知らない感情
「北斎、北斎」
「薫! 何も変なことはされなかったか?」
学校にいて、授業を受け終わって放課後になって、北斎と話していたら。
見知らぬ男の子に呼び出され。
北斎が男の子を睨んでいたけれど、何か用事があるのかもしれないと思ってついていった。
私一人だけでという話だったから、北斎に残って貰って。
「手紙を渡されたよ」
「貸して、読ませて」
「読んだんだけど、よく判らないんだよ」
「? 謎の文書なのか?」
北斎が慌てて手紙をばっと奪い、読みふけるが目を鋭くして私を睨むだけ。
「付き合ってくださいだなんて、普通のラブレターじゃないか」
「らぶ?れたー? 愛の手紙?」
「……薫。お前、まさか……」
「付き合うってどういうことなのかな?」
私の言葉を切っ掛けに、北斎がうなだれた。
「そうか、そうなのか、薫は……恋愛の感情を知らないのか。友愛は知っていても」
「? 百合とは恋人同士という設定だよ、親の前では」
「そういう〝設定〟ではない感情だ。お前、僕にこうされても何も思わないのか?」
北斎は私の手の甲にキスをする。指先で手の甲を少しだけなぞるように撫でる。
目を細く細く、熱を籠もらせて。言葉ではない何かを伝えようとするような、必死な瞳。
「忠誠の証?」
「心臓は何ともないのか」
「うーん……?」
「過去に、ドキドキしたことはないのか」
「北斎がドキドキって単語を口走ると、すごい違和感だね。……うーん、あ、写楽や百合にはドキドキしたよ」
「僕には!? 僕にもドキドキしろよ」
北斎がカッと目を見開いて、大いに不服だと唇を尖らせて威嚇してくる。
怒っているのか、鼻息が少し荒い。
「どうしてドキドキしてほしいの?」
「そ、そこでそれを聞くのか、か、薫の意地悪!」
北斎は真っ赤になって、私の手を引っ張りそのまま北斎のアトリエに向かった。
「人間は一生懸命な姿にドキドキすると聞いた!
薫は僕が仕事するところを見て、どきどきするといい!」
北斎は、「薫だって人間の女になったのだから!」とぷんすかしていて、その間にアトリエに甫坂さんがやってきて、小首傾げていた。
「甫坂さん、薫がときめいてたら教えろ!」
「はぁ、先生やる気が満ちてますね。いつもそれですと有難いんですけれど」
「甫坂さんまで僕を虐める!」
――今日の北斎はだだっ子みたいだね、と甫坂さんと目で会話して笑ってしまった。




