第323話「ガウロンの家」
俺たちは王都に入ってから、外壁の内側にある通路を進み、西の大通りを横切った。
「この辺りで橋を渡ろう。このまま行くと、別の場所に向かってしまう」
「うむ」
外周二区の北西区域は、とにかく建物が入り組んでいる。
しかも、王都中に張り巡らせた用水路の元になる、大きな川が流れ込んでいるので、何も知らずに北上していると、橋がなくて向こう側に渡れないという罠まである。
前回俺たちがここを訪れたときは、王都中の散策が目的だったので川沿いに北上したが、今回は寄り道をせず、最初から住宅密集地を目指している。
「依頼書には、この先にある雑貨屋の手前で、左に曲がれとある……」
「左であるな? 前回は迷うたからの」
そうなのだ。
前回は調子に乗って、何も考えずに先へ進んでいたら、見事に迷ってしまった。
結局自力では抜け出せなくなってしまい、ティナが浮遊の魔法で上空から正しいルートを見付けるという、洒落では済まない状況に陥ってしまった。
「そういえば、精霊力のバランスがおかしい場所があると言ってませんでしたか?」
「そうよ。この辺りは大丈夫だけど、あそこのトンネルみたいになってる道とか、何の精霊なのかよくわからない、淀んだ力を感じるわ……」
ティナが指差したトンネル状の道は、隣接した建物の隙間、幅1メートルほどの狭い通路の上に建造物が乗っているので、通路の奥は暗闇に閉ざされている。
前回は、こんな感じの通路を面白がって潜っているうちに、迷子になったんだよな……。
俺も偽りの指輪で精霊力を感知してみたが、確かに正体不明の精霊力を感じた。
「気になるかの?」
「いや。とにかく今は、依頼人の家まで行こう」
馬を止めたサキさんに、俺は再出発を促す。
それから暫く狭い道を進んでいると、今回の依頼人──ガウロンの家に到着した。
ガウロンの家は、橋を渡ってから殆ど一本道だったので、特に迷うような要素はなかった。
まあ、それも当然か……。
あまりにも入り組んだ場所にある家なんて、普通の人は好んで買わないだろう。
外出するたびに迷子になっていたら、目も当てられんからな。
「ここですか?」
「うん、ここだ。目印もある」
俺は玄関の柱に吊るされた朱色の布切れを見て、そこが依頼人の家だと判断した。
オルステイン王国では、民家で表札を出している家は殆どない。
なので、初めての人間を家に呼ぶときは、こうして目印を出しておく文化があるようだ。
玄関の柱に朱色の布切れについては、依頼書にそう書かれてある──。
「依頼主の名はガウロンであったか? わしが話を付けてくるゆえ、お主は馬を繋いでおれ」
「じゃあ頼む」
俺はサキさんに依頼書を渡して、ユナと一緒に馬の手綱を適当な柵に結ぶ。
サキさんはティナを連れて、ガウロンの家の玄関ドアを叩きに向かった。
俺とユナが馬の手綱を繋ぎ終える頃には、ガウロンとサキさんの挨拶も終わっていた。
「お待たせ。どこまで進んだ?」
「うむ。これから問題の場所に案内される所だわい」
「私が依頼人のガウロンです。外は冷えますから、どうぞ中へお入りください」
ガウロンと名乗る人物は、まだ20代の半ばにも満たない顔つきをした青年だ。
赤毛の長い髪と細い体格は、一見して学者のようにも見える。
既にサキさんが話を通してくれているので、俺はガウロンに招かれるがまま、とりあえず家の中にお邪魔した。
「早速で悪いのですが、問題の扉まで案内して貰えますか?」
「わかりました。今明かりを用意しますので……」
「ああ、魔法の明かりを使うので大丈夫です」
「そ、そうですか……。では、こちらへどうぞ」
自己紹介もそこそこに、俺は家の中を見回すこともせず、問題の扉へ案内してくれるよう頼んだ。
遺跡や洞窟の探索と違い、ここはごく普通の民家なので、なるべく早く済ませた方がいいだろうと考えたのだが……。
こちらが急かしているように思われてしまったかな?
俺たちはガウロンに案内されて、玄関の横から小さな台所を通り、地下室へと下りた。
広さは三畳あるかないか……部屋というには少し狭いな。
このスペースは、床下収納とでも呼ぶべきか?
魔法のランタンで照らされた地下室は、台所の床にあたる天井を除いては、全て石造りの構造をしている。
「酷い湿気ね。石造りの階段にも、カビが生えているわ……」
それにしても、体に纏わりつくような湿気が酷い。
カビ特有の、すえた臭いも鼻につく。
目に見えるところはカビに浸食されていて、特に天井部分の梁には、白黒緑の嫌なカビが全体を覆っている。
「酷いでしょう? 本来は食材や酒類を保管しておく場所なのですが、ご覧のあり様で……」
今は何もない地下室だが、元々は壁に沿って収納棚が設置されていたらしい。
リフォームの仕上げに、水気を吸って腐った収納棚を撤去したところ、棚の奥に謎の扉が現れたそうだ。
「正面の切れ目がドアかな?」
「壁に切れ目がある以外は、特に何もないですね」
ドアだと言われるとドアなのかも知れないが、ドアノブや蝶番の類は見当たらない。
「職人さんが木槌で叩くと、確かにここだけ音が違うんです」
「どれ……」
サキさんがその部分を叩くと、確かにスカスカの音が鳴った。
「……確かに、魔法が掛かっているようね」
「解除できそう?」
「そんなに強い魔法じゃなさそうだから、すぐに解除できるわ」
ティナが魔法の杖を、ドアらしき壁に押し当てると、ドアの部分は引き戸となって、少しだけ奥の方に動いた。
「わしが開けるわい」
「俺が合図したら一気に蹴り飛ばしてくれ。俺は奥の方を照らすから、ティナは障壁の魔法を張って欲しい。何かが飛び出して来たら怖いからな」
「うむ」
「いつでもいいわよ」
俺はポケットから光の精霊石を取り出して、いつでも照明の魔法を使える状態にしてから、合図をする。
「じゃあやるぞ? せーの、今!」
俺の合図で、サキさんが思い切りよくドアを蹴り飛ばした。
が、ドアが開いた先は暗闇──。
俺が魔法の明かりを灯すのと同時に、ティナは障壁の魔法を、元の壁があった部分に展開した。