第105話「学院長先生」
俺が食器を片付けていると、バスタオル一枚のユナが風呂から出てきた。
「上がりましたよー」
「ほいー」
ユナが広間の階段を上っていくのを見て、俺も風呂場に急ぐ。
まだ髪を洗っている途中のティナの隣で俺は適当に髪と体を洗い、大体同じタイミングで湯船に浸かる。ここ数日はいつもこんな感じだ。
「調子はどう?」
「んー、明日には大丈夫な感じがする……」
俺はティナの肩に身を寄せながら答えた。
寄り添うと自然にお互いの太ももがぶつかり合う。俺は自分の脚をティナの脚に擦り付けるようにして甘えた。
密着した肌を押し付けると、つるつるの感触がもちもちに変わるのが何とも言えない気持ちよさで癖になる。
「んんっ……もう、そろそろ上がらないと……」
「お、おう……のぼせるところだった……」
俺とティナは湯気を立てながら風呂を出た。女の子同士でベタベタするのが気持ち良すぎてついつい長湯になってしまった。気を付けないと……。
俺とティナが部屋に戻ると、すっかり湯冷めしたユナは先に髪を乾かしに行った。
「あれ? サキさんも帰ってきたかな?」
火照った体を冷やすために開けっ放しにしていたドアから広間を見下ろすと、首にタオルをぶら下げたサキさんが居る。流石に今日は早めに帰ってきたのか。
俺とティナもパジャマを着てから、髪を乾かすためにもう一度風呂場へ戻った。
風呂場ではユナの後にサキさんが髪を乾かしている。
俺はサキさんから今日の洗濯物を受け取ると、先に洗濯を済ませることにした。
「風を当てて部屋干ししておくか。そのまま放置で帰ってから取り込めばいいだろう」
「そうしましょう」
洗濯を済ませた後は髪を乾かして、四人揃って歯を磨いてから寝た。
翌朝、いつもより早めに起きた俺たちは、朝の準備をしたあと玄関の近くまで移動させた荷車に荷物を運んでいる。
「いちいち馬に括り付けなくても良くなったのは助かるな」
「サキさん、魔法の櫛と一緒にドライヤーを運んでください」
「うむ」
荷車の荷物は、テントが一つ、背負い袋が四つ、冬用の毛布が五枚、弓が四張、サキさんの全身鎧に薪ストーブのドライヤー、それに加えて調味料や食材など……想像していたよりも荷物が多い。
俺とユナとサキさんで出発の準備を終えると、広間のテーブルには今日もセルフ放置プレイを楽しんでいるエミリアがいた。
「荷馬車は森の入り口に置いてきました。食事が終わったら私は学院に戻って儀式テレポートの準備をしておきます」
「わかった。今回はどんな名目で職権乱用したんだ?」
「巨大ミミズの生態の調査とサンプルの回収です」
「まさか持って帰るんですかあっ!?」
ユナが悲鳴に近い声を上げた。巨大ミミズ回収なら俺たちは自力で移動するぞ。
「流石にそれは……表面の皮膚を少し持って帰るだけですよ。今回私は巨大ミミズの発見場所も含めて生態を調査しますから、モロハ村に入り次第別行動になると思います」
「え? あれ? 真面目に仕事するんだ?」
「してますよ!!」
俺がエミリアをからかっていると、ティナが朝食を運んできた。
今日の朝食はチキンソテーを野菜とパンで挟んだチキンバーガーとコーンスープだ。
「もう一つ欲しいわい……」
「途中で食べるのもあるから大丈夫よ」
ティナはバスケットに入ったチキンバーガーをサキさんに見せると、今日は早めに食後の片付けを始めた。
家の後片付けをしているティナを残して、俺とユナとサキさんは森を抜けてエミリアの荷馬車に荷物を移す作業を始めた。
「これだけ積んでもまだ全員で座れるスペースがある。デカいとは思っていたが……」
「わしは荷車を家に置いてくるわい」
「頼む。馬は俺とユナで繋いでおく」
俺とティナは白髪天狗とハヤウマテイオウを荷馬車の先頭に繋ぐ作業に取り掛かった。
「うちの二頭と合わせて本来の四頭引きにするんですね」
「湿地帯では馬上戦闘なんて無理だしな。どこかに預けても良かったんだが、これだけ懐かれていると置いても行けんしなあ」
荷馬車に繋いでいる間も、二頭の馬は俺とユナにすり寄ってくる感じだ。まあ、一番懐いているのは、なし崩し的に馬の世話係になったサキさんだが。
俺とユナが御者席で待っていると、ティナとサキさんが歩いて森を抜けてきた。
全員が荷馬車に乗り込んだところで、俺は馬を走らせた。いい加減エミリアの方も準備が出来ている頃合いだろう。
魔術学院の正門を顔パスしてグラウンドのような場所へ向かうと、すでにエミリアと数名の魔術師の姿がある。魔法陣はまだ現れていないようだ。
「来るのが少し早かったかな?」
「いいえ。いつもは導師モーリンに無理やり頼んでいたのですが、今回は学院長先生に頼んだんです。廃村前のモロハ村をご存じだったようで、先程確認してきました。一気にテレポートできますよ」
エミリアが促した先には、背の丈よりも長い杖を持って、古びたローブにとんがり帽子、仙人のような髭を蓄えたおじいちゃんが佇んでいる。
やっぱりこの人が学院長先生だったのか。
学院長先生と言うだけあって知識も経験も豊富なのだろうな。しかし毎回モーリンさんに頼んでいたのか。俺はチョビ髭おかっぱ頭のおっさんを思い出していた。
あのおっさんはエミリア絡みで色々と苦労してそうだな。
「それでは学院長先生~、行ってまいります~っ!」
「おぉ、エミリアやぁ、エミリアやぁ、気を付けて行って来るんじゃぞぉ~」
荷馬車に乗り込んだエミリアの挨拶を、孫娘に超激甘なおじいちゃんのような台詞で返した学院長先生は、自分の背丈よりも長くて大きな杖を振りかざして……。
…………気が付くと景色が変わっていた。
「今の何ですか?」
「学院長先生の儀式テレポートですけど……奥の方に見える明かりがモロハ村の入り口ですよ」
「……着いたのであるか?」
「どうやらそうらしい」
「荷馬車の中にいると全くわからなかったわ」
随分前にエミリアは、同じ効果の魔法でも術者のイメージで見た目が変わるなんて話をしてくれたことがある。
確かに三者三様だ。エミリアは闇のゲートに入って行くイメージで、モーリンだと魔法陣が降ってくるイメージか。学院長先生はエミリアの部屋掃除が終わった後にテレポートしてきたのを見たが、まさに忽然と現れるイメージだった。
ううむ……しかも熟練度が高いとここまで一瞬で完了するものなのか……。
学院長先生が尊敬に値する魔術師なのは良く理解できた。あと、エミリアがだらしない大人になった原因も少し理解できた。
「これはいかんの。ここで武装するから待ってくれえ」
「戦士のくせに油断するからだろ。まあ手伝ってやろう」
「頼む。あと、わしは戦士ではなくホモ侍である」
「黙ってろよ」
俺は荷馬車の中でサキさんの全身鎧の装着を手伝った。一応冒険者向きの鎧なので一人でも着れるように出来てはいるが、それでも装着には手間が掛かる。
最後に赤いマントを着けて、ロングソードとダガーを差して、グレアフォルツを脇に抱えて完了。全く手間の掛かる男だ。
エミリアは魔術師のローブを着ているので良いが、俺とティナとユナなんてこの前買った秋服のままだ。これではその辺の町娘と何も変わらない。
「あの、私たちも一応着替えた方がいいんでしょうか?」
「どうするの?」
「いやあ……防具持ってきてないよな……俺たちが勝手に冒険着って呼んでるだけで、防具がなかったら今着てる服と変わりないといいますか……」
「それならこのまま行きましょう」
「そうですね……」
困ったな。サキさんは戦士、エミリアは魔術師みたいに、誰が見ても理解できる恰好であれば良いのだが、我々女の子チームはおしゃれに興味はあっても技能的な外見に対する興味が一切全く微塵も無かった。
今まで散々服買ったのに、一言もそれに触れた記憶がない……。
「この冒険が終わったら、俺たちもわかりやすい外見になれる服を買おう。オーダーメイドで作ってもいいと思う……」
「そうね……」
「家に帰るまでに考えておきます」
今回は仕方がない。サキさんとエミリアを御者席に乗せた状態にして、俺たちの荷馬車はモロハ村の門を跨いだ。
モロハ村の入り口には篝火が焚かれているが、コイス村のように兵士が立っている事はなかった。廃村になって誰も立ち寄らない事がわかっているからだろう。
辺りを見渡すと、朽ち果てた家を撤去した場所にいくつものボロいテントが張られている。その周りでは鍋を囲む者、歯を磨いている者、髭を剃っている者……王都の正規軍だと聞いていたのに、カルカスの兵隊と比べると何だか非常にだらしない。
「何だ貴様らーッ!?」
兵士の一人が俺たちの方に向けて怒声を放った。俺は怖くなって荷馬車の陰に隠れた。
「わしの名はサキである! わしらは巨大ミミズの件で依頼を受けてきた冒険者のニートブレイカーズであーる!」
サキさんは御者席から飛び降りると、わざと周りにも聞こえるような声で堂々と名乗りを上げる。
サキさんの勇ましい姿を見た兵士は、なぜか半べそになってサキさんを歓迎ムードで迎え入れると、入り口の開いている一番大きなテントまで案内した。
「どうなってんだ?」
「なんだか複雑な理由がありそうですね」
荷馬車の中に残された俺たちは、テントへ連れて行かれたサキさんが戻って来るまで大人しく待つことにした。