第225話「収穫祭一日目③」
俺が医務室の椅子に座って、意味もなくドクター気分に浸っている横では、ティナが建物全体に魔法の明かりを灯したり、家の調理場から「浄水の壺」を召喚して、その中に魔法の水を入れるなど、せわしく準備を行っている。
こういう準備は、俺の苦手とするところだ。
俺が使う魔法は、偽りの指輪という魔道具に集中している間だけしか効果を現さない魔法が多いので、部屋に灯した明かりを維持するような芸当はできない。
しかも魔力を扱えないので、何かを召喚したり、物理法則を捻じ曲げて、重い物を浮かせたりすることもできない。
ティナやエミリアのように、本物の魔術師であれば、もう少し融通も利くのだが……。
「ギルアンさん、怪我や病気の方に触れたり、手で接したあとは、必ずこの、魔法の壺で手を洗うようにしてください」
「わかりました。流石、導師の先生は衛生の大切さもわかっていらっしゃる」
俺のマントとティナのローブは薄い灰色で、導師が着ている白いローブとは種類が違うのだが、普通の人には明確な違いなんてわからないようだ。
俺もその辺りのルールには詳しくないので、下手な説明はせずに話を合わせておく。
それはともかく、明らかに具合の悪い人がいるときはマスクを付けるようにと、昨日ティナが作っていたマスクの一つを、ギルアンさんにも渡した。
「この紐を耳にかけるだけで良いのですか? はは……これはいい。手拭いを後ろで縛るよりも簡単で合理的だ……」
マスクを手にしたギルアンさんは、余程マスクが気に入ったのか、個人的に欲しいと言うので、予備をもう一枚あげた。
「ありがとうございます。これなら手拭いを巻かなくても、鼻や口に入ってくる虫を防げそうです」
本来の目的とは少し違うが、生活の役に立つのなら良かった。
いつ誰が来ても大丈夫な状態にして、俺とティナとギルアンさんの三人がスタンバイしてから、早くも一時間以上が過ぎたような気がする。
怪我人が来なくて暇だと言ったら不謹慎だが、正直この建物、祭りの喧騒は微かに聞こえて来るのだが、街の様子が一切わからないので、置いてけぼり感が半端ない。
「元は見張り塔だったこの建物も、本来の姿なら祭りの様子が良く見えたんだろうな」
「そうかも知れません。今なら魔物など見張らずに、観光名所として利用できていたでしょうに……」
この建物が塔の姿をしていた頃は、まだ祭りどころじゃなかった時代か──。
「ミナト、ちょっと悪いんだけど、一度家に戻ってくるわね」
「……ああ、うん」
ティナは俺に耳打ちをすると、その体勢のままで掻き消えるようにテレポートした。
なんの予備動作もエフェクトもないテレポートは、わかっていてもドキリとする。
「……今のは一体?」
「魔術師が使う移動の魔法だけど、かなり上の魔術師にしか扱えないんだよな……」
「そ、そうですか。今年は凄い導師の先生に来て頂けて、何とも心強い限りですなあ」
俺とギルアンさんで笑い話の一つもしていると、待合室の方から人の気配がした。
「どれ、私が見て来ましょう!」
待合室の方に向かったギルアンさんは、すぐに若い男を連れて医務室に戻ってきた。
「刺されているそうです」
「……はい?」
連れて来られた男は、二十代前半くらいに見える。
細身で顔つきが悪く、一見しただけで街のチンピラだとわかるような風貌だ。
右腕を抱え込んだ状態で、青ざめた顔をしている。
「じゃあ、やられた所を見せてくれる?」
「へえ、すんません……」
男は抱え込んだ腕をほどいて、そろりそろりと右の腕を差し出した。
男の腕には、服の上からナイフが突き刺さっていた……。
「……確かに刺されているようだな。どうしてこうなった?」
「…………」
見たところ、出血自体はあまりない。刺さったままナイフを抜かなかったのは正しい判断だと思う。
それにしても、こんなものを見せられているのに、動じなくなったものだ。
以前の俺なら卒倒する案件だが、怪我の多いサキさんのせいで、メキメキと耐性が付いてしまったんだろうな。
深々とナイフが突き刺さった右腕を机に置いたまま、手短に話す男の説明によると、普段見掛けないよそ者に因縁を付けたら、こうなってしまったらしい。
やり過ぎだとは思ったが、どこの世界にも同じような人間はいるんだな。
見た所、他に傷はないし、本当にナイフで一突きされただけで終わったみたいだ。
「役所に行ったら面倒なことになるんで、ここで何とかしてくれよぉ」
「ギルアンさん、こいつの袖口を切らないと処置できない。ハサミはある?」
「すみません。すぐに取ってきます」
ギルアンさんは神官着の裾をたくし上げると、走ってハサミを取りに行った。
『………………』
腕にナイフが突き刺さっている男と対面している絵面は、なかなかにシュールだ。
しかしまあ、よくも一突きでこんなに深々と刺さったものだなあ。
今にも泣き出しそうな顔の男を憐れんでいると、ティナが家から戻ってきた。
「……これはなに?」
「喧嘩だよ。今、ギルアンさんがハサミを取りに行ってる」
「とりあえず、二の腕の所を縛りたいから、そのベルトを借りるわよ」
「おふ……あふん」
ティナが男の腰からベルトを抜き取ると、この男は変な声を出した。
今にも泣きそうな面のわりには、余裕があるじゃないか。
「ミ、ミナトさん、お待たせ……しました」
全力で走ってきたのか、ギルアンさんは息を切らせながら、俺にハサミを差し出してくる。
「ありがとうございます。それじゃあ治療を始めよう。まずはナイフで破れた穴の位置まで袖を切るぞ」
「ギルアンさん、お疲れのところ悪いんだけど、このベルトで思いっきり二の腕を縛って、止血しておいてちょうだい」
「いいでしょう、やってみます」
「袖まで切れた?」
「切れたぞ。笑っちゃ悪いけど、えらくきれいに刺さってる。これなら、汚れが腕の中に入っている可能性は低いだろうな?」
俺はハサミで裂いた袖をたくし上げて、傷の様子を見る。
それにしても、見事なまでに突き刺さっているものだから、現実感というか、不思議と気持ち悪さを感じない。
肝心の男の方は、自分の腕にナイフが刺さっている所なんか見たくないのか、ずっと下を向いたまま黙っている。
そりゃそうだよな。真面目にやろう──。
「まずは腕からナイフを引き抜かないとな。かなり深いから、相当な力で引き抜かないとだめだ。ぐりんぐりんするかもしれん」
「ウソだろ、おい……何だかどんどん痛くなってきやがった……」
男は頭を振りながら、半分泣き声になっていた。
「とにかく、このナイフを抜かないと、治療が始まらないぞ」
「私の魔法でナイフを別の空間に召喚するから、ギルアンさんは腕の傷が閉じるように、左右から腕を押さえておいて」
「……こういう感じでよろしいですかな?」
「そのままでお願い」
「なるほど、ナイフが消えて傷を閉じた瞬間に、俺が刺し傷を回復させればいいわけだな?」
「そうよ」
ティナが古代竜の角の杖を取り出して準備をしたので、俺も生命の精霊石を手に取って、偽りの指輪に意識を集中した。
「それじゃあ行くわよ……今っ!」
「…………」
ティナの合図と同時に、男の腕からナイフが消え去り、その腕を左右から押さえつけていたギルアンの両手が微妙に動く。
俺は一瞬だけ噴き出した血に怯むことなく、全力の魔法でその傷を癒した。
「……塞がったかな?」
「大丈夫そうね? ギルアンさん、もう放していいわよ」
「…………」
「……おお、塞がっていますよ」
俺は塞がった部分を押してみたり、痺れが残っていないかを確認した。
「大丈夫だな? 治ったから良かったが、もう喧嘩はするなよ」
「ほんと、すまねえ。もう懲りたから、当分大人しくしときまさあ……」
腕の傷が治った男は、照れ臭そうに何度も頭を下げながら部屋を出て行った。
何とか最初の怪我人を治療した俺たちは、手に付いた血を「浄水の壺」で洗い流した。
「素晴らしかったです。あんなに凄い回復の魔法は初めて見ました」
「……いつもは違うのかな?」
「そうですな……先程のような深い傷だと、完治するまでに十分くらいは掛かります。あまりにも酷い状態なら、応急処置を施して役所の判断に委ねるのが普通です」
「役所の方で追い返された人たちが、大勢来ると聞いていたけど」
「軽い病気や体調不良の方なら、神殿にある薬を煎じて分け与えることもできますが、それでもお手上げとなると、もはや神の慈悲にすがるしかありません」
エミリアから聞いてはいたが、現場の人間から聞くと説得力が違うな。
傷の手当てなら大丈夫だと思うんだが、病気までは治せるかどうかわからんし……。
この世界の医療レベル、もう少し真面目に調べておくべきだったかもしれんなあ。




