第196話「エミリア離脱?」
広間にいるのは俺とサキさん、そして珍しく着飾っているエミリアの三人だ。
エミリアの場合は珍しく──ではなく、初めて貴族の令嬢らしい恰好で俺たちの前に姿を現したのだが、どうやらエミリアは、先ほどまで行われていた家族会議で自分の結婚が決まってしまい、そのままの足で逃げ出してきたらしい。
「それってカルカスの息子というか、相手はエミリアの幼馴染みだよな? 先日馬車の中で話していたこと、本気だったんだ……」
「そうなんです! 会って話をするだけかと思っていたのですが、既に結婚自体は決まっていて、私が席に着いた時には式の日取りを話し合っていたんです!!」
「それは大変だな……話は変わるんだけど、氷の魔法で凍らせた生き物は、凍結を解除したら生き返るのか?」
「石化と違って、凍結は純粋に凍っているわけですから、元には戻らな……あっ!!」
なるほど。凍結の魔法は元に戻らないのか。よく覚えておこう。エミリアは殆ど最後まで言い終えたところで、恨めしそうに俺を睨んだ。
「エミリアよ、おぬしはわしと似たようなニオイがするから、好いてくれる男がおるうちに結婚した方が良いぞ? ん?」
サキさんはエミリアを諭すように言った。元の世界では悲しい人生の経験者でもあるサキさんの言葉には重みがある。
「どうしたの? 何だか騒がしいわね」
あんまりエミリアが声を張り上げていたものだから、調理場にいたティナも様子を見にやってきた。
「……それで、どんな感じの人なの?」
ティナは魔法の杖で、人型の幻影を映す。エミリアに幻影の魔法を使わせて、カルカスの息子とやらの容姿を見せろと言っているようだ。
「そうですね……んん~、こんな感じです。ちなみに名前はクレイルといいます」
エミリアが広間に映した幻影の男──クレイルは、一言でいうとカッコよかった。
金と茶色が混じった髪の毛は男らしく自然な短髪で、背はサキさんよりも随分高い。恐らく180センチ以上はある感じだ。
サキさんのように中性的な美形ではなく、男性的な頼もしさを感じる精悍な顔つきをしている。
まるで洋画に出てくる俳優のような顔立ちだ。カルカスとは似ても似つかないから、クレイルは母親似なんだろうな。
「なんだこれは。めちゃめちゃカッコいいと思うんだが、性格が悪いのか?」
「悪くはないです」
「有望なの?」
「今は王城の騎士団に所属していて、副団長を務めています……」
一体エミリアは、クレイルのどこが気に入らんのだろうか?
「……なんて言えばいいのかしら? とにかく婚約おめでとう、エミリア」
「うん、おめでとう。結婚してもたまには遊びに来いよな」
「いやはや、めでたい! 後日祝いの酒を送るゆえ、新しい旦那と飲んでくれえ!!」
サキさん、新しい旦那って……酷い言い方だな。
「え? あ……はい、どうもありがとうございます」
ティナが無理やりエミリアの結婚を祝い始めたので、何となくだが俺もそれに続く。
そうすると示し合わせたかのようにサキさんも祝い始めて、俺たち三人は何となく拍手をした。
エミリアも何となくこの場の空気に流されるがまま、最初はいまいち釈然としないまでも、最後の方ではすっかりその気になって、実家にテレポートして消えた。
「エミリアの旦那になる人、カッコよかったな。何がそんなに嫌だったんだろう?」
「あの手合いは自分の環境を変えたくないがために、結婚するまでは何かとゴネておるのだが、いざ結婚したならコロリと態度を変えるであろう。まあ見ておくが良い」
「まあまあ、きっと背中を押してもらいたかったのよ」
そういうものなのか? 俺にはよくわからないな。なにせ今まで、恋愛経験すらなかったし。
ティナは調理場に戻り、サキさんは久しぶりにミシンで何かを縫い始めた。
「今度は何を作るんだ?」
「ただの被せ物である」
どうやらガレージに置いてある、装備品や道具に被せるカバーを作っているようだ。
半ば物置きでもあるガレージには、今のところ使わない物も多数置いてある。
布一枚でもカバーがあれば、それらが埃まみれになる事も防げるだろう。
ティナもユナもサキさんも、それぞれの作業をしているようだが、こうなってくると毎回俺は暇を持て余す。
──夕食時まであと一時間近くはあるだろうか。
暫く俺はソファーでゴロゴロしていたが、いつの間にかうたた寝をしてしまい、数十分後、夕食が出来たと起こされるまで眠っていた。
俺が目を擦りながらテーブルの席に着くと、そこにはすでに夕食が並んでいた。
今日の夕食は、大根と鶏肉にロールキャベツを入れた煮物だ。
最近は魚醤の風味をあまり感じなくなっていたが、今日の煮汁は完全に醤油で作ったような味がする。
「む?」
普段何も言わないサキさんでもわかったようだ。
「旨味は普段と変わらないような気もするけど、匂いが醤油だと全然違うな」
「毎日調理場で試行錯誤していましたけど、ついに完成したんですね」
「ええ、あとは手間を見直すだけね」
ティナは一日の殆どを調理場で過ごすことが多い。
夕食を作るにしては時間が掛かり過ぎていると思っていたが、まさか醤油の再現に尽力していたとは。
それはそうと、結局、夕食にエミリアは現れなかった。
まあ、それも仕方ないか。結局あれからどうなったのか、少し気になるところではあるが……。
本当にこのまま結婚してしまったら、今後はエミリアを冒険に連れ出せなくなるな。
この世界における膨大な知識と、魔術学院のコネと、テレポートにデカい荷馬車と、何だかんだ言っても、エミリアの協力は大きかった。
でもまあ、仕方ないか。これはエミリアに限らず、俺たち四人の中からも将来必ず引退していくメンバーが出てくるのだから──。
夕食の後は、ティナとユナが先に風呂へ向かい、俺は夕食の後片付けを済ませてから風呂に入った。
サキさんの方は、適当に酒を飲みながら、ミシンで何かを縫っている。
「もうエミリアは来ないのかな?」
「さあ? どうかしらね?」
「…………」
俺とティナとユナは、それきり会話が続くこともなく、風呂から上がっていつものように自室で涼んだあと、パジャマを着てから脱衣所に移動した。
「サキさんはまだ寝そうにないな」
いつも最後に起きてくる男は今日も夜更かしをしそうなので、俺たちは髪を乾かして歯磨きをしてから、先に寝ることにした。
翌朝、洗濯物の脱水と物干しをユナとサキさんの二人に任せた俺が広間へ戻ると、普段と何ら変わらないエミリアが椅子に座っていた……。
「……結婚が決まったから、もう来ないのかと思っていたんだけど」
「そんなことはありません。式は来月の予定ですし、それまで好きにしていいと言われていますので、当分の間は今まで通りです」
「あっそう」
昨晩は完全にエミリアとお別れムードの空気が漂っていたのに、色々と台無しである。
今朝のパーティー会議では、急遽エミリアが抜けた事による、今後の冒険の方向性について話し合おうと考えていたのだが、その必要もなくなった。
「まあ急に居なくなられても寂しいけどな。魔術学院とかはどうするんだ?」
「そうですね……やり残した研究もありますし、部屋もそのままにしておく予定ですけど、内周区にあるペペルモンド卿の実家から通うことになると思います」
なるほど。まあエミリアならテレポートで自由自在だし、その辺は特に問題ないかもな。
それにしても何だろう?
昨日は結婚を嫌がって逃げ出してきたくせに、今朝はすっかり話も片付いて、いつもと全く変わらない態度。
この女、本当は満更でもなかったんじゃないのか?
こいつはきっと、放っておいても勝手に結婚していたはずだ。どうしてだか分からないが、俺の勘がそう告げている。
何だか無性に悔しい気分になってきたぞ……。
俺とエミリアが話をしていると、珍しくサキさんとユナが二人で食事を運んできた。
「あれ? エミリアさん、朝からこんなところで何をしているんですか?」
「…………」
ユナの至極真っ当な突っ込みに対して、エミリアはバツが悪そうに口籠る。
「気にしなくていいのよ。いつか旦那さんも呼んでいらっしゃい」
「ティナさん……」
エミリアはすがるような目でティナを崇めてから、遠慮もなしに朝食を頬張った。
しかしエミリアは、そろそろダイエットをした方がいいのではなかろうか?
もう間に合わないかもしれないが、こんな土手っ腹で結婚式をやろうものなら、回りから出来ちゃった結婚だと誤解されかねんぞ。
エミリアのダイエット、無理だろうか? 好きなだけ食わせ続けた俺たちにも問題がありそうな気もするし、何とかしてやりたいのだがな。