第119話「三カ月目の朝が来る」
ユナとサキさんはチェスを始めている。見たところユナが大分優勢のようだ。
「うむむむ!? ポーンの使い方が難しいわい」
「歩をイメージしていると意味不明だろう。チェスのルールは九割方、ポーンに関するルールで占められているからな」
「ミナトさん詳しそうですね。一局どうですか?」
「いいぞ。チェスなら将棋よりも馴染みが深い」
俺は学生時代にカッコ付けでチェスを覚えたことがある。結局誰とも遊んだことは無かったのだが、やっと日の目を見るに至ったわけだ。
…………。
「これはユナの勝ちであるな」
「ステイルメイトで引き分けですね」
「馬鹿な。明らかにユナの勝ちであろう?」
何というか俺は、ポーンの進行を全部塞がれた挙句、ナイトとクィーンで絵に描いたようなステイルメイトをされている。
俺は完全に遊ばれてしまった──。
すっかりプライドが傷付いてしまった俺は、チェスを諦めて異世界版人生ゲームの空白を埋める作業をしていた。好き勝手なイベントを書き込めるのは楽しい。
「魔王は金貨100万枚で買収できるのか。ゲームの最低単価が金貨1万枚だからバランスとしては悪くなさそうだな」
「魔王の買収が正規ルートなんですよ。各チェックポイントを通過した時に一番資産の少ない人が伝説の装備を一つ貰える感じで、討伐ルートの方が救済措置になってるんです」
「普通は逆だと思うんだが、変なゲームを考えたなあ」
ルールを補足しておくと、伝説の装備は全5種類あって、装備一つにつき魔王との交渉が有利になる解釈……つまり脅しの材料に使って買収のさいに金貨20万枚分が軽減される仕組みだ。
一人で全5種類を集めると、一文無しでもクリアできる計算になる。
俺とユナがイベントマスのバランスを調整していると、いつの間にかエミリアがセルフ放置プレイを楽しんでいた。
もうエミリアが来る時間なのか。俺は弄りかけの人生ゲームを隅に追いやってから、エミリアの相手をすることにした。
「一日中酷い雨だが、そろそろ止んでくれないと各地で被害が出そうな勢いだな」
「街の方は川が氾濫する一歩手前ですよ。王国軍と自警団が総出で土のうを積み上げています」
恐ろしいな。王都でこの調子だと、マラデク方面の湿地帯は今頃凄いことになっているだろう。
家の裏手の河原は大丈夫なんだろうか?
もしもの時は、家をぐるっと石の壁で覆ってしまえばいいかあ……なんてことを考えていると、ティナが夕食を運んできた。
今日の夕食はホワイトシチューに伊勢海老のチーズ焼きが付いてきた。今日は伊勢海老が一人につき一匹、丸ごと! なんていう贅沢な夕食だ。
「ミラルダまで行ってきたのか?」
「これだけ雨が酷いと買い出しできませんから、晴れている町まで行ってきました」
「テレポートが使えると便利よねえ……」
容赦なく伊勢海老に噛り付くエミリアを見ていると、雨に関係なく自分が食いたいから買ってきただけなんじゃないかと勘ぐってしまう。
夕食が終わった頃には雨の勢いも衰えを見せ始めたが、軍と自警団が土のうを積み上げているような状態の街には近付かない方が賢明だ。
俺たちはサキさんを先に風呂に入れている間に、食事の片付けや馬の世話をしていた。
「上がったぞ。一緒に入ってくれる男の仲間がおれば、わしも家の風呂に入るのだが……やはり一人は寂しいわい」
「まあ、あのサイズの風呂で一人は寂しいよな。次は一緒に入ってやろうか?」
「いらぬわ。女の裸体に興味は無い」
サキさんは勝ち誇ったような顔をして、腰のバスタオルに手を突っ込んで見せた。
奴は今、俺の目の前で自分のチンチンを触っている──むかつく~っ!
サキさんに続いて俺たちも風呂に入った。
「男色趣味は別にしても、サキさん意外と寂しがり屋だよな」
「一人部屋になった時も寂しいって言ってましたよね」
今日は長風呂にならないように気を付けて風呂から出た俺たちは、髪を乾かした後に広間へ戻った。ちなみにサキさんはミシンの続きをしているようだ。
「……今日は暖炉の前に布団敷いて全員で寝るか?」
「面白そうね」
「まずソファとテーブルを移動させよう。そのスペースに布団を並べて、玄関の衝立で仕切りを作ろうか。サキさんも手伝え」
「うむ」
サキさんは暖炉の回りの家具を移動させているので、代わりに俺がサキさんの部屋から布団を広間に運んだ。
ティナとユナはベッドのマットを部屋の外に出して、ロフトの廊下から直接暖炉の場所までティナの魔法で移動させている。
「イカダの時にも思ったんだが、浮遊の魔法で空飛ぶ絨毯もできそうだな」
「相当しっかりした絨毯じゃないと難しいわよ」
ティナは毛布を一枚浮かせて、そこに乗るように促された俺は恐る恐る浮き上がった毛布に乗り込んでみた。
毛布は俺が乗った場所を中心に沈み込んでしまったが、俺を浮かせる程の浮力を毛布に与えると、沈んでいない部分だけが上に持ち上がってしまい──まるでハンカチに包んだお菓子のような状態になってしまった。
「浮力は均一なのか? 底に骨組みがないと荷重の変化には対応できんという訳だな」
「凧みたいな骨組みを作れば行けそうかも?」
「グライダーはどうですか? 浮力を与えると何処までも飛んで行けそうですよ」
空を飛ぶのは夢があっていいな。そのうちやることが無くなったら考えてみるか。
暖炉の前に布団を敷いた俺たちは、寝る準備をしてから四人並んで寝転がっていた。
魔法の明かりは消して、今は暖炉の炎だけが部屋の照明になっている。
「火を見ていると落ち着くなあ」
目を閉じて、パチパチと小さな音を立てる薪の音を聞いているだけでも心が和む。
「……サキさん寝ちゃったみたいね」
「こいつは寝付きが良すぎだろ」
隣を見ると、ユナも枕の端っこを握ったままの変な体勢で寝ている。俺はそれを直して布団に入り直したが、そこで意識の糸が切れた。
翌朝、珍しく全員で目が覚めた俺たちは、四人で歯を磨いて顔を洗って髪を整えた。
「冒険でもないのに全員で朝の準備をするのも久しぶりだな」
「うむ!」
俺が家の窓を開けると、昨日の雨が嘘だったかのように澄み切った青空が広がっている。
「朝飯の前に洗濯するか。マットも広間に下ろした状態だから、今日は干しておこう」
ティナは朝食の準備、俺とユナは溜まった洗濯物を洗い、サキさんは布団やマットを外に干す役割だ。
サキさんの方はすぐに終わったようだが、俺とユナの洗濯が終わるのは、ティナの朝食ができるのと殆ど同じタイミングだった。
朝食と同時に俺が広間に戻るということは、今朝のエミリアは誰にも邪魔をされずに放置プレイを楽しめていたわけだな。
今日の朝食は米と焼き魚と吸い物だった。朝から和食とは珍しい。
「昨日の雨が嘘みたいに晴れたが、裏の河原はコーヒー牛乳みたいに濁ってたな」
「あれでは二日は元に戻らぬであろう」
「街の様子はどうでしょうか?」
「特に被害はなかったようですが、水が捌けるのを待った方が良いでしょう」
「仕方ない。出るとしても冒険者の宿までにしよう」
食後の片付けを終えて一息ついた俺は、今日の予定を報告している。
「今日は特に何もできんと思うが、実は異世界生活も三カ月目に突入したぞ」
「……まだ二カ月しか経っていなかったことが驚きだわ」
「遊んでるように見えても引っ切り無しに動いてましたからねー」
「そろそろ落ち着いた頃であろう。今までは生活の改善点が多すぎたからの」
そうだといいんだがなあ。
「わしは今日もミシンをやる。恐らく今日中に完成だわい」
「制服の上着が二着だったな? 流石に作るのが早い」
「うむ。それから、暫くミシンは休んで戦闘訓練を行うことにするわい」
「収穫祭の大会に出るんですか?」
「うむ!」
ユナが言うには、収穫祭の目玉イベントに剣技大会があるらしい。来月の予選大会に向けて鍛え上げるとのことだ。
サキさんは出場経験も実績もないから、今回は予選の一回戦から参加しないといけないらしい。
「そうすると対人戦を練習することになるのか?」
「だの。今のところシオンとウォルツも出るらしいから、時間が合えばそこいらで練習する段取りにしてある」
「そうだったの。頑張ってね」
「任せておくが良い」
サキさんにとってはまたとないイベントだな。一月も前から計画的に準備するわけだ。
「他にも何かイベントはないのか?」
「大会ではないですけど、王立公園の観光遺跡を使ったイベントがあるんですよ」
「ほう?」
「今までに発見された罠を魔法で再現してあって、最深部まで辿り着けたらもの凄く豪華な賞品が貰えるそうです。難易度が高すぎるせいで、達成者なしの年もあるそうですよ」
それは面白そうだ。でも魔法で再現しているなら、魔術師の魔力感知で筒抜けだな。
「魔術学院が協力しているので、魔術師や学院の関係者は参加できないみたいです。少し前にジャックさんを誘ってみたんですけど、断られてしまいました」
「そうなると、私も微妙な立場ね」
「今月末には観光遺跡はイベントの準備に入るので、それまでに詳細なマッピングはしておこうと思うんです。できれば誰かを誘いたいところですね」
「意外と慎重派のハルとか、盗賊を名乗っていたジェイを誘ってみるのがいいかもな」
「……ちょっと声を掛けづらいですね」
珍しくユナが困った表情をした。あのジャックを誘えるくらいなら、ハルとか超フレンドリーで誘ったら自動的に付いてくると思うんだが……。
「ではその二人にはわしから話しておこう。良く銭湯で一緒になるからの。ちなみにハルの方がジェイよりもチンチンがデカい」
「そうか。良かったな」