第192話「四カ月目の朝が来た」
俺は広間のテーブルを挟んで、エミリアと対面する場所に座っている。
──エミリアの頭が徐々に下を向いていき、途中でビクンと痙攣する動きを楽しんでいたのだが、それを何度か繰り返したあと、エミリアは自分の口から垂れそうになったヨダレを啜りながら目を覚ました。
「……ペペルモンド卿から預かっていた、報酬の残りをお渡ししておきますね」
「今寝てただろ」
俺はエミリアから報酬の入った木箱を受け取る。受け取るとは言っても、その木箱は床に置かれている状態だが。
これから朝食が並ぶテーブルクロスの上に置かれても困るので、この配慮は有り難い。
俺が帰り際にカルカスのおっさんから受け取った皮袋には、既に報酬の金貨360枚が入っていたのだが、律儀なことに追加報酬をくれたのだろう。
ちなみに金貨1枚は銀貨50枚の価値があるので、金貨360枚とは、銀貨にして1万8000枚のことだ。
結局俺たちは、大型のトロールを二体と、小型のトロールを四体も倒した。
オオタウナギは勘定に入れないとしても、トロール一体だと思っていたところに合計で六体もいたのだから、それに対する追加報酬が発生したのは容易に想像できる。
「今回は追加報酬が発生する内容でしたので、冒険者の宿に提出する書類にサインをしておいてください」
「わかった。これは初めて見る書面だな、サインにはパーティー名と俺の名前を書けばいいのかな?」
「はい、そうです」
俺は木箱の中身も確認せず、とりあえずサインだけを書いてエミリアに書類を返した。
そういえば、俺たちが初めて請け負ったゴブリン退治の依頼では、追加報酬が発生するところを全員で黙っておいたから、こんな書類を出すこともなかったんだよな。
依頼書よりは幾分簡素だが、思ったよりもしっかりしている。
そういえばリトナ村の村長も言っていたが、化け物退治の依頼で冒険者を雇ったときは、ある程度の規模を超えると、そこの領主が支払いを負担してくれるらしい。だからこういう書類も必要なのだろう。
もっとも、領主本人であるカルカスの場合は、誰も負担してくれないと思うのだが。
「エミリア、やっぱりその身なりで人と会うのはマズいんじゃないか。酷すぎて家族にも見せられん状態だぞ?」
「いいんです。相手は顔馴染みですから」
むう……。
エミリアを説得できずに手をこまねいていると、ティナとユナが朝食を運んできた。
今日の朝食は、野菜とキノコの雑炊だ。肉と言えば、二つに切ったウインナーが薬味と一緒に添えられてあるくらいだ。
「徹夜が続くと、さすがのエミリアも胃が弱ってくると思って……」
「鋼の胃袋は、弱るどころか、ますます元気になっているようだが」
徹夜明けで腹が減っているのだろう、エミリアはいつもの倍の速度で雑炊を胃に流し込んでいる。
熱い食べ物でもお構いなしか。早食いと大食いのダブルチャンピオンになれそうな勢いだな。エミリアは別の意味で超人だと思った。
「そういえば、サキさんはどこに行ったんだ?」
「朝からお腹の具合が悪いらしいですよ」
「大変だな。腹が痛いと素直に言えば、洗濯なんか手伝わせなかったのに」
サキさんは、みんなの朝食が終わる頃になって、ようやく戻ってきた。
エミリアがおかわりを容赦なく繰り返した鍋の中身はもうあまり残っていなかったが、今日のサキさんは文句の一つも言わずに、残ったもので朝食を済ませている。
「昼まで休むことにするわい」
サキさんは自分の部屋から布団と枕を持ち出して、火の通っていない暖炉の前にゴロンと寝転ぶ。
広間で寝ている方が、トイレまでの距離が近くて助かるそうだ。
──腹が痛いのはどうしようもないわな。
俺とティナが朝食の後片付けを済ませた頃には、広間にエミリアの姿はなかった。
エミリアはあのまま帰してしまってよかったのだろうか? 飯の最中に誰かと会う話題を出したら、ティナが顔と頭だけでも器用に洗ってくれたかもしれないのに……。
もういいや。俺は指摘したからな。せめて顔くらいは洗ってくれることを祈ろうじゃないか。
「今日の予定を決める前に、毎月恒例の報告があるぞ」
「今日から四カ月目が始まるのよね?」
「うん。俺たちがこの世界に来てから、四カ月目の朝を迎えたわけだ」
「いつも思いますけど、まだ三カ月しか経ってないんですよね」
「だなあ……」
ユナに言われて、俺はこの一月の出来事を思い返してみた。
まずは初っ端から、サキさんがカルモア熱でダウンしたな。
それからアサ村の古代遺跡を調べて、王都に帰った後はヨシアキのパーティーにリリエッタが参入したんだったか。あいつら、上手くやっているのかな?
家の増改築もしたな。施工が終わるまでの間、王都一周の旅なんて言いながら、一週間ほど街の宿屋をはしごして回ったっけ。
途中でシャリルの実家の店にも寄ったけど、台所で夕食を作って食べただけなので、結局店舗の方は見れなかった。
王都一周の旅が終わると、アサ村の古代遺跡で生き埋めにしておいた鋼のゴーレムを、エミリアが用意した借り物の魔剣を使って活動を停止させたり……。
鋼のゴーレムの回収を依頼したのは、エミリアの知り合いの導師で、名前はレレオ・バル・モルバッハさん。俺はまだ実際に会ったことはないけど。
依頼を引き受けた結果、報酬の一つとして、収穫祭で行われる騎馬試合の出場権を手に入れた。
これによりサキさんは、モルバッハ家からの代役として騎馬試合に出場する予定だ。
今にして思えば、エミリアがサキさんのために気をまわしてくれたんだろう。そうでもしない限り、こんなにピンポイントな報酬は出てこないだろうからな。
冬物衣料や装備の強化もしたな。そうそう、ヨシアキがこっちの世界に持って来ていたスマートフォンの充電ができるようになったんだっけ。かなり危ない仕様だけど。
こっちはこっちで、テレポーターを手に入れた。
今はまだエミリアのサポートがなければ使いこなせない状況だが、ティナがテレポートの魔法を使えるようになれば、夢の移動手段になるはずだ。
現にカルカスの依頼で向かったトロール討伐の際には、テレポーターを使って好きな時に家まで戻れたからな。
「何だろう? 思い返すと相変わらずドタバタしているように感じる。俺としてはもう少し、のんびりとした生活を送りたいんだけどなあ……」
「おぬしが一番働いてなかろうが」
それまで冷たい暖炉に向かって腹をさすっていたサキさんが、くるりとこちらを向いて言う。
毎日銭湯に通って、無駄に何時間も暇を潰している人間に言われると無性に腹が立つな。次に言ったら踏み付けてやる。
「収穫祭まで十日を切ったが、あと五日もすれば、剣技大会の予選が始まるだろう。街に用事があるなら、今のうちに済ませておきたいところだ」
「本格的にお祭りの準備が始まると、もう馬車を使った買い物は出来なくなりますよ。それに、そろそろ遺跡組の冒険者たちが王都に戻ってくる頃です」
すっかり忘れていたが、遺跡探索を専門とする冒険者たちのことを「遺跡組」と呼ぶ。
詳しく調べていないので、その実態はよくわからないが、毎年収穫祭が始まる頃からボチボチと王都に戻ってきて、街で冬を越してから、暖かくなるとまた遺跡へ旅立って行くらしい。
──まるで渡り鳥だ。
「遺跡組の人たちは、王都に着いたらすぐに魔道具を売り払って資金を作るらしいですよ。収穫祭が始まる直前に、魔道具屋さんを覗いてみたいですね!」
「じゃあエミリアに頼んで、外周一区の内側にテレポーターを運んで貰いましょう」
「それがいい。人でごった返す時期に、街の反対側まで行くのは大変だろうからな」
「サキさんも街でやることがあったら、今のうちにやっておいた方がいいぞ」
「うむ。研ぎに出しておる剣を、二日後に武器屋まで取りに行く。わしの要件はそれだけだの」
そう言ってサキさんは、布団からゴソゴソと這い出してトイレに向かった。
「今日のサキさんはダメそうだな」
「変な物でも食べたのかしら?」
「酒のつまみが傷んでいたとか、腹を出して寝ていたとか、そんなところだろう」
俺の方は特にやることもないし、そろそろ底をつきそうな精霊石の補充を始めた。
精霊石は俺たちが使う以外に、ナカミチの工房でも使っているので相当な数が必要だ。
とはいえ、毎回これだけの数の精霊石を作っていると、さすがに嫌でも慣れてくる。今では数秒に一つという、明らかに異常な速度で精霊力を込められるようになった。
俺の場合は、偽りの指輪の効果で精霊力を集めているので疲れないが、自前の能力で精霊力を集める魔術師では、この速度で精霊石を作り続けるのは不可能だろう。
せわしなくトイレの往復に勤しんでいたサキさんが落ち着いてきたので、俺はサキさんの腹に、何となく効くかもしれない微妙なイメージの回復魔法を使っている。
「悪酔いなんていう症状も魔法で治せるんだ。荒れた胃腸くらいすぐに治るだろう」
「ミナトよ、腹はもう大丈夫なんであるが、尻が痛いわい」
「どの辺だ?」
俺が聞くと、サキさんは左手の人差し指と親指を握って穴のような形を作り、この辺だと指を差した。
「ちょっと、位置的によくわからんな。とりあえず一度、尻を出してもらえるか?」
「うむ」
サキさんが俺に尻を向けて、ズボンごとパンツを捲っているタイミングで、ユナが二階の部屋から出てくるのが見えた。
ユナは外出用の上着を羽織っている。これから街へ出掛けるのだろうか?
「ちょっと、何やってるんですか!?」
「サキさんの尻が切れたらしいから、回復の魔法で治してやろうかと……」
「そうですか。てっきり私は……」
ユナは台詞の途中で口籠ったあと、先週注文しておいた魔法の矢を取りに行くと言って、ガレージ側の戸口から出ていった。
確か一週間ほど前に、ユナのリピーターボウに使う魔法の矢を作る話があったな。ついでに半分くらいまで減った魔法の矢も補充するという話だった。
「ミナトよ、はようせんか。はよう……」
「ああ、うん……」
布団の上で四つん這いになって、尻を突き出しているサキさんを直視できなかった俺は、患部を見ないまま回復の魔法を使った。
つまり、サキさんは意味もなくパンツを下したのである。