第21話「ミノタウロス戦」
「どのようにするのだ?」
カルカスから用意された小さな空き家の中、俺たちは桶に汲んだ水で体を拭きながら作戦会議をしていた。
ユナに配慮してサキさんだけは後ろを向いて体を拭いている。
「住処の洞窟に入って行くのは自殺行為だ。まず生贄でミノタウロスを釣ろうと思う」
ミノタウロスは洞窟に潜んでいるらしい。アサ村のゴブリンの住処とは違って、こちらは普通の洞窟だと聞いている。
通路は大きくミノタウロスが十分暴れられる広さがあるらしいので、そうなると大きく逃げ回れないこちらの方が不利である。
「囮を使うか?」
「いや……囮は使わないで、ミノタウロスを騙す」
村長の話では、生贄は大きな桶に入れて縄で縛ったまま洞窟の前に放置するらしい。
「出てきた所を弓で攻撃するんですね」
「そうだ。これはティナとユナにやってもらう。洞窟の入り口から40メートル付近に一段高くなった崖があるから、そこから射撃してくれ」
「ミノタウロスは登って来ないかもしれないけど、私たちも下に降りられないわよ」
「それでいい。場所を変えながら射撃を続けてくれ」
これで二人の安全は確保できただろう。相手は男二人を薙ぎ払う化け物だ。ティナたちの体格だと当たっただけでも即死する危険がある。
「わしは?」
「俺が魔法で支援するので、サキさんはミノタウロスの背後を取ってくれ」
「やってみよう」
道中暇だったので魔法のテストを散々繰り返していた俺は、魔法の射程や有効範囲などがわかるようになっていた。今回の俺は魔法を駆使して戦う予定だ。
一通りの作戦を説明したあと、俺たちは普段と変わらず下着を替えて普段着になると、歯磨きをして眠りについた。
翌朝、道中の疲れもなかったかのような早い時間に目が覚めた。家から出ると、村のかがり火は絶やされることなく燃えていた。
兵士が火を絶やさないようにしているのだろう。
俺たちはなるべく普段通りに朝の支度をする。今日のティナはいつもより増して念入りに髪を整えているようだ。気合を入れているらしい。
ユナもブラウスの首元にリボンを結んで気合を入れていた。
サキさんはすでに完全武装をして、頭に鉢巻を巻いている。
準備を終えた頃、兵士の一人が朝の食事を運んできたが、戦いの前の緊張でパンは喉を通らなかった。残すのも悪いので、麻袋に入れて後で食うことにする。
「ミナト殿、昨日指示された物はこれで良いですか?」
別の兵士の一人が大きな樽を運んで来た。人が入れるくらいの大きな樽だ。樽の蓋を開けた途端、むせ返るような臭いが漂う。
俺は生贄に使う樽に村中から洗っていない女の服を詰め込んで、生贄の代わりを作らせたのだ。
相手は牛頭だと聞いたので、もしかしたら臭いに釣られるかもと考えた。
「ありがとうございます。これで大丈夫です」
完全武装した俺たちはカルカスから兵を二人貸してもらい、道案内と樽を運ぶ作業をしてもらった。
「ミノタウロスの場所までは遠いんですか?」
「歩いて一時間以上掛かりますよ。獣道なので歩きづらいですし」
鉄の鎧を着てロングソードを腰に差した兵士の一人が答えた。鉄兜まで被っているので見ているこっちの方が息苦しい。
道中の獣道では枝や草が絡んできて、こういう場所では肌の露出がない服が役に立っている。数日前に一度兵たちが通ったせいで、地面の草は踏み荒らされているようだが、それでも歩きづらかった。
「あそこです。あの洞窟の中にミノタウロスが潜んでいます」
俺たちは一度、ティナとユナの射撃ポイントに身を潜めて洞窟を確認した。地形なども昨日教えてもらった通りだ。俺はこの場所に二人を残して、四人で道を迂回し、洞窟の前までやってきた。
「兵士のお二人は樽を置いたらティナとユナの場所で待機していてください」
「わかりました」
「俺とサキさんは洞窟の後ろの茂みで待機するぞ」
「承知した」
洞窟の前に樽を設置して兵士たちは下がり、俺とサキさんは後ろの茂みに身を潜めた。
「出てこんな……」
「まずいな。洞窟にいないのかも……」
樽を設置してかなりの時間が経ったと思う。段々腹が減ってきたので、俺は麻袋に入れておいたパンをかじっていた。サキさんも以前買った干し肉をかじり出したので、お互いに半分にわけて小腹を満たしたところだ。
こんなことなら向こう側の四人にも何か用意しておくべきだったな……。
「気配だ……」
食い終わって暫くすると、サキさんが小声で知らせてくる。俺は咄嗟に偽りの指輪に意識を集中した。
周りの精霊力を圧倒するような何かが近づいてくるのがわかった。
これが生命力なのか……俺は手にした精霊石を確認しながら息を殺した。こちらからはミノタウロスの細かな行動まで見えない。
俺はティナとユナが待機している崖の上に注目していた。
コツ、コツ、ガタンという音が、洞窟の入り口の方から聞こえてくる。俺は掛かったと思って崖の上の二人を目で探す。二人は互いに少し離れた距離から弓を構えて……ほぼ同時に矢を放った。
「ウグォモオオオオオオウゥゥッ!!」
辺りの草が震えるような唸り声。間髪いれずにユナは第二射を繰り出す。やや遅れてティナも第二射を放つ。ミノタウロスのものであろう声がさらに強く響いた。
「打ち方止め! サキさん備えろ!!」
俺は声を張り上げると、洞窟の裏手の茂みから飛び出し、ミノタウロスの姿を目で捕らえた。
う。でかい……。
ミノタウロスは想像以上のでかさだった。しかし今はそんなことを考えている場合ではない。弓のダメージを確認するよりも先に闇の精霊石を握りしめ、俺はミノタウロスの頭に黒い金魚鉢を被せるようなイメージをした。
俺が闇の精霊力を解放すると同時にミノタウロスの頭が黒い球体に覆われる。
一瞬にして視界を奪われたミノタウロスは、その場で立ち止まると自分の目の辺りを掻き毟りながら身悶えした。
その隙にサキさんはミノタウロスの背後に回ると、その巨体にロングスピアを力尽くで突き刺した。
……尻に。
「モッ! ゴウフッ!! モゴッ!!」
ミノタウロスは何度か短く唸りを上げると腰砕け状態になり、その場で両膝と手を付いて四つん這いのような体勢になる。
ロングスピアを突き刺して一瞬その場から飛びのいたサキさんは、ミノタウロスの尻から生えているロングスピアの柄を思いっきり蹴り抜いて、深々とそれを押し込んだ。
……見ていられないほどえげつない光景だった。
「サキさん止めをさせ!」
俺は自分の額に手刀を当てるような身振りをしながら、サキさんにハンドアックスを投げ渡した。意味が通じたのか、サキさんはそのまま動けないミノタウロスの背中を踏み付けて頭に一振り、ハンドアックスの強烈な一撃を叩き込む。
鈍い音を立てて深々とミノタウロスの頭にめり込んだハンドアックスを見て、俺はミノタウロスの最後を確信した。
ちょっと予定と違うような気もするが、俺たちが勝ったのだ。
サキさんは両腕の拳を掲げて野獣のような雄叫びを上げた。体全体で勝利の喜びを表現するさまは、清々しいほどに男らしい見事な勝鬨である。
それに感化された兵士二人はやや自分の尻を押さえながらも、サキさんに負けじと雄叫びを上げ続けるのだった。
俺が崖の上のティナとユナに手を振って合図をすると、向こうも遠慮がちに手を振って返してきた。
俺たち三人では、入るに入れない男の世界を遠巻きに眺めることしかできないのだ。
洞窟の前に合流した六人は、ミノタウロスの死骸を確認する。
矢は首筋に2本、胴体脇腹と腹に1本ずつ刺さっている。二人の矢だけでも相当なダメージを与えていたはずだ。
「素晴らしい戦い振りでした! 早速カルカス様に報告しなければ!」
「二人は討伐の報告をして、人手を集めて来てください」
『ハッ!!』
兵士の二人は俺たちに敬礼をして、駆け足で村へと戻って行った。
「無事に倒せて良かった。洞窟の中を確認しておこう」
「うむ」
ティナとユナの二人には洞窟の前で見張りをしてもらい、俺はサキさんと二人で魔法の明かりを使って洞窟の奥へと入って行く。
洞窟の通路はそこそこ広く、奥に行くほど狭くなり、30メートルほどで行き止まりになっていた。それにしても吐きそうな臭いだ。ゴブリンの時もそうだったが、やはり衛生管理の無い生き物だとこうなるのだろうか?
ミノタウロスのねぐら付近には、今までの生贄だろうか? 人骨を積み上げた場所があった。それ以外には特に何もなく、俺とサキさんは早々に洞窟を後にした。
「何かありました?」
「なんもないわい。見ん方が良い」
そう言ってサキさんは鉢巻を外しながら、ミノタウロスの頭からハンドアックスを引き抜く。ロングスピアも抜こうとしたが、深々と刺さったそれはどうやっても抜けない。
「王都に帰ったら新しいのを買おう。汚いからもう放っておけ」
「止むを得んか」
俺は返してもらったハンドアックスを水の精霊石で洗いながら提案した。
サキさんのロングスピアは普段から物干し竿になっているので、柄の部分まで刺さったようなものは使いたくなかった。ティナとユナも同意してくれた。
三時間ほど待っていると、カルカスと兵士全員が村の男たちを連れて洞窟の前にやってきた。俺は洞窟内の骨をきちんと埋葬すること、また何かが住み付くといけないので洞窟の入り口は塞ぐことを村長に提案した。
村長に指示された村の男たちは、早速そのように作業を始めたようだ。
「兵たちでも敵わなかったミノタウロスを簡単に討伐するとは。見事な働きであったと聞いたが、私もその場に居たかったぞ」
カルカスは兵士に命令すると、ミノタウロスの首を切り落としていた。
「国王陛下に報告申し上げねばならんので、この首は買い取らせて頂くが良いか?」
「構わないですが、買い取って貰えるのですか?」
「ミノタウロスの角は薬としても高く売れるのでな。報告のさいに角無しでは格好が付かんので買い取らせて欲しい」
「それならこの戦いで槍をダメにしたので、ミノタウロスを仕留めたこの男に相応しい槍を用意してもらえませんか?」
俺はエミリアのことを思い出して、少し意地の悪い要求をしてしまった。
カルカスは少し考えたあと、後日送らせると言って王都の冒険者の宿に届けることを約束してくれるのだった。




