第9話「初めての戦闘」
俺たち三人はジムに案内されて小川のほとりを下っていた。途中でゴブリンと遭遇したときは、ジムにはそのまま村へ逃げ帰るように伝えてある。
なるべく音で気付かれないように、俺たちは無言で移動している。
十五分程度と言っていたが、あまり歩きやすい場所ではないため、実際には一キロも無いのではないだろうか?
「この辺りが限界です。ここからは茂みに隠れながら移動しましょう」
小川の横にある茂みに入りながら身を屈めるジム。俺たちもそれに続く。
サキさんはロングスピアを横に寝かせて移動しているので、少し距離を置いてジムの後ろを移動している。
茂みに入ってからさらに五分ほど移動するとジムが動きを止めた。俺たちはジムの周りに集合して茂みの先を覗く。
その先には10メートルほどある段差になった崖に、スプーンで刳り貫いたような感じの穴がある。あれが例の洞窟か。
洞窟の周りには食い散らかした野菜や、家畜の死骸まで転がっている。
暫く様子を窺っていると、洞窟からゴブリンが一体這い出してきた。
「あれはチビ助か?」
「ゴブリンだとあのサイズが普通ですよ。おや? 武器を持っていませんね」
背筋が伸びていないので人間の子供くらいのサイズに見えるが、背筋を伸ばせば145センチのティナくらいはあるだろう。
枯葉のような色の肌に、布か木の皮か良くわからない腰巻を巻いている。日本人の感覚で例えるなら、小鬼とでも言えば良いだろうか?
這い出してきたゴブリンは一体だけのようだ。武器は持っておらず、小川で水を飲んでいる。
「ミナト、弓で撃て」
サキさんが無茶な事を言い出した。撃てと言われても30メートル以上ある。
弓なんか一度も撃った事はないし、武器屋の兄ちゃんも、はじめから狙撃なんかしても当たらないと言っていた。
もしも撃つなら2、3メートルくらいまで引き付けて撃てと。
「このまま戦闘になっても、最低一体は素手の状態にできるわね」
「機会を逃すな。ミナト、決断せい」
撃ってもどうせ当たらない。そのままゴブリンの群れに囲まれたらどうしよう。襲われたらどうしよう。殺されたらどうしよう。俺の責任になるのか? 見に来るだけじゃなかったのか? なんでこのまま戦う流れになってるんだ? 戦う練習なら今まで何度でもできたはずなのに、なんで一度もやらなかった?
俺の頭の中で最悪の状態や後悔のようなものがぐるぐると繰り返されて吐き気がする。
「わしが四匹殺す。信じろ」
サキさんが俺の肩を掴んだ。かなり痛かったが、痛みに注意が向き始めると、次第に何とかなるような気もしてきた。
「戦闘になるから、ジムさんはこのまま村に戻って欲しい……」
ジムさんは無言で頷くと、音も立てずにそっと下がって行った。
「俺が狙撃するので、当たっても当たらなくてもサキさんは突撃しろ。素手のゴブリンは無視して良い。洞窟から出てくるゴブリンの中で、一番ヤバイと感じた奴から叩け」
「承知した」
サキさんがロングスピアを構えて移動を始める。
「俺は一発撃ったらサキさんの後ろに続いて、あのゴブリンをやる。ティナは俺の近くで自分を守る事だけを考えて、自分の判断で動け。最悪ここに残っても良い」
「わかったわ」
「やるぞ……」
俺は腰の矢筒から矢を引き抜いてつがえると、立ち上がりながら弓を引き……水場のゴブリンに放った。
ジャボッ……。
俺の放った矢は、水しぶきを上げて地面に突き刺さる……やはり外してしまった。俺が落ち込むよりも早く、サキさんが茂みをかき分けて突撃して行く。
俺の放った矢と、茂みから飛び出したサキさんを交互に見て、水場のゴブリンが悲鳴のような声を上げた。
動物の鳴き声とはまるで違う、聞いただけでも不愉快になる言葉のような悲鳴だ。
俺は腰の矢筒から新しい矢を抜くと、サキさんの後に続いて茂みを出た。
外の異変に気付いたのか、すぐに洞窟の入り口から二体のゴブリンが這い出てくる。
二体のゴブリンは、条件反射のようにサキさん目掛けて走り出す。
どちらも片手剣のような物を持っているが、サキさんはロングスピアを横向きに持ち直して、二体のゴブリンに体当たりすると、そのまま二体を地面に吹き飛ばした。
相手が剣を持っていてもお構いなしか……。
吹き飛んだゴブリンの一体をロングスピアで叩き、起き上がろうとするもう一体をそのまま横殴りにして、最初のゴブリンを突き刺している。
そのゴブリンを足で踏み付けると強引にロングスピアを引き抜いて、もう一体の頭を更に叩く。
頭に食らった一撃でよろめいている所に、止めの突きを与えた。
サキさんがゴブリン二体を瞬殺する頃、洞窟からもう二体のゴブリンが走り出しているのが見える。その頃には俺も最初のゴブリンに接敵していた。
相手は丸腰でなおも悲鳴を上げているだけ。不快な気持ちを我慢して目の前に立つと、そのまま矢を放った。距離は2メートルあるかないか。
放たれた矢はゴブリンの左肩辺りに突き刺さる。俺は急いでもう1本の矢を取り出すが、慌て過ぎて矢を落としてしまった……。
これがいけなかった。俺はゴブリンの逆襲に恐怖して軽くパニック状態になり、後ずさりしながら必死で次の矢を引き抜こうとするが、次第にわけがわからなくなっていった。
「ミナト! そっちに抜けた! ……ミナトっ!!」
何本の矢を放っただろうか? 俺の目の前には、肩や頭や背中に矢の刺さったゴブリンがいる。サキさんの怒声で我に返った俺は、無意識のまま腰の矢筒に手をやるが、そこに矢は無かった。
俺は自分の足元を見た。
地面には矢筒から取り損ねた矢が何本も落ちていて、まだ戦闘の音がする方向を見ると、サキさんがロングソードでゴブリンと戦っていた。槍はどうしたんだろう?
「ティナ頼む!」
俺は自分のすぐ後ろで戦闘の気配を感じて振り返ると、レイピアを抜き放ったティナが、剣を構えたゴブリンと対峙していた。状況が良くわからない。
見る事だけはできるのだが、その場からは動けなかった。
「やれるかっ!?」
「わからないわ!」
最初に踏み込んだのはティナの方だ。
レイピアの切っ先が当たるギリギリの距離で掠めるようにゴブリンを斬り付けると、ゴブリンの顔面にぶわっと血が滲んだ。
慌てて顔を押さえようとするゴブリンの腕を斬り付けて、間髪入れずにもう一度斬る。
ゴブリンが腰を屈めて頭の位置が下がったとき、レイピアの突きがゴブリンの顔面に突き刺さった。
刺さると同時に引き抜くレイピアに合わせて、ゴブリンも前のめりに倒れる。
軽く二、三回斬り付けただけでゴブリンを倒してしまった……。
ゴブリンを倒して俺の所に走ってきたティナに手を引かれて、そのまま俺は茂みの近くまで連れてこられた。
目の前の先の方では、まだサキさんが戦っている。組み付かれているのか、相手の腕力を捻じ伏せる事が出来ずに苦戦しているようだ。
「もう少し待っていてね」
レイピアを抜いたままのティナはサキさんの方へ走って行くと、ゴブリンの背中を斬り始めた。
突然後ろから斬られ始めたゴブリンは、サキさんに組み付いていた方の手を払って後ろに振り下ろしたが、片腕が空いたサキさんはロングソードを地面に捨てて腰のダガーを引き抜き、ゴブリンの腹にそれを突き刺して離れる。
あそこで剣を捨てる判断は凄い……。
全てのゴブリンを倒すと、二人がこちらへ向かって来る。俺はその場にへたり込んで、茂みが風でわさわさ揺れる音や、水の流れる音を聞いていた。
腰が抜けたというやつか、暫くは立てなかった。
「俺は役に立たなかったなあ……」
「一匹は仕留めたじゃないか」
「でもなあ……」
「手違いで混乱するのは戦場では日常茶飯事らしい。勝ったのだから気にするな」
サキさんに励まされてしまった。あんな猛将みたいな戦い方をする人に言われると却ってへこむんだけどな。
気持ちが落ち着いたので、俺が混乱していたときの出来事を確認すると、追加のゴブリン二体が出現した直後に、体格の良い大柄なゴブリンが現れたらしい。
サキさんは手前まで来ていた二体のうちの一体にロングスピアを突き刺すと、槍は放置したままロングソードに持ち替えて大柄のゴブリンに向かったそうだ。
俺の指示通り一番ヤバイと思ったのを優先したらしい。
そのとき残ったゴブリンの一体が俺の方に向かって行ったので、俺の傍で待機していたティナが迎撃したという流れのようだ。
「とりあえず洞窟の方も調べてみよう」
サキさんはゴブリンに突き刺さったロングスピアと地面に落ちているロングソード、大柄なゴブリンの腹からダガーを引き抜いて回収すると、一人で洞窟の方へ確認しに行った。
ティナは俺が地面に落とした矢から、矢じりの先が歪んでないものを選んで回収してくれる。自分でやれば良かったんだが、今はそんな気分にはなれなかったのだ。
洞窟内は酷く獣臭くて、とても不衛生な感じがした。
あまり手で触らない方が良いと判断した俺は、気になる部分があるときは足で蹴って確認するように指示する。
三人で辺りを蹴り回っていると、汚い麻袋が見つかった。
唯一革手袋を持っている俺が袋の口を開いてみると、硬貨や指輪のような物がいくつか入っているようだったので回収しておく。
「もう何も無さそうだな」
「そうね。村へ戻って報告しましょう」
俺たちは来た道を戻って村長に報告した。報告するとクワやスコップを持った村の男たちが総出でゴブリンの死骸を片付けに行く。
放置して腐ると手が付けられないし、野生の動物が漁りに来るので土に埋めるらしい。
俺は洞窟で拾った汚い麻袋はどうするのか村長に聞いてみたが、依頼主の物でない取得物は冒険者の取り分になるのが通例なのと、汚いから見せなくても良いと断られてしまった。
その汚い麻袋は、とりあえず袋ごと小川に浸して泥を流したあと、革手袋を付けたまま中身を石鹸で洗っていった。
きれいになった中身は予備の小袋に入れておく。革手袋はもう汚いので、麻袋と一緒に村の焼却炉に捨てた。
今日初めて使った革手袋は灰になってしまった。