第188話「食材が足りない」
家に帰って一目散に自分の部屋へ駆け込んだサキさんは、愛用のお風呂セットを脇に抱えて馬小屋に向かっていた。
「わしは銭湯に行ってくるわい」
「それなら強面親父に結果の報告をしておいてくれ」
「よかろう。では、行ってくる!」
サキさんは休む間もなく、白髪天狗に跨っていつもの銭湯へ行ってしまった。毎度のことながら落ち着きのないやつだな。
「俺たちはどうするかな?」
「私は夕食の準備をするわね」
「じゃあ俺は、道具を片付けてからソファーで横になるかな。馬車のシートが合わなかったせいで、尻が痛くてしょうがない」
俺はユナと一緒に、冒険で使った道具の後片付けを軽く済ませてから、二人掛けのソファーに寝転んだ。
ハードレザーの鎧は手入れがいるかと思いきや、最初から保護や強化の魔法で守られていたせいもあって、水分を吸い込んだ感じすらしなかった。
──サキさんが装備の点検もせずに、そのまま出て行ったのはこのためか。
なるべく余裕のあるときは、魔法が掛かった状態を維持できるようになれたらいいな。
「んー……」
俺はソファーの上で脚を伸ばして、黒タイツをはいている自分の脚を眺めたり、触り心地を確かめたりしていた。
あれから何度かトイレに行ったので、結局タイツは自分で上げ下げしている。
一番最初はどのくらい引っ張り上げたらいいのかわからず、無駄に食い込ませてしまったりもしたが、ティナに見てもらいながら加減を覚えたのでもう大丈夫だ。
……下着の着け方が正しいかを確認してもらうために、野外でスカートを持ち上げるのはちょっと恥ずかしかったが。
それはともかく、やはり根が脚フェチの俺、今までは目で見るだけだったが、実際にタイツをはく側になれたことは、正直ちょっと嬉しい気分でもある。
この何とも言えない透け感と締め付け感……自分で好きなだけ見たり触ったり動かしたりできる今の状況は非常に満足度が高い。
ティナによると、フワフワの店なら色や厚みのバリエーションも豊富らしいので、また行くことがあれば今度は自分で選びたい。
どうせだから透け透けなくらい薄いタイツもはいてみたいと思う。
……でも腰から下全体に締め付けがあるせいで、タイツをはくとパンツの感触と同化してしまうのが唯一の難点だなあ。
スカートの生地にまとわりつく感覚も少し気になるし。そのうち慣れるのだろうか?
「どうしたんですか? 何だか楽しそうですね」
「ん? ああ、なんていうか、もっとタイツの種類を増やしたいなあと思って……」
「そういえば、ミナトさんがタイツはいているの、今日が初めてですよね」
「うん。今朝は我慢できんくらい寒かったし」
「ですよね。朝晩冷えるのに、毎日頑張るなあって思ってましたけど……」
俺が何を頑張っているのかは理解できなかったが、ユナは俺が寝転んでいるソファーに重なるようにして寝転がってきた。
……狭いけど、まあいいか。
家の中は静かだ。
調理場の奥からは、ティナが夕食の準備をしている音だけが聞こえてくる。
耳を澄ませば、河原の方から水の流れる音が聞こえてくる……ような気さえする。実際には聞こえてこないんだけど。改めてここは静かな場所だと思う。
「そういえば……」
俺は今日、馬車の中でエミリアから聞いた、この世界の学校事情をユナに話した。
「この世界にも学校はあるみたいなんだよ。ユナは中学の途中でこっちに来たことになるわけだし、もし興味のある学校があれば行ってみるのもいいと思う」
「その話だと、教会の学校は年齢的に無理ですよね? 残りの一年半を自由に外出できないお金持ち学園で過ごすのも、何だか息が詰まりそうですし……」
やっぱり難しいか。そうだよな、色んな場所を見て回りたいと言ってるユナを学園に閉じ込めるのは、別の意味で逆効果になってしまいそうだ。
「魔術学院ならどうだ? ユナは気に入らんかもしれんが、エミリアの助手という話で通せば自由に出入りできると思うぞ」
「うーん、理想的だと思いますけど、エミリアさんの助手だけは絶対に嫌です」
「そこまでエミリアが嫌いなのか?」
「あの人の助手になったら、毎日色んな所からゴミの苦情が来ますよ。エミリアさんが散らかしたゴミ掃除のために学院に出入りする状態になったら本末転倒です」
──そうだったな。
エミリアは別名「ゴミリア」と囁かれるほどの要注意人物だ。
以前エミリアのゴミ部屋を片付けた事件では、俺たち四人と導師モーリン、そして学院中の導師なり生徒なり色んな人に迷惑を掛けまくって大掃除をした苦い経験がある。
「じゃあ、エミリア以外のまともな導師の助手ならいいのかな?」
「はい。それならお願いしたいです。できれば収穫祭の後がいいですけど」
「なんかあったっけ?」
「学院の関係者になると、観光遺跡のイベントに参加できなくなるんです」
……そうだっけ?
ああ、そうか。じゃあ収穫祭が終わった頃に話を進めることにしよう。
その後も俺とユナで他愛のない話をしていると、サキさんが銭湯から帰ってきた。
今日は木窓を閉めたまま、解放の駒の明かりを灯していたので気付かなかったが、玄関のドアから見える外の様子は、すっかり夜の色になっている。
「強面親父には報告しといてくれた?」
「うむ。あと、銭湯に行く途中でナカミチと会っての。早めに相談したい話があるらしいので、明日の朝ここに来るよう言っておいたわい」
「わかった」
一体なんだろうか? 深刻な相談でなければいいんだが……。
サキさんがちゃんと内容を聞き出していなかったせいで、相談内容の見当がつかん。
こういう話は、もう少し詳しく聞いておいて貰いたいものだ。
サキさんが髪を乾かす間に、俺は馬の世話をして、ユナは調理場の手伝いを始めた。
本当ならこの辺りのタイミングでエミリアが現れるのだが、俺が馬小屋から戻ってきてもエミリアの姿はなかった。
今日はもう来ないんだろうか?
あんな女でも来ない日があると調子が狂うな。そう思っていると、ティナとユナが夕食を運んできた。
今日の夕食はパスタとサラダのセットだ。珍しいことだが、今日のパスタは具が少ないし、サラダの彩りも寂しい感じがした。
「ごめんなさいね。今朝エミリアに作ってあげたサンドイッチで、食材が無くなってたのを忘れていたわ」
「うん、今回は冒険中でも食材が減り続けたから仕方がない」
とりあえず明日の朝はどうするかな?
「明日の朝は冒険者の宿の酒場に行ってもいいが……」
「朝から家を空けてナカミチと入れ違いになるのも悪い。大通りの店ならまだ開いておる。これから行ってくるわい」
残りのパスタを胃の中に流し込んだサキさんは、魔法のペンを取り出して、ティナが言う食材を腕にメモし始めた。
「よりにもよって腕かよ。インクが落ちなくなっても知らんぞ」
「これは消しペン機能が付いた魔法のペンである。ほれ、消えるであろう?」
サキさんは自分の腕に書いた文字を、魔法のペンの尻側で軽くなぞって見せる。
「紙以外に書いたインクも消えるのか……」
「うむ。布に染みたインクも消えおったから、裁縫にも便利である。では、行ってくるわい」
サキさんは軽く上着を羽織って、家を出て行った。
家に残った俺とティナとユナの三人は、いつものペースで残りの夕食を済ませたあと、これまたいつものように、俺は食後の片付けを済ませてから風呂に入った。
俺たちが風呂から上がっても、まだサキさんは帰って来ていない。普段から食材の買い出しなんてしない男だから、手際が悪いのかもしれん。
「流石にもう、大通りのお店は閉まっている時間ですよ。サキさんのことだから、途中で小腹がすいて寄り道しているのかもしれません」
確かに……街へ出たついでにどっかその辺で一杯飲んでる可能性はあるな。
でもまあ、いくら心配しなくていいやつでも、帰りが遅いと何かあったんじゃないかと不安になってしまう。
こんな時は一言電話……はもう無かったか。やっぱり何かしらの連絡手段は欲しいよなあ。
「結局エミリアは来なかったわね」
「来ても食う物なんてなかったけどな」
俺たちは部屋で適当に涼んだあと一階に下りて寝る支度まで終わらせたが、サキさんが帰ってくる様子はなかった。
「サキさんはもういいや、先に寝てしまおう」
「そうですね……」
とりあえず一階の明かりはそのままにして、俺たちは先に寝ることにした。
翌朝、ユナと一緒に起きた俺は、朝の支度を済ませてから洗濯に勤しんでいる。
「今日は天気もいいみたいだし、布団のシーツとかも洗ってしまいたいな」
「やっちゃいますか」
「やってしまおう」
俺とユナは、布団や枕のシーツを剥がして、ついでにまだ寝ているサキさんの布団も取り上げて、そのシーツを回収した。
二人でサキさんの敷布団を引き抜いたら、勢いよく転がったサキさんは文机の脚に頭をぶつけたようだ。
「わしのはいい。わしのはいいんじゃあ……」
まだ寝ぼけているサキさんは、シーツを剥がした敷布団を手繰り寄せると、ミノムシのように丸くなった。
どうせなら毛布の方を手繰り寄せればいいと思うのだが、変なやつだなあ。