第326話「ダレンシア王国への道①」
俺とエミリアが話していると、いつの間にか風呂に入っていたサキさんが、全裸のままエミリアの後ろを通り過ぎて行った。
「…………」
本当に音もなく通り過ぎていくので、呆れるを通り越して感心していると、階段の途中で立ち止まったサキさんは、エミリアの顔で自分の股間が隠れる絶妙な位置に立ってから、わざとらしく腰を振り回したあと、自分の部屋に戻っていった。
「何かあるんですか?」
「いや、何もないよ」
俺の顔から察したのか、エミリアが後ろを振り返ったときには、サキさんの姿はない。
「…………」
エミリアが後ろを振り返っている隙に、今度はグレンが暖炉から姿を現わした。
「おかしいですね。頭の辺りがざわつく気配がしたのですが……」
エミリアが向き直ったときには、グレンは吹き抜けの天井まで上昇していて、後は悠々と浮遊しながら、サキさんの部屋へと入って行った。
二人とも、エミリアを使ってエクストリームスポーツでもしているのか?
そんなことを思っていると、ティナが夕食を運んできた。
「今日は残念なお知らせがあるわ」
食事も終盤に差し掛かった頃、何の前触れもなく、ティナが話題を切り出した。
『?』
俺たちは何のことかと思って、ティナの方を向く。
「作り置きのケチャップとトマトソースを使い切ったから、ピザとか、デミグラスソースとかは作れなくなりました。ごめんね」
「!!」
ティナの言葉を聞いた途端、エミリアがスプーンを落とした。
「トマトを使うメニューは多いですよね。仕方ないですけど、寂しくなりますね」
「洋食系は大打撃だな。でもまあ、仕方ないか──」
「あ……っ、ああ……、あっ……」
「どうしたエミリア? 良心回路でも壊れたのか?」
大規模なプラントや、大量輸送の手段がない世界では、季節外れの食材は手に入らない。
一年中何でも手に入る世界から来た俺たちでさえ、この辺りの諦めはつく。
しかし、良心回路が壊れてしまったエミリアさんは、納得がいかない様子だ。
「今の依頼が終わったら、トマトを手に入れる旅に出ませんか?」
「行くわけないだろ。国境を超えて南に移動してから、更に国境を超えるとか、想像しただけでもゲンナリする」
俺がエミリアの提案を却下すると、自分は王国から出たことがないから、公都エルレトラまでしかテレポートできないだの、魔術学院から他国にテレポートするには、王国の許可書がいるだの、エミリアは散々とりとめのない説明をしていたが、仕舞には涙声になってきて、あーあーと泣き始めた。
『………………』
俺たちは可哀想なものを見る目で、エミリアを見ている……。
俺の人生経験が足りないだけかもしれないが、トマトを買いに行けないという理由で泣いている大人を見るのは、生まれて初めてのことだ。
俺は無視して食事を続けたが、エミリアは泣きながらでもしっかり俺の三倍は食って帰るという、食べ物に対する恐ろしいまでの執念を見せつけていった。
「……なんか、怖かったな」
「怖かったです」
「さて、酒でも飲もうかの」
「じゃあ、私たちはお風呂に行きましょうか」
俺とユナはドン引きしていたが、ティナとサキさんはいつも通りだ。
暴食のエミリアよ、強く生きてくれ。