第123話「この世界の常識」
人の少ない裏通りを走って、俺は一人でフワフワの店の前にやってきた。
しかしいつまでも「フワフワの店」じゃいかんよな。俺は店の前に白髪天狗を繋ぎながら店の看板に目をやる……が、デザイン文字のせいで上手く読めない。
フィアリー……コッポ? 違うなあ。後で店の女主人に聞いてみよう。
俺が店の扉を開けると、店内は相変わらずな感じだった。
肌寒くなって布の面積を増やしたり、生地を重ねることができるせいで、夏物よりもフリフリでフワフワの度合いが酷くなっているような気がした。
二カ月前の俺が見たら確実に卒倒しているレベルだ……。
「いらっしゃいませー。あら? 今日はお一人なのですね」
「今日は冬物に切り替わる時期を確認しに来たんだよ」
店の女主人も相変わらずだ。俺は手近にあった服を手に取ってみたが、まだ冬物に切り替わった感じはしない。
「来月の始めには冬物が揃うと思いますわ。まだ製作中の服がいっぱいありますのよ」
「そうなのか。来月またみんなで買いに来よう。そういえば、看板の文字が読めないんだけど、この店は何て言う名前なんだ?」
「皆さんそうおっしゃいますわ。当店は『フェアリーケープ』と言いますのよ」
フィアリーコッポではなく、フェアリーケープだったようだ。
その後も俺は、何かを買う訳でもなく店の女主人と他愛のない話をした。
いつもはティナとユナの三人で服を合わせるのに精一杯なので、こうしてゆっくり話をしたのは初めての事だ。
女主人の名前はミゼルさん。家は外周一区の北にあるらしい。なんと既婚で三人の子供と七人の孫が……っておい。
「またまた」
「あら、本当ですわよ?」
「うーん。見た目で二十歳くらいだと思っていたのになあ……」
そのうち若作りの秘訣でも教えて貰うとするか。
「私もミナトさんたちが冒険者だとは思いませんでしたわ。てっきりどこかのお嬢様方だとばかり……」
「そこそこ実力のあるパーティーだから、困ったことがあったら相談してください」
「もしもの時はお願い致しますわ」
それとなく売り込みはしておいた。この店が無くなったら俺の身内だけでも四人は困るからな。
すっかり話し込んでしまったが、俺以外の客が来たところで話を切り上げて店を出ることにした。
来月に入ったら、またみんなで冬物を買いに来よう。
俺が家に帰ってきたのは、そろそろ夕方になろうという頃合いだった。
フェアリーケープのミゼルさんに孫まで居たのはショックだが、新しい発見をする楽しみに目覚めてしまった俺は、白髪天狗で王都を遠回りしたので随分帰りが遅くなってしまった。
結果としては特に何も無かったわけだが。
「随分遅かったのね」
「うん、普段使わん道を走ったら遅くなってしまった。ストーブとかは届いた?」
「届いたわよー。焼却炉はどこに置くのがいいかしら?」
俺とティナは、精霊力感知を使ってなるべく建物の風下になる場所に焼却炉を設置した。
家に入ると玄関口には薪ストーブが二つ置いてある。大きさは違うがどちらも同じデザインで、ストーブの上にヤカンが置けるタイプだ。
「ドライヤーに改造した薪ストーブとはまたデザインが違うみたいだな」
「こっちのストーブは随分重いわよ」
「邪魔になるから二階の廊下まで上げておこう」
薪ストーブはティナの浮遊魔法で浮かせてもらって、浮かび上がったストーブは俺が適当に押しながら二階の廊下まで運んだ。
サキさんが不在でも重い物が運べるようになったのは便利だなあ。
焼却炉と薪ストーブを移動し終えたティナは夕食の準備に戻ったので、俺は減ってきた精霊石を補充することにした。
俺が精霊石を補充し終わる頃には、ユナとサキさんも家に帰っていた。
「明日から一週間ばかり、シオンらは冒険に出るようだの」
「サキさんの方にはウォルツやヨシアキもいるが、ユナは一人になってしまうな」
「ハルは不在になりますけど、私の方は一人でも準備できるので大丈夫ですよ」
ユナの方は対戦相手が必要なわけでもないので問題ないらしい。
今日はエミリアがいつもより遅く現れたので、相手をする間もなく夕食となった。
今日の夕食は野菜と海老の天ぷらの他に、山菜の吸い物が付いている。
「マラデクの町で見た山菜だな。王都でも売ってるのか」
「大抵は売ってるみたいよ。むしろ私たちの知識が少なすぎるのが問題だわ」
知識に関してはもう仕方がないだろう。何でもかんでも聞いていたらキリがない。
そもそも、何がわかっていないのかを認識できていないのだから、質問のしようがないという問題もある。
「フワフワの店なんだが、冬物は来月の初めに出揃うみたいだ」
「来月になったら早速行ってみたいわね」
「あと、フワフワの店はフェアリーケープっていう名前らしいぞ。女主人の名前はミゼルさん。子供が三人と、孫が七人いるらしい」
『えっ?』
ティナとユナは驚いたように声を上げた。サキさんは知らん顔をしているが、まあ面識がないので仕方ないか。
「……なるほど。やはり彼女はエルフ族でしたか。下着に織り込んである繊維はエルフの里から仕入れているのでしょうね。ようやく謎が解けました」
「エルフって、このエルフですか?」
ユナが両手で自分の耳をつまんで持ち上げた。
「そのエルフですよ。不老長寿の種族ですが見た目は人間とあまり変わらないので、特徴的な耳が隠れていると見分けが付かない場合もあります」
「なるほど、人間以外の種族がいるってことか。じゃあ獣耳の種族もいるのか?」
「人狼の類は病気や呪いのようなものですから、種族としては存在しないと思いますね」
モフモフな種族を期待したが、そういう変わり種はいないらしい。少し残念だ。
「ドワーフ族なら王都の工房で良く見掛けますよ。特徴的には……」
エミリアからドワーフの特徴を聞くと、工房でちょくちょく見た覚えがあった。それを踏まえて思い起こせば、家の浴槽を組み立てた職人もドワーフだった気がしてくる。
確かにエルフと比べればドワーフは見た目が個性的だ。でもまさか本人に向かって人外の容姿を指摘するようなメンタルは持ち合わせていないので、なるべく個性的な容姿の話題には触れないようにしてきたのだが。
……単に異種族だったのだな。こういうデリケートな疑問はこの世界の常識に乏しいがために出てくる問題だ。もう少し何とかしたいと思う。
「他に珍しい種族はいないんですか?」
「そうですねえ、例えば……」
エルフやドワーフの他にも人間と共存できる種族はいるようだ。しかし自ら環境を整備したり、それに適応して生きることが出来ない種族も多いので、それらが特定の生活圏を捨ててまで王都にやってくるといった話はまず聞かないらしい。
今日は人間以外の種族について話し込んでしまい、すっかり遅くなってしまった。
エミリアは学院に戻ってサキさんも銭湯に行ったので、俺はいつものように調理場の後片付けをして、さっそく焼却炉でゴミを焼いてから風呂に入る。
「エルフかあ、見た目に年を取らないっていいですよねー」
「だなあ。若作りの秘訣を教えて貰おうと思っていたけど、年を取らないのが種族の特徴だと参考にならんな」
俺とユナは不老長寿のエルフ族を羨んだ。
「人間だと長生きする程お婆ちゃんとして生きる時間の方が長くなる計算だからな」
「実感が沸かないですけど、なんだか怖い話ですね……」
ユナはティナに抱き付きながら言った。ううむ。どこかに不老長寿の秘薬でもあればいいのになあ。
風呂から上がった俺たち三人は、いつものように寝る準備までを済ませて、睡魔に襲われるまでお互いの体にコロコロをした。
翌朝、三人一緒に目を覚ました俺たちは、いつものように思い思いの服に着替えているのだが、なぜかティナだけは浴衣を着ていた。
「本当は収穫祭の時に着て行く話だったけど、来月の終わりだと寒くて着られないと思うから、今のうちにもう一度着てみようかな、なんて思ったのよ」
「確かに……じゃあ俺も今日は浴衣にする」
俺がティナに浴衣を着付けて貰ったせいで、今日の朝はいつもより遅くなってしまった。
俺たち三人が歯磨きをしているとサキさんも起きてきたので、今日は俺とユナとサキさんの三人で朝の洗濯をしている。
「ミナトよ。浴衣でやるなら襷掛け(たすきがけ)しておけい」
「む? 時代劇で良く見るやつか?」
俺はやり方がわからなかったので、サキさんに襷掛けして貰った。
「なるほど、これなら作業しやすい。袖を気にしないで済むから気分も楽だ」
洗濯は俺とユナが洗った物をサキさんのパワーで脱水する方法が一番早く終わる。
後は干すだけの状態になると、干すのはユナとサキさんに任せて俺は広間で一人放置プレイを楽しんでいるエミリアの相手をしに行く。
ちなみに調理場で朝食を作っているティナは、自分で襷掛けをしていた。
広間では本日も相変わらずにセルフ放置プレイのエミリアが席に着いている。
「昨晩の異種族の話で痛感したが、やはり俺たちはこの世界での常識とか社会の仕組みのようなものを根本から理解していないように思える。何とかならんか?」
「生まれ育った世界ではないですし、現状では仕方ないんじゃないでしょうか?」
「最初の頃は情報収集で一日を潰したら翌日の生活費が無いような状態だったから、ロクに調べもできずに冒険に出たが、最近は余裕もあるし最低限の常識は身に付けておきたいところだ」
「では学院の教材を持ってきましょう。神殿で使われている教材と違って宗教的な教義は別けてあるので、ミナトさんたちにはそちらの方が向いているでしょう」
宗教的な教義っていうのも気になるが、必要な事だけが淡々と書いてある方が助かる。
そんな話をしていると、ティナとユナが朝食を運んできた。
今日の朝食はベーコンエッグにサラダとトーストだ。一周して普通のメニューになったな。
俺は朝食を食べながら、エミリアとの会話を続けていた。
「やっぱりこの世界の常識は身に付けて置かないとダメだと思う。何せ俺たち四人は全員この世界の住人じゃないからな」
「確かにそうですね。ヨシアキのパーティーやナカミチさんなら身内にフォローしてくれる人がいますけど、エミリアさんは毎日ご飯を食べに来るだけですし」
ユナは容赦のない一撃を言い放った。