第1話「魔法陣の秘密の話」
「はあ、はあ、はあ……」
エミリアを巻き添えにしてベッドから転げ落ちた俺は、エミリアに抱き付いたような恰好で息を荒くしていた。
俺の顔がエミリアの胸に埋もれるような酷い体勢だ。
う、こっちの方がデカい……じゃなかった、空いた方の手で自分の胸を触ると、エミリアと同じ感触のものが自分にも付いていて、押したり動かそうとしたり、引っ張ろうとするも……それは紛うことなく自分の体の一部として感じられた。
下の方も確認しないといけない気がするのだが、正直ちょっと今はやりたくない。それにもう察しは付くし……まだ一度も使ってなかったのに……。
「すみません……」
「い、いえ。私の方は平気ですから」
やっとのことで起き上がって、俺はエミリアに謝った。少し涙声になりながら、俺はどうしようもなくなって自分の胸を触っている。
う、嬉しくない……。俺が今までに触ったおっぱいは母親のおっぱいだけだ。母親以外で触った人生初のおっぱいが自分のおっぱいだと思うと、心底つらい。
実は結構俺好みの女性、エミリアのデカい胸に顔を埋めていたはずなのだが、こうして自分のおっぱいを触っていると、別に何の感動もドキドキも覚えなかった。
もう悲劇としか言いようがない。
「とりあえずそこに掛けましょうか」
エミリアに促されるがまま、俺はベッドの端に腰掛けることにした。
この状況に悲壮感はあるものの、まあ何とかなるだろうみたいな根拠のない考えが、俺の脳裏に浮かんでは消えていくのを繰り返している。
俺は少しでも自分の状態を理解するため、見える範囲で身体の確認をしてみたが、随分小柄になったものだと思う。
今俺が着ている服は、いつも自室で着ていた部屋着だ。それ以外は何もない。ポケットの中も含めて、所持品は一切持ち合わせていない。足は勿論裸足だ。
俺は意識を失う直前までスマホを掴もうとしていた記憶が残っている。だが、どうやら手に掴むことはできなかったようだな……。
部屋着は袖も裾もかなり余っているので適当に巻くっておいた。
コンコンと部屋をノックする音が響いたので、音のする方に目を向けると扉が開いた。
「荒れとるようだの……最後の者が目覚めたのだろう? 水を受け取るが良い」
「あら、ありがとうございます」
ドアから入って来た男、随分美形なので一瞬女かと思ったが……声を聞く限り確実に男だと判断できる人物が、エミリアに水差しを手渡した。
長い黒髪を後ろでポニーテールにして、目の色も同じく黒い。身長は175センチくらいだろう。ダボダボの服を着ているので体格までは良く分からない。
服の色が恥ずかしいくらいにショッキングピンクなので、異様な存在感を放っている。
……どうやら情景に気を配るくらいの心の余裕が生まれてきたと思う。
改めてエミリアを見ると隣のイケメンよりも少し背が低い。160センチくらいだ。
最初はナース服だと勘違いした白い服は、黒や金色で縁取られたローブのようなデザインで、肩には同じ意匠のケープを羽織り、頭に乗せている箱のような帽子も同じ色とデザインで統一されていた。
「サキさん、コップを忘れているわよ」
ドアの向こうから別の声が近付いてくる。続けて部屋に入ってきたのは小柄な少女だ。
木製のゴツゴツしたコップを両手に抱えて、こちらへ歩いてくる。
「すまぬ。忘れておったわ」
サキさんと呼ばれたイケメンが三つ受け取って──。
「あ。どうも……」
俺に一つ手渡し──。
「すみませ……ああっ!」
ゴトン。
水差しを持ったままのエミリアが変な体勢で受け取ろうとしたので、エミリアは自分のコップを地面に落とした。
緊張したり、不安になったり、悲観になったりしていた俺には、こういうどうでも良いような一面でも、今は有り難いと感じる。
一瞬拾おうとした俺だったが、腕を伸ばしても地面に手が届かない気がしたのでそれをやめると、一番後ろに立っている少女の方が気になって観察を始めた。
ギリギリ中学生かも知れない。背丈はイケメンの肩よりも低いので140センチあるかないかだと思う。
髪の色は……初めて見るけど銀髪だろうか? 腰の下まで伸びていて、先っぽの方は三つ編みにしている。瞳の色はオレンジがかって見えた。
少女趣味というか、どう表現したら良いのだろう? リボンとかフリルとかが沢山ついた白いワンピースを着ている。服が大きいのか、ダボダボになってはいるが……。
おっと、遠目で観察していた俺の視線に気付かれたのか、目が合ってしまった。
その少女はにこりと笑うと、こちらに手を振っている。小さくてかわいいなあと思ったが、基本的に俺は子供に対してどう接したら良いのかがわからない男だ。
なのでこういう場面は困ってしまう。俺は笑顔で手を振る少女に対して、さっと目を逸らしてしまった……。
いくらなんでも今の態度は無かったなと思い、チラリと目を戻すと、特に気にしたふうでもなくもう一度にこりと微笑んでくれた。
これは結構やばい。俺はロリコンではないはずだが、何故か母性のようなものを感じて甘えたくなってしまった。
俺も精一杯頑張って引きつった笑顔を返した……。癒されたのか心にダメージを負ったのか良くわからない状態だ。
そんなやり取りをしていると、エミリアが全員分のコップに水を入れ終えた。
「では、どこから説明しましょうか……」
俺たち三人から二歩、三歩と後ろに引いて、エミリアが切り出す。そういえば魔術学院の導師か何かだと自己紹介してくれたが、現実世界で言うところの先生みたいな役職なのだろうか?
「わからない事があったら質問してくださいね」
俺たち三人は無言で頷いた。
あれ? ということは、三人とも日本人ってことで良いのか?
エミリアはポケットから小さな巻物のような物を取り出すと、それを全員の前で広げて見せる。俺が自分で描いた魔法陣と大体同じものだ。
「まずこの魔法陣ですが、これは古代遺跡で発掘された召喚魔法の一種です。本来はこの世界に悪魔や幻獣を召喚して使役するための魔法でしたが、不注意で呼び出してしまった大悪魔を魔界に送還させたとき、何故か召喚魔法が暴走してしまったのです」
三人とも黙って聞いている。
俺の方はサッパリ意味がわからないので黙っているだけだが。
「あの、もしわからない事があったら何でも聞いてくださいね?」
俺たちが理解していないと思ったのだろう。エミリアが確認を促してきた。
今の俺たちは、真ん中に俺、その左右にサキさんと呼ばれたイケメンと少女が並んでいる。三人仲良くベッドの端に腰掛けて、エミリアの話を聞いている状態だ。
少し間があってから、隣の少女が口を開いた。
「私の世界では半年以上前から魔法陣が出回っていたわ。そんなに暴走していたの?」
確かに……。
「この召喚魔法は大掛かりな儀式を行って発動させるので、暴走した魔力を収束させるまでに一年もの時間を費やしました。幸い学院の敷地内でしたので、特に被害は出なかったのですが……」
「ちょっと待ってくれ。そっちで勝手に暴走しただけなら、なんで俺の世界に魔法陣が出回るんだ? しかもネットで拡散されていたぞ」
俺はエミリアの話を遮って疑問を投げ付けた。隣に座っている二人もネットで見たと言っている。
魔法なんて言われても原理からして理解できないが、別の世界からインターネットに画像をアップロードするような魔法があってたまるか。
しかし俺の声は変だ。自分で喋っているのにまるで別人の声なので違和感が酷い。
「ごもっともです。そちらの世界の情報技術だと聞いています。恐らくですが、送還に失敗した大悪魔がそちらの世界で魔法陣を広める工作をしたのではないかと考えています」
「流れぶった切ってすまん。わしにはさっぱりわからん」
ショッキングピンクの服を着たイケメンが頭悪いアピールをした。
「いたずら好きな悪魔が、異世界に飛ばされた腹いせに好き勝手をしたと言うことよ」
「……それならわかる」
俺を間に挟んで交わす二人のやり取りを聞いて、こちらも何となく理解できた。
「その大悪魔が向こうの世界で何をしても正直構わないが、こんな紙切れ一枚に描いた魔法陣なんかで、異世界に召喚される程の力を引き出せるのか?」
俺は見本の画像を見ながら、ただの紙にペンで魔法陣を描いただけだ。そこには何のエネルギーも存在しないはず。その疑問をエミリアに尋ねた。
「ここに描いてある魔法陣は魔力を込めないと発動しませんが、そちらの世界に出回った魔法陣は大悪魔が手を加えた可能性が高いです。彼らは人間の負の感情を利用することに長けています。例えば、怨念や絶望感のようなものを込めながら魔法陣を描けば魔力よりも強い力を引き出してしまうかも知れません」
「………………」
エミリアの言葉を聞いて、俺たち三人は無言のまま顔を見合わせてしまった。
心当たりがある。俺はあの時、かなりの絶望感に浸りながらひたすら魔法陣を書いていた。しかもこれ以上ないと言うくらいの酷い感情を持って魔法陣に触れた……。
段々理解できてきたぞ。
「俺が知りたい事は三つある……一つ目は、この世界に召喚されてきたのは俺たち三人だけか? 二つ目は、召喚されて姿が変わったのだが元に戻れるのか? 三つ目は、元の世界に帰る手段はあるのか? 召喚魔法に関して知りたいのはこの三つだな」
「実に的を射ておる」
残念なイケメンがうんうんと感心した仕草をする。少女の方もこくり、こくりと頷いているので上手くまとまっているはずだ。
エミリアは少し考えてから、以下のように説明してくれた。
こっちの世界に召喚された人間は、俺たち三人を含めると全部で十三人。そのうち四人は元の世界へ送り返したそうだ。
送り返した四人は深刻な怪我や病気に苦しんでいたらしいが、この世界に召喚された弾みで何故か全快したようで、そのまま元の世界への送還を希望したらしい。
ちなみに送り返したあとの事までは誰も知らない。暴走状態の召喚魔法を使わないと送還できなかったので、元の世界に無事戻れた保証はないそうだ……。
二つ目の質問については、召喚魔法で姿形が変わってしまうような前例は確認されていないらしく、怪我や病気が治った事も含めて原因は不明だという。
そもそも人間を召喚する魔法ではないと言われると、もうそれで納得するしかない。
そして俺たち三人と入れ違いにして暴走した召喚魔法を停止させる儀式が完了したので、これ以上この世界に召喚される人間は現れないし、仮に再び召喚魔法を発動しても元の世界には繋がらないから諦めるようにと言われた……。




