第180話「採石場」
しかし困ったことになった……。
ウナギのようなモンスターを討伐したまでは良かったが、退避させた馬車の一団は既に廃村の外まで移動してしまったのか、俺たちがいる場所からは姿も見えない。
「歩いて追い付くしかあるまいの……」
傷の治療が終わったサキさんは、上半身を起こしてから再び鎧を身に付けている。
魔法で強化された鎧を着ていたとはいえ、それでも一撃で倒されてしまうくらいの強打を浴びたのだから、このまま歩かせるのは忍びない。
「歩かなくてもいい方法を考えよう。サキさんは暫く休んでおけ」
「……そうさせてもらうわい」
「エミリアさんに連絡が付けばいいんですけどね……」
「頃合いを見て騎馬兵の人が偵察にくるかもしれんが、いつになるかわからんしな……例えば光の魔法で空にメッセージを書くのはどうかな?」
「それなら生木をつこうて、狼煙を上げるほうが伝わりやすかろう」
「王都散策のときに使った連絡用の木筒を見てくれるといいんだけど、そういう打ち合わせをしていなかったから、難しいかもしれないわね」
王都の中ですらはぐれたら面倒だと散々言ってきたわりには、今回は色々と油断して雑な行動をしてしまったと思う。
携帯どころか固定電話もない世界だ、はぐれたときの対処マニュアル的な物は作っておかないとダメだな。
「あの、ガレージに設置してあるテレポーターの親機を召喚できませんか? 子機は荷馬車の中に置いてありますから、そのままテレポートすれば合流できますよ」
「……いいわね。そうしましょう」
それができるなら話は早い。
俺たちはティナが召喚の魔法で呼び寄せたテレポーターの親機から、荷馬車の中にあるテレポーターの子機へとテレポートしたのち、廃村のど真ん中で置き去りになっている親機を再び召喚して手元に呼び寄せた。
召喚の魔法は、基本的に自分の所有物だと認識できるものなら、どこにあろうと関係なく召喚できるらしい。
荷馬車は動いている様子がない。退避したついでに馬を休めているのだろう。
「しかし簡単に合流できてしまったが、なんて言って荷馬車から顔を出そうか? 何となくズルをしたような気分だから、ちょっと出て行きづらいな」
「なんとなくわかります」
「それならばわしが出るわい……」
サキさんは俺とユナを押しのけて音もなく荷馬車から降りると、よせばいいのにエミリアの背中に指を這わせて悲鳴を上げさせた。
……少なくとも数分前まで死にかけていた人間のすることじゃないよなあ。
サキさんが必要以上に騒がしい登場をしてくれたので、俺も何食わぬ顔をして荷馬車から出ていけたのは少し助かった。
サキさんにはティナと一緒に、暫く荷馬車の中で安静にして貰っている。
魔法の力で強制的に傷を癒やした場合は、物理的には治っていても、脳がそれに追い付いていかない。暫くの間は有りもしない痛みが残るし、痛みに耐えることで消耗した体力までは回復しないらしい。
これはエミリアが家に置いていった本に書いてあった知識だ。
サキさんとティナが休んでいる間に、俺とユナはエミリアを交えて、カルカスのおっさんに廃村での出来事を報告していた。
「……化け物の特徴はそんな感じです。検証不足ですが地面の振動に反応するみたいなので、他にも生息していたら馬車で通り過ぎるのは危険かも知れません」
「ふうむ……エミリア嬢、あれの正体は何でしょうな?」
俺の報告を聞いたカルカスは、少し考えつつもエミリアの知識を頼る。
「思い当たる節はあるのですが、この辺りには生息しない類のモンスターです。本来は水辺に生息していて、泥や岩の隙間に潜っているんです。水を飲みにきた動物に硬い頭をぶつけて狩りをするのですが、こんな渓谷には生息していません」
「そうなると、元々誰かに飼われていた個体が廃村のどさくさで捨てられたか逃げ出したかして、今の今まで生き延びてきたと考えるのが普通かな?」
「計算の上ではあり得ますが、本来の生息地ではない場所であのサイズまで大きくなるとは考えにくいと言うかですね……」
「でも前例はありますよ? 家の前の草むらに潜んでいた巨大ムカデとか……」
言ってユナはその時の記憶が蘇ったのか、しきりに自分の手をさすり始めた。あの事件は俺も思い出したくない恐怖の一幕だ。
胴体の一節一節が人間の握りこぶしくらいあるムカデなんて、もう二度と見たくない。
「真相はどうであれ、かの化け物は既に貴公らが討伐してくれておる。廃村の調査は日を改めて行えば良いであろう」
ここであれこれ推理していても始まらない。カルカスが手を叩く音を合図にして、兵士たちの休憩も終わった。
本来なら廃村で休憩を取りつつ、そのついでに簡単な調査を行う予定だったらしいが、見事にそのアテが外れてしまったようだ。
けどまあ、廃村の調査は後日しっかり準備をして、入念に行った方がいいだろうな。
廃村を抜けた先にある、周りが少し開けた退避場所から出発した馬車の一団は、再び採石場に向けて走り始めた。
「ねえエミリア、ちょっと家の方にテレポートして、テレポーターの親機をガレージの奥に返してきてくれない?」
「いいですよ」
エミリアはテレポーターの親機を抱えて、家のガレージにテレポートした。
「召喚した物は、元の場所に戻す『送還』もできるんじゃなかったっけ?」
「一度廃村で召喚した親機を、続けて荷馬車の中に召喚したから、今のまま送還すると廃村に戻ってしまうのよ」
「召喚するたびに元あった場所が更新されてしまうんですね」
「そうよ」
なるほど、そういうことか。上手く使えば便利だが、召喚する物や手順を失敗したら詰んでしまうパターンもありそうだな。
それから少しも経たないうちに、エミリアがテレポーターの子機の上に現れた。
廃村を抜けた辺りから、大渓谷と呼べるほど横幅のあった渓谷は急激にその幅を狭めていき、俺たちが乗った荷馬車は緩やかな上り坂を進んでいる。
「追い風が強いな……」
「そうね。体が冷えるし後ろの幌は降ろしておきましょう」
「わしが掴んでおくから、適当に結んでくれえ」
サキさんが強風に煽られる幌を掴んでいる間に、俺とユナは左右から紐を結んで幌を固定した。
後ろの幌を降ろしてしまうと、外の様子が知りたくても御者席の前方しか見えなくなるが、冷たい強風が荷馬車を突き抜けていくよりはマシだろう。
しかし渓谷の幅が狭まったせいで、この辺りはすこぶる日当たりが悪い。風が吹いているので地面は乾いているようだが、自生している植物の種類に変化が見られる。
それにしても、こんなところで落石が起こったら逃げ場はない。全員潰れてしまうな。
「……おや? 採石場に到着したみたいですよ」
御者席の兵士の一人が教えてくれる。一団の少し先を進んでいた騎馬兵が、手を振って何かの合図をしている。不思議なジェスチャーだが、到着した合図なのだろう。
騎馬兵が立っていた場所まで坂を上ると、そこから今度は下り坂になった。
採石場の敷地は岩山に囲まれた円形をしているようで、地形的には逃げ場のない袋小路だ。まるで大きなクレーターの中に立っているような気分にもなる。
採石場の入り口付近には、当時使われていたと思われる錆びた道具や朽ちた建物、その近くに積まれた巨大なブロック状の石は、切り揃えた状態で放置されている。
「やりっ放しの状態で、人だけが居なくなった感じだな」
「どうして人が居なくなったんでしょうか?」
「さあの……」
俺たちは全員荷馬車から降りて、採石場の入り口を見渡す。作業中に人間だけが忽然と姿を消したような雰囲気は、何だか見ていて不安になる。
兵士たちはエミリアのアドバイスに従って、ブロック状に切り出した石の付近に荷馬車を固めているようだ。トロールは自然の石や岩に擬態していることが多いので、加工された石であれば、トロールが紛れ込む余地もなくなるらしい。
「トロールがいつ、どんな状況で出てくるのか全く見当が付かん。戦闘の準備は今のうちに済ませておこう」
「そうね。どの程度の擬態をするのかもわからないし……」
俺たちはテレポーターで一度家に戻り、全員分のカスタムロングボウと魔法の矢を用意した。
魔法の矢にはどの精霊力を込めておこうか? いまいち思いつかないな。やはり生物全般の弱点である火の精霊力だろうか?
俺が魔法の矢に込める精霊力に悩んでいると、いつぞやで見た大きな木のテーブルを囲んだカルカスとエミリアが手招きをしていた。
どうやら作戦会議をするつもりのようだ。俺たちもそちらへ向かうことにする。
「正確さは保証できんが、これが当時の採石場の全体図じゃ。現在地はここじゃな……朱色のインクで目印を付けておる」
テーブルに広げた古い羊皮紙を木の棒でぺんぺんと叩いて、カルカスが説明を始めた。
「トロールと思わしきものが目撃されたのは……ここじゃ。ここで相違ないな?」
「はっ! 相違ないのであります!!」
この兵士が最初に採石場を確認してきた騎兵の人か? どうでもいい情報だが、今日はこの人、馬に乗ってなかったな。ずっと最後尾の荷馬車にいたと思う。
「採石場の中央付近ですね」
「うんむ。今もそこにおるとは限らぬから、十分に用心して貰いたい」
「ここにいる一体だけなの?」
ティナが嫌なことを聞いた。
「自分が見たときは単独で歩いておりましたが……申し訳ありません! その場で動いていた一体を確認したのみであります!!」
「……ちょっと上から偵察して、不自然な岩がないかを確認した方がよさそうね」
「うん。もし見つけても手は出さずに戻って来てくれ。ところでエミリア、トロールを見分ける方法とか、具体的な弱点とかはないのか?」
「……トロールは周りの岩石に合わせて、徐々に自分の見た目や質感を変えていきます。見ただけで判断するのは難しいでしょう」
「自然に溶け込んでいたら、精霊力感知くらいしか頼れるものが無さそうだな」
「そうですね。あと、具体的な弱点は思い浮かびませんが、水を嫌うということがわかっています」
なるほど、水か……。