おまじないの呪文
北斎が最初はぎこちなかったものの、本気で彫刻に集中し始めていく。
私の存在を最初は意識しまくっていたのに、今は彫刻することしか考えていなくて、何か音を立てると今は睨み付けてくる。
邪魔をしてはいけないから此方へおいで、と甫坂さんが手招きをして、アトリエの隣の部屋へ呼んでくれた。
「先生にときめきましたか?」
「真剣な北斎はとても興味深いよ、でも詐欺師の人達来ちゃうんじゃない?
長く此処に留まっていると」
「それがですね、アトリエにいるときだけは、一度あの先生ぶち切れたときがありまして、
それ以来詐欺師の方々の間では、此処にいるときは邪魔をしないのが暗黙のルールになってるようでして」
「……詐欺師が気遣うって状況も中々面白い、ね」
「先生らしいです、お茶淹れますね、喉が渇いたでしょう?」
甫坂さんが紅茶を淹れる。
昔、魔女にもこうして紅茶を淹れて貰ったことがあったなぁ。
蜂蜜を入れて、魔女はいつも面白いおまじないをしていたの。
「薫さん、紅茶を飲むときは蜂蜜を淹れて、こうするといいですよ」
――あれは、魔女だけのおまじないなのに。
「れあなくしいお」
甫坂さんは指先をぱちんと鳴らしてから、私へ紅茶を前に置く。
「――……甫坂、さん?」
「何でしょうか、薫さん?」
「……――甫坂さんは、本当に人間ですか?」
「どういうことでしょうか? 私は貴方達の事情を知ってるだけですよ、先生からお聞きしたので」
「北斎は! 北斎は、魔女のおまじないまでは知りません、紅茶のおまじない、までは……」
「――……そう、なら、紅茶のおまじないのことも忘れてくれますように」
悲しげに笑った顔が、魔女の顔と重なって見えて、私は思わず甫坂さんに飛びついた。
抱きついて、会えた嬉しさに泣きそうになったのに。
感情が揺さぶられたのに、何か脳みその奥がぼんやりとしていく。
強い白檀の香り。
「私としたことが浮かれていました、貴方と二人きりになるのはよくないことですね、これからは気をつけます」
「魔女……魔女……――どうして、正体を隠すの……」
「貴方はきっと私を選ぶから。私は、貴方に、相応しくない」
「どう、して……」
「魔王様、貴方は私の神だから。神は、化け物を愛してはいけないんです」
「……――イヤだよ、私は神じゃない、私はもうここじゃ人間よ」
「そうですね。でも、私は貴方が与えてくださった物を一生忘れません。
その瞬間から貴方はもう、私の神です。私に肩入れしては、いけません」
イヤだ。
もっと魔女と話していたいのに。
身体から力が抜けていく、意識がくらくらして、白檀の匂いしか覚えられなくなっていく。
いけない、魔女のことを忘れたくない!
「魔女!」
私は魔女にキスをした――何となく、こうすれば、魔女に刻み込まれていくんじゃないかなって。
魔女は驚いた、私は笑って意識を失った。
「……――大事な、ファーストキスを、こんな男に捧げるんじゃありません……!
この記憶も、消しておきますね」
泣きそうな声が聞こえた気がした。




