第405話「サラマンダー」
グレンが放ったリピーターボウの弾は、逃げ遅れた小鹿に命中した。
リピーターボウに装填してある魔法の弾は、魔法の矢と比べて半分のサイズしかない。
それでも、直径3メートル以上の大きな火の玉を発生させるだけの威力がある。
小鹿には可哀想だが、せめてもの供養に無駄なく頂くとしよう……。
『………………』
俺たちは、崖の下から火の玉が収まるのを待っている。
しかし、着弾地点を中心に広がる火の玉は、何故か一向に消える気配がない。
「おかしくないですか?」
ユナに言われるまでもなく、これは明らかに異変だ。
「あれは何!?」
やがて魔法の火の玉は回転を始め、トカゲと蛇を掛け合わせたような形状になった。
火の精霊……以前、精霊術師の魔法について調べている時、本に描いてあったサラマンダーの姿に酷似している。
「火の精霊サラマンダーだ! 骨まで灰にされるぞ! 全員固まれ!」
俺は偽りの指輪から意識を逸らして、精霊力感知を中断した。
猛り狂った精霊の影響を受けすぎると、身体のバランスにも悪い影響が出る。
「グレン! サラマンダーを押さえてくれ!」
俺が言うよりも早く、サラマンダーはグレンを目掛けて襲い掛かった。
火の精霊サラマンダーは、その名の通り火で出来ている。
本来は物理的に掴めない存在のはずだが、グレンはサラマンダーの胴体に組み付いて、取っ組み合いの喧嘩を始めた。
「俺ハ、火ノ悪魔ダゾ!」
サラマンダーはグレンの体に絡み付き、必死にグレンを燃やそうとするが、グレンは歓喜の表情で、逆にサラマンダーの腹を食い千切った。
食らい付かれた箇所からは、オレンジ色の火が噴き出す。
「凄い熱気……」
グレンの服は灰も残さずチリと化し、時折、大きな火柱が数回にわけて上がった。
恐らくだが、リピーターボウに残っている魔法の弾が、あまりの高熱で破損したのだろう……。
「大丈夫かの?」
「あの程度の熱でグレンが負けるものか。それよりも、近くに精霊術師が隠れてないか?」
火の悪魔にとって、火の精霊など一時の養分でしかない。
だが、精霊とは本来、自然界に満ち溢れた力の象徴である。
精霊力が淀みやすい場所では、時折、精霊の暴走が起きることもあるが、いきなり暴力的な精霊が発生するとは考えにくいのだ。
精霊術師が魔法で精霊を行使しているのならともかく、ここまで具体的な姿で現れることが、果たしてあるのだろうか?
ここに来るまでに何度か精霊の襲撃を受けたが、そのどれもが抽象的で掴み所のない、おおよそ姿形と呼べるような見た目はしていなかった。
「グレンの勝ちですね」
崖の上で激しく揉み合っていたグレンとサラマンダーだが、今回はグレンの完封勝ちと言ったところ。
グレンは傷を負うどころか、全身がツヤツヤになって戻ってきた。
サラマンダーが消滅してすぐに、俺とサキさんで崖の上まで登ってみたが、そこは奥まで険しい岩場が続いており、とても誰かが立ち入れる場所とは思えなかった。
「誰もおらんではないか。考えすぎだわい」
サキさんが言うように、この辺り一帯には、俺とサキさん以外の生命力と精神力は感じられない。
つまり、俺とサキさんの二人しかこの場には居ないということ。
あるのは消し炭にされて、ただ崩れゆくばかりの哀れな小鹿だけだ……。
「ミナトが作った魔法の弾が原因ではあるまいの?」
「まさか。問題が起きたことは一度も無いだろう?」
「なら良いがの……」
魔法の弾──この場合は魔法の矢も含まれるが、それに疑いの目が掛けられた以上、もはや常用できる武器とは言いきれなくなった。
もしかしたら、俺たちが気付いていない法則が存在するのかもしれないが……。
いや、単にある一定の確率で、先程のような事故が起こる可能性をはらんでいるのかも。
「とにかく戻ろう。家に帰るまでは検証もできんから、魔法の矢は暫く封印だな……」
俺はカラビナにロープを通して、慎重に崖を降りた。