第311話「烏(からす)天狗」
「変な着物だな。こういうの、なんて言うんだっけ?」
「麿ですね」
グレンの服を見た俺とユナが、真っ先に思い付いたのは、時代劇に出てくる「麿」の姿だった。
「麿ではない。烏天狗である。お主らの世代では馴染みがないかの?」
「……ないな」
天狗と言われてイメージできるのは、何とも形容しがたい立派な鼻が生えている、真っ赤なお面くらいのものだ。
「ミナトよ、烏天狗の鼻には、お主が想像するようなチンチンは生えておらん」
サキさんは俺の心を読んだのか、わざと大きな声でチンチンを強調した。
相変わらずデリカシーの欠片もない男だ。
何か言い返してやろうと思ったが、下を向いて沈黙するユナを見るに、俺と同じことを考えていたのだと察して、言い返すのをやめた。
この男に下ネタの燃料を与えるよりも、さっさと聞き流した方が賢明だと考えたからだ。
「平安貴族と山伏の服すら見分けられんとは、ちと情けないの」
「烏天狗なら、剣や杖が欲しいわね。それに、缶詰みたいな帽子も……」
「缶詰ではなく兜巾である。兜巾は今から作ってみるわい。しかし……こやつのサイズでは、人の剣は持てまい。杖にするかの?」
グレンに持たせる剣か……。
ダガーくらいのサイズなら合いそうだが、柄の部分が太すぎて、グレンの手では握れないだろうな。
「どちらにせよ、せめて人並みの大きさに成長するまでは、後ろに控えてもらうぞ」
「それなら、リピーターボウを持たせてみるのはどうですか? サイズも手頃ですし、矢は15メートルくらいしか飛びませんが、グレンなら近距離で火の矢を使っても平気ですよね?」
なるほど、それも一つの手だな。
いずれグレンは魔法も使えるようになるだろうが、それはもう少し先の話になる。
それまでの繋ぎで、リピーターボウを持たせるのは俺も賛成だ。
問題は、グレンの腕力でリピーターボウを引けるかどうかだが……。
「すぐに持ってきますね」
ユナはグレンが苦手そうだったが、服を着せることで見た目がマイルドになったせいか、普通に接することが出来るようになっていた。
どれだけ小さくても、やはり悪魔の外見はショッキングに映る。
そこを山伏の衣装が程よくコミカルに和らげて、かつ妖怪っぽさも残してくれているせいで、はまり役のように似合っていた。
「グレンは、服を着ていても飛べるんだな」
「モンダイナイゾ」
烏天狗の格好をしたグレンは、広間の空間を縦横無尽に飛び回っている。
少しダブついた感じの服だが、それが飛行の妨げになることはないらしい。
「まさに小天狗のそれよ。羽根がコウモリの如くはやむなしであるが、実に良いわい」
サキさんは自画自賛をするように、うむうむと一人で頷いた。
「そういえば、グレンの尻尾にも、インプみたいな毒があるのか?」
「オレノシッポ、ドク、ナイ」
「そうか。なら安全だな」
服から出ている尻尾を見て思い出したのだが、インプと違って毒はないようだ。
レッサーデーモンをモデルにして作られたのがインプなのだが、恐らく古代の魔術師たちは、尻尾に毒がある方がクールだと考えて、独自に毒針を追加したのだろうな。
……実際のところは知らんけど。
これは歴史的大発見なのかもしれないが、学院で発表するのはやめておこう。
俺がどうでもいいことを考えていると、リピーターボウを持ったユナが広間に戻ってきた。
「さて、グレンに引けるかな? ここと……この辺を持って、リピーターボウを半分に折り曲げるようにして……中の金具が弦に引っ掛かるような音がしたら成功だ」
「ヤッテミル」
俺たちは全員で、グレンがリピーターボウを引けるのか注目する。
『………………』
ガチャッ。
──案外、簡単に引けた。
「凄いわ。見た目よりも力があるのね」
「下手なエアコッキングの銃よりも硬い気がするんだけどな……」
「ナンドデモ、ヒケルゾ」
頼もしいな。これなら冒険に連れて行っても大丈夫かもしれない。
リピーターボウの練習に関しては、扱いに長けたユナに指導してもらうことにしよう。
その後サキさんは、グレンの頭に乗せる缶詰みたいな帽子を作り始めたが、ユナの方は、コンパウンドボウの調整が終わって、あとは試射するのみとなっている。
「空撃ちは弓を痛めますから、実際に矢を飛ばさないと駄目なんです」
「そうなのか。冒険中に手持ち無沙汰で空撃ちしたこともあるんだが、次からやめた方がいいな」
「軽く弾く程度なら問題ないですけど、目いっぱい引いて空撃ちするのはやめた方がいいですね」
「わかった。とりあえず、裏の河原へ一発かましに行こうか?」
「そうですね」
俺はユナと一緒に、家の裏の河原まで移動することにした。
小さな川の向こう側には、俺たちが設置した練習用の的が、いくつもぶら下がっている。
これから巻き藁を用意するのは面倒なので、河原まで移動した方が早いだろう。
俺とユナの二人は、どうせすぐに戻るからと、軽めの上着に身を包んでから、玄関の扉を開けて──すぐに閉めた。
「凄いですね……」
「なんか、凄かったな……」
玄関のドアを開けると、1メートル先が見えない程の雪が降っていた。
無風が幸いして、家の中まで吹雪いてくることはなかったが、あまり雪に馴染みがない俺は、うねりながら降り積もる白い雪の壁に、恐怖さえ感じてしまった。
「そんなに酷かったの?」
「ちょっと洒落にならないレベルだ」
ティナが木窓を開けると、先ほどの光景が目に映る。
木窓を全開にしても雪が広間に進入してこないのは、窓枠に障壁の魔法を張っているからだろう。
だが、ガラスのように明かりが反射しないせいで、魔法の障壁が目に映ることはない。
見た目は木窓が開いているのに、部屋の中には雪が入ってこないのだ。
これは魔法の効果だと、理屈ではわかっているのだが、何とも不思議な気分になる。
「物凄いの。外に出たら遭難しそうだわい」
「ツメタイヤツ、ニガテダ」
「こりゃ、離れのトイレに行くだけでも大変になるな」
そろそろ夕方か……。
流石にこの雪で銭湯に行くとは言い出さなかったサキさんは、今日もグレンと先に風呂を済ませた。
いつもの如く、夕食を終えた俺たちが風呂から上がる頃には、グレンの頭に飾る缶詰のような帽子も完成していた。
「缶詰ではない。兜巾と言うておろうが」
「難しいな。ここで覚えても、明日の朝には忘れている自信がある」
サキさんは肩を落としたが、缶詰の帽子まで装備したグレンの雄姿は、もはやエミリアのベッドで蹲っていたような、弱き存在の面影はない。
「なんと威風堂々とした出で立ちであろうか!」
「むしろレッサーデーモンに、天狗のコスプレをさせようと思った、サキさんの方がすげえよ」
サキさんとグレンはまだ起きているようなので、俺たちは二人を置いてさっさと寝ることにした。