第151話「逃亡のエミリア」
エミリアのテレポートで箒と塵取りを持ってきて貰った俺だが、魔法以外であまり役に立ちそうにないエミリアを見ていると、正直あまりやる気が起きなかった。
たとえこぢんまりとした家でも、一人で全部を掃除するのは骨が折れるからだ。
「エミリアの魔法で砂埃を家の外に排出できんものか?」
「と、いいますと?」
「例えば小型の竜巻を発生させて、床をなぞっていく。竜巻の尻を木窓の外に向けておけば、ゴミや砂埃は家の外に排出されると言うわけだ」
「……何となくイメージは湧きましたが、そんなに器用な魔法は使えませんよ」
「それなら流し台の欠けたりひび割れたりしている部分を魔法で修復してくれ。自炊が目的なのに水漏れしてたら最悪だ」
「そういう魔法なら任せてください」
掃除は任せられなかったが、エミリアはエミリアで役に立つ。しかし結局俺は一人で家中の床を掃いて回る羽目になった。途中で大工の人が扉の修理に来たようだが、それはエミリアに任せて俺はひたすら掃除をするのみである。
俺が掃除を始めてから三時間くらいが経過した頃、サキさんとウォルツが借り物の荷車を引いて戻ってきた。荷車には布団やたらいなど、男所帯の馬小屋暮らしでは使わなかったであろう生活用品が山盛りになっている。
ちなみに扉の修理は終わっていたようで、扉の下側、三分の一くらいの範囲だけが真新しい木の板に変わっていた。
「床は掃いたが拭き掃除まではやっとらんぞ」
「どうせ靴で生活するのだから問題ないわい。荷物を運び終わったら、わしは銭湯に行くかの」
「じゃあ俺も適当に帰るかな。そろそろティナが飯の支度を始めている頃だろう」
「そうか……残りの仲間には話が伝わっていなかったな。手伝って貰った礼もあるから、また都合のいい時に来て欲しい。次は客人としてもてなしがしたい」
荷車に積んだ大量の荷物を運び終えたのち、サキさんはそのまま銭湯へ直行し、ウォルツは借りた荷車を返しに行き、俺は箒と塵取りを持って帰路についた。
エミリアは今晩、リリエッタの手料理をご馳走になるらしい。では家に帰ったらティナにはそう伝えておこう……。
どうしてエミリアがヨシアキたちと一緒に居たのか不思議に思っていたが、飯に釣られて協力していただけのようだ。相変わらずというところか。
家に帰った俺は洗濯物を取り込んでから、今晩はエミリアが現れないことをティナに伝えた。
「そうなの? じゃあ大鍋一つで足りそうね」
今夜は鍋か。鍋の日はサキさんとエミリアが毎回ギスギスしているが、今日は平和な鍋が楽しめそうだな。
広間のソファーで洗濯物を畳んでいると、ユナが帰ってきた。ユナは職人を一度家に連れてきてから、ある程度の打ち合わせをして街まで送り返してきたらしい。
「家の増築は裏側に……ちょうど階段の奥側に部屋を追加する感じなんですけど、階段を上がってすぐの廊下にドアを付ければ、二階部分にも部屋を作れるみたいです」
「……一階に十畳と六畳間で二部屋、二階に十六畳間を一部屋追加できるわけか」
「はい。一階部分を奥に引き伸ばしたらいくらでも広くできますけど、家の裏に川があるので限度があります。余裕を見て絶対に大丈夫なのが離れまでのラインです」
職人が描いたと思われる平面図を見ると、現在のトイレ兼馬小屋である離れの建物と同じ位置で増築箇所が収まるように描かれている。流石この家を建てた本人だけあって、その辺りも熟知しているのだろう。
「二階部分は部屋を作らずにバルコニーにしたりもできますよ」
「布団を干すのが楽になりそうだな。長い目で見れば部屋のほうが良さそうだが……馬小屋の方はどうなった?」
「離れの馬小屋は今の二倍に延長できるみたいなんです。これですけど……」
ユナは家の増築案と離れの延長案が描かれているそれぞれの羊皮紙を折り曲げて、二枚の羊皮紙を繋げて見せた。
すると今まで長方形だった家の形が離れの建物を含めてきれいな正方形となり、やや不自然な位置に付いていた玄関の扉も建物の真ん中に位置するようになる。
「増築した状態が本来の姿だったとでも言いたそうなまとまり具合だな」
「そうなんです。将来増築が必要になったら、この状態になるように設計していたらしいんですよ」
元々増築を視野に入れて設計していたのであれば、その通りにして貰うのが一番無難かもしれない。俺からは特に要望はないので、後は鍋をつつきながら相談するかな。
ユナと話していたらすっかり暗くなってしまった。サキさんも銭湯から帰ってきて、濡れた髪を乾かし終える頃には、大きな鍋の準備も完了していた。
「……というわけなんだが、元々この家は増築が出来るように設計されていたらしい」
「バルコニーも良さそうだけど、部屋の方が後々使い道が多そうね」
「今の馬小屋が倍の広さになるんかの? うむ……それならこの案でも良かろう」
俺たちは鍋をつつきながら増築について話し合っていたが、特に反対意見もなく話しがまとまった。むしろ問題は、施工期間がどの程度になるのかであった。
「今の時期はあまり時間を掛けられないから、夜中も作業して良ければ一週間で仕上げると言ってましたけど……」
「魔法の明かりなら用意するけど、夜中に作業できるのかな?」
「ドワーフ族だと暗くても全然問題ないみたいですよ」
「ほう……」
「そうねえ……この辺りなら近所迷惑にもならないし、夜中もやって貰いましょうか?」
「ん、特に反対がなければ話を進めよう。もし煩くて眠れないようなら宿を借りればいいしな。あー、最初から宿を取るか? 王都中の宿を一週間はしごしながら外周二区を一周するっていうのも楽しいかもしれんぞ?」
「一週間王都を練り歩いて遊ぶんですか? 面白そうですね」
「毎晩宿と銭湯を変えながら満喫できるの」
俺の提案にユナとサキさんは乗り気の様子だ。ティナは少し困った笑顔を俺に向けているのだが、特に不満がある感じではなさそうだったので、俺たちは家の増築作業が終わるまで王都をブラブラして遊ぶことに決めた。
サキさんが鍋の残りで酒を飲み始めたので、俺たちはいつものように風呂を済ませてから自室で涼んでいた。
「明日頼んだとして、資材の手配もあるだろうから作業は明後日からだろうな」
「どうでしょうか? 一応明日の朝には返事をしに行くと伝えてあるので、すぐに作業が始まるかもしれませんよ?」
「まあ早いに越したことはないな。それに王都なら最悪手ぶらで宿に駆け込んでも不自由はしないだろうし。ところで費用はいくらになるんだ?」
「銀貨4万枚は見ておいて欲しいと言ってました」
「コロコロと同じくらいか……」
今のところサキさんのミシンが最強の座を譲らないな。なにせ銀貨5万6000枚だったから、まだまだこの記録は破られないだろう。
「そろそろ寝る準備をしましょう」
ティナに言われて俺たち三人は脱衣所に移動した。途中でサキさんも誘ったが、サキさんはまだ飲んでいる途中だから後で歯磨きすると言って、かまどの残り火で魚の燻製を炙り始めた。
俺とティナとユナの三人で順番に髪を乾かしたり歯を磨いたりしていたときの事だ。突然広間の方から女の泣き声が聞こえてきた。
『?』
俺たち三人は歯ブラシを口にくわえたまま、嫌な予感を表情に出して顔を見合わせる。
「ミナト来てくれえ! おい止めんか気持ち悪い!!」
広間の方から言い争うような声と同時に、サキさんが切羽詰まった声で俺を呼ぶので、俺は残りの歯磨きを丁寧に終わらせてから口を濯いで広間の方へ向かった。
「…………」
恐る恐る広間を覗くと、泣き崩れたエミリアがサキさんに抱き付いている状態なのだが、サキさんはエミリアの胸が気持ち悪いと言いながらそれを引き剥がしている所だった。
「……俺もう寝るわ。サキさんあと頼む」
「何を言う、リーダーの責務を果たさぬか。せめて引き剥がしてくれえ」
俺がエミリアを落ち着かせていると、ティナとユナもその場に集まってきた。
「何があったの?」
「わからん。昼間は上機嫌だったのにな」
全員でエミリアをなだめていたら、次第に気分が落ち着いてきたのか、エミリアはポツリポツリと真相を語り始めた。
俺たちがヨシアキの家を後にしてから暫くすると、買い物に出ていたヨシアキとリリエッタも家に戻ってきて、仲良く四人で引越し作業の続きをしたそうだ。
その後リリエッタが夕食を作り始めたので、ヨシアキ、ウォルツ、エミリアの三人は二階でベッドを組み立てていたのだが、暫くすると下の階から登ってきた黒い煙がモウモウと充満し始め……狂気と混沌が支配するデス料理の数々が仕上がっていったという。
「とてもそんなふうには見えなかったんだけど……」
「あれは悪魔に魂を売り渡した顔でした!!」
「まあ落ち着け、落ち着け。その後どうなったんだ?」
身の危険を感じたエミリアはテレポートで逃げようとしたのだが、同じく身の危険を察知したヨシアキが咄嗟にエミリアの腕を掴んでテレポートを封じたそうだ。
つまり、逃げられないと悟ったヨシアキの手によって、死なば諸共とデス料理の道連れにされたようだった。
しかし本人を掴んでおけばテレポートを封じられるんだな。そう言えばワイバーン戦でハリスのおっさんと狭苦しい小屋に身を潜めていた時も逃げられずにされるがままだったようだし、俺もエミリアを道連れにしたいと思ったときには腕の一つも掴んでやろう。
それはともかく、地獄のデス料理を囲んだ悪魔の晩餐会ではウォルツが最初に倒れた。ヨシアキは生まれて初めて食べる女の子の手料理だと強がりを見せていたらしいが、スープを半分飲んだ辺りで挙動がおかしくなり、エミリアはヨシアキの拘束が緩んだ一瞬のすきにテレポートして逃げ帰ったというのだ。
「倒れた二人は生きているのか? 仲間を見捨てて逃げるとは感心せんなあ……」
「ヨシアキとウォルツも心配だけど、リリエッタ本人は何ともないのかしら?」
「どうなんでしょうか……とにかくその場から逃げたい一心だったので、そこまで見ていませんでした」
「じゃあ晩御飯はろくに食べてないんですね」
「そうなんです……」
「さて、歯磨きでもしてくるかの」
サキさんはテーブルの上を片付けて歯を磨きに行った。
「私もそろそろ寝ますね……」
「うん、おやすみ。俺もおしっこしてから寝るわ」
『………………』
「ティナさん……なにか、なにか食べさせてください……」
解散ムードの流れになった途端、エミリアは鼻水を垂らしながら泣いた。