第7話
三年ぶりに偶然再会することが出来たエリル。
ソラの窮地に現れ、彼を助けてくれたエリル。
たちまちのうちに敵を倒して見せた、あの姿。
そんなエリルの勇姿は、絶大な印象を以てソラの心情に変化をもたらしていた。それこそ、少年の数年来の想いをより昂らせ、ついに、彼にその『正体』を自覚させる程には−−。
「ソラ、大丈夫かい⁉︎ 気をしっかり持つんだ!」
「……うぅ……」
神殿の中で唯一崩壊を免れた【祭壇の間】。広々とした正方形の部屋には、その名が示す通り、中央に巨大な祭壇が置かれていた。その祭壇を見下ろすようにして、部屋の一番奥に、美女を象った石像が立っている。
どうにかそこまで辿り着いたエリルは、ソラに刺さった矢を抜いて救急措置を施し、懸命にソラを励ましていた。
やがて、激痛で朦朧としていたソラも意識を取り戻し、どうにかエリルと向き合う。
「…………」
「…………」
いざ何か話そうすると、なかなか言葉が見つからない。それはソラも同様らしく、どことなく気まずそうにしている。
どうしてこの神殿にいるのか。この三年間は何をしていたのか。お互いに、訊きたいことは沢山あった。
それでも、一番最初に出た言葉は。
「……久しぶり、ソラ」
「……うん、エリルも。また会えて良かった」
そんな、当たり障りのない挨拶であった。
「…………」
「…………」
それから、また無言。
だがそれは、先程までの気まずい沈黙ではない。エリルは時間の経過と共に、胸中が温かい感情で満たされていくのを感じた。
雇い主のカイトに連れられた神殿で、今にも殺されそうだったソラを見つけて、咄嗟に助けて。あの時は本当に驚いたし、今だってまるで状況が把握できていない。
それでもこうして再会できたことが、純粋に嬉しかった。
何より、
(……ああ)
やはり、自分はこの少年に恋しているのだと。
少女は、胸のときめきと共に改めて自覚した。
ならば、後は、想いを声に出して伝えるだけ。
「あのさ、ソラ。ぼくは−−」
ところが。
エリルの言葉を遮るようにして−−突然、眩い光が空間を貫いた。
「「なっ……⁉︎」」
光の発生源は、他でもない、二人のすぐそばに鎮座する祭壇であった。信じられないことに、祭壇そのものが光を放っている。その暴力的なまでの輝きが、エリルの視界を遮ってしまった。
「ソラ……⁉︎ ソラっ!」
一時的に視力を失う寸前、立ち上がるソラの姿が見えた。何かに操られているような動きで、ふらふらと、祭壇の元に−−石像の近くに引き寄せられていく。
行かないで、と叫ぼうとした直前に、エリルは意識を失っていた。
眼を覚ましたソラがまず認識したのは、人魚として慣れ親しんだ“水”の感触だった。
地上でエリルと話していたはずなのに、いつの間にか、ひとり知らない海を漂っている。
どこまでも深く澄んでいて、それでいて、どこまでも暗い水の中。
彼が呆然としていると、
「はじめまして、坊や」
突如として響き渡った〈声〉に共鳴して、ぐねり、とソラを取り囲む水が蠢いた。
「そして、ご愁傷様ね」
美しい声だった。
美しすぎる声であった。
その美しさは、まさしく人の意志を犯す領域に在った。
何か言いたいのに、そうしようとする思考さえもその声が刈り取っていく。
それでも必死に口を開いたソラの喉から、こぽり、と水泡が吐き出された。
ゆるゆると昇っていく泡の向こうに、声の主がいる。
これまた美しい容貌の娘であった。
長い髪は真珠のような白銀色で、瞳の碧色はサラーディアのそれと同じだ。華奢な体を包む衣装は、胸元と袖口に金糸の刺繍が施され、長い裾は青の布地が幾重にも重なっている。
その目鼻立ちと服装は、あの【祭壇の間】にあった石像のものに似ている。
娘はソラを見つめて、にっこりと優しく微笑んだ。
「可愛い子。憐れな子。とうとう呪われてしまった子」
−−こぽり、こぽり。
喉の奥、おそらく声帯のあるあたりから、幾つもの泡が漏れ出していく。
「異種族の者を愛し、その者との恋に溺れたのならば」
−−こぽり。こぽり。こぽり。ごぼり。
ひときわ大きな水泡が吐き出されると同時に、気管に水が浸入してきた。
苦しい。息ができない!
自分は水中でも生きていける“人魚”の筈なのに。これでは、まるで 、
「わたしは坊やに、わたしの歌声を差し上げましょう」
−−ごぼり。ごぼり。ごぼり。
まるで“人間”のように苦しむソラを見ても娘は笑みを崩さず、歌うように、呪うように囁いた。
「その代わり」
冷たい水が肺を満たし、〈呪い〉が身体を侵食して、そして、
「わたしの声を持つ坊やは、決して幸せになれないわ」
−−ごぼり。
“ソラの声”は、仄暗い水の中に溶けて消えていった。