第175話「白いバスローブ」
朝っぱらから惚れ惚れするような食べっぷりを見せるサキさんとエミリアのペースが落ちてきたところで、俺は今日の予定を切り出した。
「俺はこれを食い終わったら、強面親父の宿に行ってくるからな」
「私はバスローブを探しに行きますね」
「そのことなんだが、さっきエミリアに聞いてみたら、バスローブは紳士服の店にしか置いてないらしいぞ。そんな訳だから、サキさんが代わりに買ってきてくれ」
「紳士服の店は以前と同じ場所かの?」
「うん。ユナのサイズに合うバスローブを頼む。身長はいくつだっけ?」
「前に計ったときは154センチでした」
「よかろう。行ってくるわい」
「バスタオルみたいな素材のをお願いね。シルク素材のてろてろしたやつはだめよ」
「うむ」
朝食が終わり次第、サキさんは白髪天狗に跨って街へと出掛けた。俺もハヤウマテイオウで強面親父の宿に向けて出発する。
ティナとユナは家で留守番だ。今日は雨が振りそうな雲行きだし、用事が無いなら下手に出歩かないほうがいいだろう。
強面親父の宿に着いた俺は、ハヤウマテイオウの手綱を邪魔にならない場所に結んでから宿の中へと入る。
この時間だと早朝の乗合馬車で移動するような冒険者以外は、まだまだ一階の酒場で打ち合わせなどをしている面子が多い。
はたまた、何か割のいい依頼はないかと掲示板を物色している冒険者の姿もちらほら。
「あーっ! ミナトじゃーん!!」
俺がカウンターの方まで歩いていると、酒場の真ん中辺りから一際でかい声がした。
……ハルだ。そういえば久しぶりだな。ハルの隣にはシオンと、ヨシアキにウォルツの姿まである。
今日は四人とも、帯剣だけのラフな格好で何かを話し合っているようだ。
「久しぶりだな。朝から四人で何をしてるんだ?」
「うん、ついさっきヨシアキから依頼を持ち掛けられてね。今回は四人で冒険することになったんだよ」
「人探しなんだぜ」
「へえ……」
「街中を捜索する時は最低四人は欲しいからな。これが三人だと困る場面が多いんだ。二手に分かれたとき、一人の側がアタリを引くと面倒なことになる」
「…………」
なるほど。パーティー同士でチームを組んだ訳か。それはそうと、終始無言のウォルツの顔色が明らかに悪いのが気になる。変な物でも食ったのかな?
「ミナトの方は何か依頼受けてんの?」
「こっちは王都から出てトロールの討伐だな。うちは化け物退治が多いからなあ」
「トロールなんて昔話でしか聞いたことが無いけど大丈夫なのかい?」
「どうだろう? 何せ見たことも聞いたこともない相手だから……」
「まー大丈夫なんじゃねーの? 大体サキさんが蹴散らして終わりだろーし!」
馬鹿笑いをするハルの声が喧しくて顔を逸らすと、強面親父の手招きが見えた。ちょうどカウンターの客が捌けたところのようだ。
「で、どうすんだ? この依頼、やるのか?」
「うん。サインはここだっけ? ニートブレイカーズ……ミナト……」
冒険者の宿から正式な依頼を引き受けるのは、モロハ村の巨大ミミズ以来だ。一月ぶりともなるとサインの書き方も忘れてしまう。
強面親父から依頼書を受け取った俺は、もう一度ハルたちに挨拶をしてから宿を出た。
俺が家に帰ると、家の広間にはエミリアの姿があった。今日は暇なんだろうか?
「ちょうどいい。エミリア、カルカスのおっさんが住んでいる屋敷はどの辺りになるんだ? コイス村から更に北なのは知ってるんだが」
「そのことですが、ペペルモンド卿のことはよく知っていますので、テレポーターを持った私が直接屋敷へテレポートするのがいいでしょう」
エミリアとカルカスのおっさんは顔見知りなのか? それなら話が早い。屋敷の場所も知っているようだし、今回はエミリアに仲介役になってもらおう。
依頼主とパーティーメンバーが顔見知りというのは、ある意味気分が楽だ。
色々考えないといかん作業の必要がなくなった俺は、将棋を指したいと言うエミリアのリクエストに応えて、ルールを教えながら遊んでいる。
「…………」
エミリアが俺の飛車と角と銀を全滅させた辺りで、サキさんが帰ってきた。
「ユナはおらんのかの? バスローブを買うて来たんであるが」
「部屋でハーブの調合でもしてるんじゃないか? 俺が渡してくるからエミリアの相手しててくれよ」
「よかろう」
俺はサキさんから白いバスローブを受け取って、もはや逆転不可能なまでに負けている場をサキさんに擦り付けた。
しかしエミリアならイメージ的にチェスを選ぶと思ったんだが、将棋の方が気に入っているようだ。エミリア曰く、敵を捕らえて味方にするという発想が面白いらしい。
自分の部屋に戻った俺は、ローテーブルの上にハーブを広げているユナにバスローブを見せた。
「サキさんが買ってきてくれたぞ。生地はモコモコのタオルみたいで気持ちがいい」
「ありがとうございます。今の手で触ったら匂いが移りそうなので、ちょっと広げて見せてもらえませんか?」
「広げたらこんな感じ……俺たちがイメージするバスローブと同じ形状みたいだな」
「ですね。変なデザインじゃ無くて良かったです」
バスローブは本当に何の変哲もない、ただの白いバスローブだ。広げた時にチェックしてみたが、あらぬ場所に意味深な穴が開いているようなこともなくて安心した。
ユナのバスローブを部屋に置いた俺は、再び一階の広間へ移動した。
暖炉脇のテーブルでは、それぞれのソファーで前のめりに座ったサキさんとエミリアが将棋を指している。
どちらが勝っているのか全くわからないが、互いに一言も喋らないので真剣勝負なのかも知れない。
……この二人は普段からあまり会話がないので微妙なところではあるが。
俺が広間の木窓から体を乗り出して、花壇に水でもやっておくかと思った矢先に雨が振り始めた。いつの間にか空は厚い雲に覆われている。
「おーおー、降ってきた。しかし、カルカスのおっさんの屋敷にはいつ行こうか?」
「あとで私が話をして来ますよ。トロールを研究するチャンスですから、ペペルモンド卿にもその旨お願いしておかないといけません」
「じゃあ頼む」
俺だけ木窓に寄りかかって秋の雨を眺めていたのではリーダーとしての示しが付かない。俺はこの時間を利用して、ここ最近の収支をまとめることにした。
まずは家の増築に掛かった費用だな、合計で銀貨4万2000枚掛かった。
予定の銀貨4万枚より少しオーバーしてしまったが、キリのいい数字を見るにガオラさんが端数を切り捨ててくれたのだろう。
しかし夜通し作業してくれたとはいえ、重機もないのに早かったなあ……。
次は防具屋でオーダーした俺とユナの防具だな、ハードレザーのセットとスケイルアーマーの合計が銀貨2410枚だ。
広間の酒棚に収まった大量の酒はサキさんが自腹で買ったからいいとして……王都の輸入武器屋で買った武器がいくつかあったな。
俺が腰に飾っておく用のサーベル、ユナのリピーターボウと専用の矢、そしてサキさんのでっかいシャムシールだ。これの合計が銀貨5300枚になる。
家の増築作業中に一週間ほど王都をぶらぶら一周していた時の、宿代や食事代の合計が銀貨1940枚。この中には骨董屋で手に入れた「洗浄の壺」の代金も含まれる。
最近どうするか悩んでいる部分だが、日用品の合計がとりあえず銀貨210枚だ。
日用品と言っても、石鹸洗剤のような物から食材や調味料、馬の世話や手入れに掛かる費用までを一括しているので、その内訳は多岐にわたる。
個人的にはあまり細かな物まで別けたくはないが、雑すぎると言えば雑である……。
ユナがどこかの工房で作ってきた照明グッズは、全部で銀貨350枚だ。実はこの照明グッズ、俺はその効果をナメていたが設置した初日から大活躍している。
反射板があると光が前に押し出されるように明るくなるし、間接照明は雰囲気だけでなく、夜中のトイレも明かりを持ち出さないで済むから便利だ。
続いて冬物衣料、サキさんが銀貨4970枚。もの凄い金額だが雪国でも活動できるくらいの防寒用具を揃えているので仕方がない。何せ毛皮のコートまで買ったからな。
それからユナが銀貨7070枚、先程買ってきたバスローブも込みだ。ティナが銀貨7320枚、俺が銀貨7060枚、どさくさに紛れてエミリアが勝手に会計した服が銀貨2600枚。
合計でいくらだ? 全部で銀貨2万9020枚か。ヤバいな。
防寒対策にかなりの金額を投入したんだから、真冬の冒険にも出て元を取りたいところだ。俺たちならティナかエミリアのどちらかとはぐれないかぎり、遭難したくてもできないパーティーなので、一度は雪中の冒険も経験しておきたい。
あとは……サキさんの酒棚と下駄箱の二つが銀貨2780枚だな。
しかし酒棚を買ったまではいいんだけど、すぐに酒が取れる場所にあるせいで食事中に飲み始めるようになってしまったのは問題だ。
いつか失敗して痛い目を見なければよいが。
収入に関しては鋼のゴーレムを回収できるようにする依頼で得た銀貨3万枚と、騎馬試合への出場権だ。
この依頼に関してはエミリアが何処からか強力な魔剣を借りてきたので達成できたのだが、俺たちだけの実力では絶対に無理だったろうな。
エミリアの話しでは、鋼のゴーレムの硬さは大型のドラゴンや上級悪魔と同じくらいだと言うから、今の俺たちではそういう相手と戦っても勝てないという目安にはなった。
なんだかんだ言っても、巨大ミミズのような超大型のモンスターを倒したという過度の自信が芽生えていた頃だったので、ある意味貴重な経験だったと言える。
それはともかく、使った合計の銀貨8万4020枚に収入の銀貨3万枚を引いて、さらにその金額を資産から引くと、現在の総資産は銀貨43万7310枚になる。
相変わらず一の位を四捨五入しているので微妙に計算がズレているがまあいいか……。
俺が家計簿を付けている途中、エミリアの姿が消えたのを確認していたが、それから暫く経ってもまだエミリアは戻ってこない。
「エミリア遅いな。雨も本格的に降り始めたし、今日は中止かなあ……」
「かも知れんの。しかしこれでは銭湯にも行けぬ。やれやれだわい」
サキさんも木窓の前に立って心底嫌そうな顔をした。
サキさんにとっての雨とは銭湯に行けなくなることを意味する。しかも雨に打たれてカルモア熱とかいう正体不明の奇病に掛かったりもして、いい思い出が一つもないらしい。
俺の方はといえば、テントや家の中で聞く雨音は結構好きな部類に入る。