第470話「熊鹿(くまじか)のソリ」
店の外に止めてあるソリには、見た事もない動物が三匹繋がれている。
ソリ自体は、すのこ状の椅子にスキー板を取り付けただけの簡素な作りだが、丁寧に仕上げられた素材を見る限り、決して安物ではないだろう。
「この子たちは熊鹿って言うの。隣国のマルスヘイムから取り寄せたらしいわよ」
「オルステインにはいない品種なのか」
大きさは大型犬よりも少し小さい程度だと思うが、熊鹿の容姿は独特だ。
少なくとも俺が知っている生き物の中に、これと似た動物はいない。
敢えて言うなら頭に角が生えた小熊のようにも見える。
四本の脚は驚くほど筋肉質だが胴回りには脂肪を蓄えており、自然的な進化とは異なる印象を受けた。
キメラほどではないが、明らかに人の手が加わったように見える。
「元はマルスヘイムの氷原を走らせるために改良したんですって。それと……邪魔な物は荷台の隙間に突っ込んでおいてね」
俺はコレットに促されるまま、既に荷物でパンパンになっているソリの荷台に背負い袋を縛りつけた。
「ミナトは後ろに乗って。ちゃんと捕まってないと振り落とされるんだから」
「うん」
「えっ!? ちょ、ちょっと! くっ付き過ぎ! そんなに抱きしめなくても……」
コレットの体は、あまりに細くて子供みたいだから、頼りなくて思わず力がこもった。
未知の動物が引くソリだから、最初はしっかり掴んでおきたいのだが。
「ま、まあいいわよ……通りが混み始める前に出発するわ!」
熊鹿に繋がったロープを握り、コレットが命令すると、ソリは力強く進み始めた。
単純な作りのソリは、座席に跨ったあと、両足を左右に分かれたスキー板の上に置くような形で乗る。
普段使っているリヤカーや、今朝乗った辻馬車よりも視線が低いせいか、街中でそれほど速度を出していない状態でもスピード感が凄い。
なにせ地面に直接座っているのとあまり変わらない位、低い位置に座っているからな。
路面のちょっとした段差もダイレクトに伝わってくるから、まるで競技車両にでも乗っているかのような気分になる。
結構悪くないぞこれ。多分ヨシアキ辺りなら、喜んで乗り回しそうな乗り物だ。
「この子たちね、近所の金持ちの子が欲しがって取り寄せたそうなんだけど、本来は氷原の上を全力で走り続けるような生き物だから、狭い庭で飼っても弱らせるだけなのよね。最初は八匹もいたのに、大きくなる前に半分以上死んじゃった」
「へえ……」
東の隣国、マルスヘイム帝国は、オルステイン王国よりも気温が低い極寒の地だ。
国土の北側には一年を通して凍ったままの、広大な氷原が広がっている。
コレットの話では、氷原地帯を利用した輸送手段の一つとして、熊鹿のソリが使われているそうだ。
オルステイン王国だとミラルダの町が大体同じくらい北の位置にあると思うが、あっちは活火山があるおかげで海が凍らないし、一年中魚も獲れるから恵まれている。
俺たちは裏道を通り抜けて王都の北東に向かい、北東の通りをそのまま進んで、王都の外壁を抜けるルートを選んだ。
王都の北東と言えば、いわゆる夜の街とか、大人の街と言われる一画がある。
その辺りは早朝でもあまり近付きたくはない場所だ。
コレットもその辺は知っているのか、治安の悪い区画は器用に避けて走った。
「今日は熊鹿の散歩かい?」
「そうよ。たまには思い切り走らせてあげないとね」
「ああそうだ、片手橋の方は今壊れているから、あそこは迂回しないとだめだ」
「そう、ありがと」
外壁の用通路に常駐している兵士に声を掛けられたコレットは、二言三言、軽い言葉を交わす。
相手はもう良い年の兵士だけど、コレットとは顔見知りみたいだな。
王都を出ると、暫くは除雪で出来た溝のような道を進むことになる。
「ミナトは日焼け対策とかしないの?」
長いストールを顔に巻き付けながら、コレットが聞いてくる。
そういえば、一面の雪に反射した太陽光は結構きついんだっけ?
まあ厚手の外套被ってるし大丈夫だろう。
「あそこの除雪が途切れてる所から雪の上に出るわよ」
コレットが指差す先には、切り立った雪の壁。
いくら何でもあれに突っ込むのは無理だろう。
「風の精霊よ!」
「……おおおっ!?」
コレットが手をかざした先に、今まで感じたことが無いほどの強力な精霊が集まる。
特に知識がある訳でもないが、瞬時に精霊魔法だと理解した俺は、無意識のうちに驚きの声を上げた。
「目の前の雪を吹き飛ばして!」
その瞬間、雪の壁が四散する。
爆風のような風は、こちらにも反射して襲い掛かり、一瞬ソリごと宙に浮いた!
今のは……風の矢に匹敵する威力じゃないのか!?
場合によっては魔法よりも強力だと聞いてはいたが……。
「雪の上に出るわよーっ。それっ!」
現在の積雪は、おおよそ1メートル半。
それが見渡す限りに広がっている。
北の麦畑も南の森も、その奥にそびえる山々も、何もかもが銀色の世界。
普段見ている視線よりも高い位置から見渡す地平線の先は、空の色と同化して幻想的に見えた。
「熊鹿は沈まないのか? 気持ちいいな! もっと飛ばしてくれ!」
「そうでしょー? 本当はまだまだ速く走れるけど、蹴り飛ばす雪で前が見えなくなるからね。ここらが限界よ」
それでも馬の全力疾走くらいは出ていると思う。
この速度で一日中走れるのか? 凄いな。
俺は久しぶりの爽快な気分に、胸の高鳴りを感じた。