第381話「犬の化け物」
俺とティナが地上付近まで降下した頃には、随分と東側に流されていた。
今日の風は比較的穏やかだが、上昇と下降だけでも小一時間は費やしているから、じわじわと風に流されていても不思議ではない。
「少し引き返そう。陸路の二人はもっと手前だ」
「ちょっと待って。下の方に何かいるわ」
ティナに言われて下を向くも、眼下に広がるのは常緑樹の緑だけ。
俺は精霊力感知を使い、目に見えない地上の様子に集中した。
地上では、強い生命力を持った生き物が複数体動き回っているように感じる。
明らかに人間とは違う力強さ──。
俺が知っている生き物の中では、ミノタウロスと似たような生命の臭いがする。
「3体くらい居るな……」
俺とティナは、木の隙間から地上の様子を伺えないかと目を凝らした。
すると突然、足元からパシュパシュという、葉や枝をかき分ける様な音が響く。
「うわっ!?」
足元の木から何かが飛び出してきたので、俺は咄嗟に顔を庇った。
その瞬間、ゴトンという鈍い音と同時に、右腕に強い衝撃を感じた。
反射的な行動だったが、右腕に装備しているヒーターシールドに、何者かが投げた石が直撃したのだ。
「大丈夫?」
「うん。足元に魔法の障壁を張ってくれ」
その後も何度か地上からの投石は続いたが、全て魔法の障壁が弾く。
「ウオォォーーン!!」
「ウォーン!」
未だ姿を確認できない地上の生き物たちが、獣のような雄たけびを上げる。
投石が効かないと理解したのだろうか?
今度は俺たちの足元にある木を、ゆっさゆっさと揺らし始めた。
「俺たちが木の上に登っていると考えているんだな……」
地上にいる獣たちが激しく木を揺らすものだから、その木がしなるたびに大きな隙間ができる。
隙間から地上の様子を確認すると、全身が灰色の毛に覆われた犬の化け物が姿を現した。
──犬なのか?
まるで人間のような骨格をしているが、頭と尻尾は犬で間違いない。
大きな個体と、一回り小さな個体が木に張り付いて、その後ろには子供のような個体も見える。
相手の姿が見えるなら、この場から雷でも落とすべきか迷っていると、向こうも宙に浮いている俺たちを確認したらしく、化け物の1体と思いっきり目が合った。
「………………」
もう一アクション起こせば攻撃する。俺は睨みを利かせて腕を突き出した。
すると一番大きな個体は喉を鳴らして後ずさり、後ろにいた子供の個体を担ぎ上げると、一目散に逃げ出した。
一応、精霊力感知で気配を追ってみるが、転げ落ちるような速度で山を下って行くのがわかった。
「何だったんだ……」
「どう見てもモンスターの家族よね。倒さないといけないのかしら?」
「やめとこう。今は早くユナとサキさんを見つけないとな」
目が合っても襲い掛かる意思を見せるなら倒すしかないが、人間から遠ざかっていく生き物なら、この先も上手く共存していけるかもしれない……。
それに、あまり悠長にしていると日が暮れてしまう。
俺たちは急いで引き返すことにした。
ずっと空を飛びながら、大体の目星が付く場所を旋回するも、地上にいるユナとサキさんは見つからない。
この辺りは末広がりな木が多いせいで、下の様子が殆どわからないのだ。
大声で名前を呼んだり、魔法で照明弾のような光を出したりもしたが、地上からの反応はなかった。
「これは見失ったな。悪いけどテレパシーで呼んでみてくれる?」
「その方が早そうね」
テレパシーの魔法は、術者の思念を任意の対象に伝える魔法だ。
この魔法、一見便利に思えるのだが、何の前触れもなく突然相手の思考に割り込んでしまう魔法なので、伝達のタイミングが悪いとウザい事この上ない。
魔術師同士で互いの顔を知っていれば双方向の会話が成立するらしいが、あいにく我がパーティーではティナが電波塔になるだけの通信手段である……。
ちなみにこれは精神に作用する魔法なので、相手が抵抗すれば効果は消える。
離れた場所に思念を飛ばす場合は魔力を必要とするが、相手が見えている距離なら精神の精霊力でも思念を飛ばせるかもしれない。
「……地上から狼煙を上げるように言っておいたわ」
「ここで暫く待ってみよう」
それから10分ほど待っていると、かなり遠い場所から煙がのぼってきた。
俺とティナが予想していたよりも、ずっと遠い場所でだ。
「こっちが戻り過ぎていたのか。随分頑張って距離を稼いだな」
狼煙を頼りに合流できた頃には、空も暗みがかっていた。
キャンプの支度はユナとサキさんがやっておいてくれたので、俺とティナは大急ぎで夕食とお風呂作りを始める。
今晩からはいつものメンバーしかいないし、洗濯物もあるから、お風呂はなるべく近い場所に作ろう。
すっかり日の落ちた中で、俺たちは午後の移動中に発見したことを話し合った。
ユナとサキさんの方は、正体不明の暗闇に襲われたらしい。
「真っ黒い霧から逃げるのに、随分走りました」
「わしが迎え撃とうとしたら、無視されたわい。あれは酷かったの」
あっという間に近付いて来たから、とにかく走って撒いたようだが、心当たりがあるとすれば闇の精霊だろうか?
ここにきてから二日目には、風の精霊にも襲われている。
明日の朝は魔法の矢を作って、ユナに数本渡しておこう。
こちらは上空から怪しい森を発見したこと、風に流されて戻る際に犬の化け物と遭遇したことを話す。
「そのモンスターは犬人間ですか? 狼男とは違うんでしょうか?」
「オスとメスとその子供みたいな感じだったわよ」
「だなあ。それとも狼男は、オス同士でも子供ができるのか?」
「……ブッ、ンフフフッ!!」
何を想像したのか知らんが、サキさんが手を叩きながら気持ち悪く笑った。