第314話「戻ってきた日常」
暇を持て余した俺がやることと言えば、それこそ肌のお手入れくらいのものだ。
正式な名称は知らないが、通称コロコロなる魔道具のおかげで、手入れすればするだけ自分の肌がきれいになるのは、それを実感すると楽しくて仕方がない。
まあ、すでにやり過ぎているのか、これ以上やっても見た目に効果はないのだが、手入れした直後は肌の滑りが良くなるので、かなりの満足感が得られる。
そういえばサキさんも、暇を見ては丁寧に筋トレをしているが、ここ最近は特に筋肉の仕上がりが良くなったらしく、無駄に脱ぎたがるようになった。
あんな変態露出狂と同じにされても困るが、ある意味俺と似たようなものなのだろうな。
全身をコロコロし終わった俺は、手触りや三面鏡での確認も怠らない。
以前の俺なら、気恥ずかしさと表情の硬さで、鏡を見ると顔が強張る感触を覚えていたが、今ではすっかり女の子の「顔」になったと思う。
男女の仕草には、それぞれ外向きや内向きといった具合に、ある種のステレオタイプにも似た方向性が存在する。
どうやら表情を作るさいにも、男と女ではその「方向性」に違いがあるようだ。
最近わかってきたことだが、声の強弱にも、男女では大きな違いがあるように感じる。
そのせいかは知らんが、この頃は自分の男言葉にも、だいぶ違和感が出てきた。
かといって、今更がらりと喋り方を変えたりしたら、周りの人は何事かと思うだろうな。
何とも困った悩みだ。
思い返せばここに至るまで、俺は相当ひどい言動を繰り返してきたなあ……。
異性から見ると、かなり痛ましい子に映っていたに違いない……。
「………………」
俺に比べると、ティナの方は初めて会ったその日から、何の違和感もなく大人の女性だったな。
もしかして、サキさんがあまりにも衝撃的な自己紹介をしたから、ついそれに話の軸を合わせたなんてことは無いだろうか?
──なんて、考え過ぎかな?
それを言えばサキさんなんて、現在進行形で俺よりも酷いと思う。
どう考えても、自分が男だという事実を周りにも認知させるかの如く、わざとらしいほどの振る舞いの数々をしてくれたからな。
拭き取りもせずに全力で汚したパンツをわざと洗濯物に紛れ込ませていた事、幸い一度きりの犯行に終わったが、俺は今でも根に持っているぞ。
将来奴の結婚披露宴では幹事を名乗り出て、この辺りの事件を暴露してやる予定だ。
覚悟しておけっ。
すっかり艶々になった俺が、服を着て部屋から出ると、一階の広間にはエミリアがいた。
今朝のエミリアは様子が変だったが、下手に首を突っ込んで新婚生活のトラブルに巻き込まれたら最悪だと、本能で危険を察知した俺は、敢えて何も聞かなかった。
が、日の暮れたこの時間に来ているという事は、完全に夕食が目的だろう。
いくらなんでも結婚した直後から、家と旦那を放置して、よその家の夕食を平らげに来るのは問題がある。
今朝のエミリアは可哀想だったので黙っておいたが、あまりにも常識がない。
このままではダメリア伝説の始まりなので、流石に文句の一つも言ってやろうと思う。
俺が二階の階段を下りようとしたとき、階段横の大部屋から物音が聞こえた。
ナカミチの工房から帰ってきたユナが、弓の調整を続けているのだろう。
ユナの邪魔をしないように、少しだけ部屋のドアをスライドさせて中を覗くと、大部屋の一番奥に巻き藁を設置して、部屋の中で弓の射撃テストをしているようだった。
二階の大部屋は、この家で一番広い部屋とはいえ、的までの距離はほんの6メートル程度しかない。
だが、木窓を開け放って弓を引く寒さに比べたら、短い距離でも室内の方がマシだろうな。
そうこうしていると、風呂場の方から素っ裸のまま出てきたサキさんとグレンの二人が、一階の広間を忍び足で横切り始めた。
エミリアが見たら、白目を剥いて悲鳴を上げるのがわかっているのに、どうしてエクストリーム忍者を敢行してしまうのか、本気で訳が分からない。
丁度エミリアの後ろを通っているので、エミリア本人は気付いていない様子だが、何だかエミリアが可哀想に思えてきた。
全裸忍び足の途中で、後姿の女がエミリアだと確認したグレンは、羽を広げて階段をショートカットすると、物凄い速さでサキさんの部屋に飛び込んだ。
これは相当嫌われているな……。
俺は素っ裸のサキさんが、自分の部屋に入るまで目を逸らしてから、階段を下りた。
広間に移動すると、調理場の方からは、ティナが夕食の準備をしている音が聞こえる。
皆それぞれにやることがあるので仕方がないとはいえ、相変わらずの完全放置プレイに物悲しさを覚えた俺は、お説教をやめにして、エミリアの相手をすることにした。
「大体のことは、レレから聞いたぞ。魔術学院やめたんだってな。俺はエミリアの助手扱いになっていたはずだけど、本体が辞めたらどうなるんだ?」
「そうですね……私が辞任した時点で、ミナトさんの役職も消えているのですが、収穫祭では魔術師としての実績を残していますし、学院内でも認知されていますから、実際のところは今までと何も変わらないのが実情でしょう」
そういうものか。
寿退社の扱いで魔術学院を辞めたエミリアも、魔術師の最高峰である大魔導の称号を与えられているので、出入りに関しては特に何の制限もないようだ。
エミリアが望むなら、空いている研究室を丸ごと押さえることも可能らしい。
ただし大魔導の言動には、王国の騎士団長に匹敵するほどの社会的責任が付きまとうらしく、もはや導師時代のように、研究の為ならば何をやっても許されるような状況ではなくなったと、エミリアは口を尖らせて説明した。
なるほど、異界の悪魔を召喚するだけの実力が認められたのは事実だろうが、野に解き放たれたマッドソーサラーは、何処で何をやらかすのか見当も付かないので、重責という名の重しを乗せたというわけだな……。
「じゃあこれからも、学院の施設には出入りできるってことでいいな?」
「そうです。個人的な繋がりは消えていませんからね。大魔導の第一助手ともなれば、多少の無理も押し通せるでしょう」
後で相応の責任を取る羽目になるだろうから、押し通したくはないな。
「それからな、エミリアがぱったり来なくなったのと同時に、テレポーターが使えなくなったんだよな。どうやらアサ村の古代遺跡にあった魔法陣と、何らかの繋がりがあったと見ているんだが、遺跡を壊したバカのせいでダメになったのかな?」
「それは本当ですか? おかしいですね……あの魔装置は、それ単体で機能しているはずなんですが……」
腑に落ちないという顔をするので、俺は広間にテレポーターの親機と子機を並べてから、それぞれの上に乗って見せた。
散々試して機能しなかったので、当然と言うか、今も機能しない訳だが……。
「……すみません、持って帰って調べてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいよ。ついでだから、この燭台も頼む。エミリアが居ない間に手に入れたんだが、わかったのは何かの魔道具ってだけで、使い方もわからん」
「わかりました」
俺とエミリアが普段の調子で話していると、大部屋にいたユナと、服を着たサキさんが二階から下りてきた。
やはり、グレンの姿はないか……。
俺たちが広間のテーブルに揃うと、ティナが夕食を運んで来る。
やはりエミリアがいると、夕食の量が倍近くになるようだ。
なにせ、俺とティナとユナの三人分に相当する量を、いとも容易く平らげる胃袋の持ち主だから、エミリア専用に用意した銀の食器は、殆ど全てがアメリカンサイズになる。
俺はエミリアに、何か文句を言ってやろうと考えていた気がするんだが、久しぶりに見る迫力満点の食事風景に圧倒されて、何も言葉が出てこなかった。