えすぎじゃないのか?」
「……それもあるわね」
コレットは、さらに一撒きしようとしたエサを荷物の中に戻した。
熊鹿たちが荷物を荒らさないように、ソリは少し離れた場所に置いて、俺とコレットは必要最小限の荷物を背負う。
「たまにチラチラ見えていたけど、ミナトの鎧はそれで寒くないの?」
「これ魔法の鎧だから寒くないんだよな。本当は外套もいらないんだけど……」
そうなんだ。
本来なら外套も何もいらないんだけど、外気温が氷点下を下回るような街の中で、水着みたいな鎧姿を披露するのはいくら何でも常識が無い。
けどまあ、こんな場所なら外套は無しでいいか……。
外套が肩のプロテクターを押さえ付けているせいか、とにかく動きづらいんだよな。
「うわぁ。脱いだ……」
コレットは口元を隠して、「うわー」とか「はわー」とかいうハラハラした声を上げながら、遠巻きに俺を見る。
「やっぱり女性の冒険者だと、このくらいしないと駄目なんですね……」
微妙に後退りするコレットを見て、俺は確信した。
この鎧は異性に見られる恥ずかしさよりも、同性からドン引きされる方が精神的に堪える……。
結構自信あったんだけどな……。
だがここは堂々としておこうじゃないか!
「俺たちが普段相手にしている化け物は、当たれば即死の綱渡りだ。生き残るための装備品だから、ちゃんと向き合って欲しいな」
「うん……わかった……」
俺が言うとコレットはしおらしくなって、今度は全身を舐め回すように観察を始める。
違う。
そういう意味じゃない。
けど、そんなに興味があるなら触ってもいいよ……。
「え? なら少しだけ……じゃないわ。全く! ドライアードの影響かしら……。とりあえず気を取り直して、ウィル・オー・ウィスプ! 暗い森の道を照らして!」
正気に戻ったコレットは、光の精霊ウィル・オー・ウィスプを具現化させた。
テニスボールよりも一回り大きな光の玉は、自分の周囲にプラズマのような光を纏っている。
光の精霊ウィル・オー・ウィスプは、コレットの手を離れ、周囲の空間に漂う。
呼び出したウィル・オー・ウィスプは二体だ。
魔法の明かりには遠く及ばないが、電球色とでも言えばいいのか? 独特の温かみを感じる光が辺りを照らす。
「この森は迷いの森になっているから、絶対にはぐれないようにしてね」
エルフの森は特別な森。
この森は植物の精霊と、その上位精霊の不思議な力によって守られている。
特に、悪意を持った存在は決してエルフの里には辿り着けない罠が施されているらしい。
それでなくても暗くて複雑な森だ。
俺はコレットと付かず離れず、彼女の後ろを歩くことにした。