第5話
−−人魚族の直系の王家に連なる者は、十五歳になった年に一度、地上を訪れることを歴年のしきたりとしている。
港町マーロンの郊外に建つ神殿。伝承によるとそこは、かの人魚姫が、彼女が恋した相手と初めて出会った場所だという。
大衆からの知名度は低いが、人魚と人間、二つの種族の友好を象徴する聖地と見なされていた。
しかし。
そんな話を聞いて、無礼ながら、陛下も底意地の悪いことをなさるな……と。
【悪の魔法使い】の血を引くソラは考えていた。
現在もなお人魚族の中で聖女のように慕われている姫君、そんな彼女の聖地へ、彼女の宿敵とも言える者の子孫を送り込んだのだ。
無論、ソラの類い稀な魔導の才を珍重し、禁を破ってでもサラーディアの安全を優先させた部分が大きいだろう。だが、この任務にはソラに対する嫌がらせの意味もあったのではないかと邪推してしまう。
「この神殿を訪れたのは初めてだけど、私もソラも、地上に上がったこと自体はこれで二回目ね……。ねえ、三年前のことを覚えてる?」
そんなソラの心情を知ってか知らずか、向かいに座るサラーディアがにこやかに話しかけてきた。
今回はお忍びの旅である為、今の彼女はソラを含めて数人の従者しか連れていない。港から馬車を使って神殿に向かう最中であったが、ソラは唯一人、馬車に同席してサラーディアを護ることになったのだった。
「……今だから言えるのだけど……私ね。最初から、貴方が勝手に町に遊びに行っていたことは知っていたのよ。だってお部屋に閉じ込められているはずなのに、あの一週間はあなた、いつも楽しそうな顔をしていたわ」
「えっ……?」
「あら、自分では気づいていなかったのね」
目を丸くするソラに、サラーディアはくすくすと微笑する。
「あの日、私が勝手に抜け出したのもそれが理由よ。今日も町に出かけたであろう貴方を探しに行きたくなったの。貴方が町の何処にいるのかはもちろん、町の地形すら知らなかったのにね」
初めての地上、知らない土地。そこにひとり飛び出すという行為は、王宮育ちの彼女にとって、どれほどの勇気を要するものであったか。
それでも少女は、それ程にまで少年に逢いたかったのだ。
「当然、すぐに迷子になってしまったわ。怖くて、心細くて、ひとりぼっちで泣いていたけれど……そんな時、貴方が来てくれたの。まさか貴方の方から探しにきてくれるとは思っていなくて、あの時は、本当に嬉しかった……」
そう語ったサラーディア、その碧の瞳が、いつの間にか熱を帯びて潤んでいる。それを目の当たりにした瞬間−−突然、ソラの心拍数が跳ね上がった。
サラーディアは−−サシャは。身分の違いはあれど、幼い頃からソラの身近にいて、二人は兄妹のように仲が良かった。
そんな彼女が、ときたま今のような視線を向けてくるようになったのはいつの頃であったか。鈍感なソラでさえ気付いたくらいなのだから、ソラが思っているよりずっと以前からだったのかもしれない。
しかし、こんな密室で、こんな近距離で−−これほどにまで包み隠さず、その熱を向けられたのは初めてであった。
「……えっ? あの、さ、サシャ……?」
「ソラ。……私は、」
距離が近付く。
熱が、近付く。
そして−−
「そんな貴方が、ずっと前から−−」
「そろそろ神殿に到着致します」
「「−−−−っ‼︎」」
−−唐突に。
馬車の外に控えていた従者の声が、二人を現実に引き戻した。
ソラはサシャの言葉の続きを聞かぬまま、咄嗟に居住まいを正して正面の王女に向き直る。
「……それでは参りましょう、姫様」
「……ええ。そうね」
サラーディアもそれ以上は何も語らず、ただ、どことなく寂しげに、その長い睫毛を伏せたのであった。