エピローグ1
一人の少年の人生も終わった。
魔女も呪いもこの世界から消滅した。
だが、大海の水が決して枯れ果てることがないように、この世界はまだ存在し続ける。様々な人物が、様々な見方と立場から、この世界を見つめて、関わって、そうやって彼等は生きていく。
だから、今も、世界の各地では−−
「……ソラ殿のことは、本当に残念だった。私からも冥福を祈ろう」
美しい銀髪と狐の耳を持つ聖騎士が、沈痛な面持ちでそう言った。そんなユスティリナを、群青色の短髪と銀縁眼鏡が特徴的な、麗人族の戦闘僧侶……フェリスは、感情のない眼で眺めた。
人狐族の国の大使館。装飾は少ないながら石造りの壁が壮厳なその場所で、二人の聖職者は言葉を交わしていた。
「しかし、彼の死を無駄にはしない。彼の“偉業”に続くよう、我々もこの血が枯れ果てるまで戦う覚悟だ」
「はあ……。帝国との戦争は、今後も続けるという訳ですね」
「当然だ。むしろ、これからが本番だろう」
ユスティリナが、その端麗な顔に笑みを浮かべた。とても、とても綺麗な笑みだった。
「帝国の奴等には、私達が受けた苦しみをたっぷりと味わわせてやるんだ」
こうして、立場は入れ替わる。
加害者は被害者に。侵略される側は侵略する側へと。
既に、獣人の国は近隣諸国と組んで、今やぼろぼろになった帝国への侵攻を始めているのだという。
自分がこれから行うことに何の迷いも疑問も抱いちゃいない、そんな少女をフェリスは冷ややかに見つめていた。相手のそんな視線に気付かないユスティリナは、朗らかな笑顔のまま手を差し出した。
「さあ! これからも互いに、同じ宗教を信じる者として頑張っていこう。全ては主の思し召しのままに」
フェリスは頷いて、差し出されたユスティリナの手を握った。
「……ええ。主の思し召しのままに」
ーー
すこしむかしのおはなしです。
海の底の王国に、魔法使いに恋をしてしまった人魚のお姫様がおりました。
しかし、人魚姫が魔法使いに想いを伝えることが出来ぬまま、魔法使いは死んでしまいました。
魔法使いは、殺されたのです。
この世界の不条理に殺されたのです。
人魚姫の憎悪は今も尚、この海底を渦巻いています。
彼女は怒り狂い、喚き散らし、絶えず叫び続けます。
そんな珊瑚色の髪の娘を、同族たちは『物狂いの姫』と呼びつつ忌み畏れ、地上の一部の者は『かの魔女の再来』と称しました。
しかし、それでいて。
彼女の叫びには、決して忌避すべき存在ばかりでない“何か”が在りました。
その姿に、人々は恐れと共に、心に訴えかけるような“何か”を感じてもいました。
哀切を、疑問を、そして狂おしさを。
ゆるやかに滅びゆく王国、その内で何も知らず、仮初めの平和を享受する人魚たちに。見ようとしなければ目に映らぬ悲劇に満ちた、理不尽な世界に。
愛とは何なのか、真の平和とは何処にあるのか……答えのない問いを彼等に与え続けているのです。
「−−はい、ここまで。どうだった?」
「うん、なんかよくわかんないね!」
「……まあ、そんなもんだろうなぁ」
あっけらかんと言い放つ幼子の姿に、物語とも呼べぬ短い語りを終えた男は苦笑した。
さして大きくはない、教会の礼拝堂。ステンドグラスを透かして届く清潔な光が、滑らかな床の上を踊っている。
今、此処にいるのは幼子と男だけだ。
「ねえ、つづきは? にんぎょのおひめさまは、それからどうなったの?」
「……さあな。きっと、まだ、誰も知らないさ」
幼子の、天使の輪めいた光沢を放つ柔らかな髪、きらきらと輝く大きな瞳を眺めながら。そう言えば、あの旅からもう何年も経つのだと、彼は今更になって自覚した。
「まあ、トドメは刺さなかったからなぁ……あのバランとかいう坊ちゃんも、恐らくはどっかで生きてるだろう」
「?」
「……ああ、こっちの話だ。何でもないよ」
そう、何でもない。何てことはない。
何百年も人々を苦しめ続けた魔女が滅びようが、獣人の国と帝国が今もなお不毛な戦争を続けていようが、この世界では従来通りの日常が続く。
相変わらず、どこかの港町で船はせわしなく行き来しし、どこかの都市で貧しい労働者たちはあせくせと働き、今や海を越えた国々も少なからず繋がりを持っている。それでも、難民の数は減らないし、貧富の格差はなくならないし、この世界の在り方だって恐らくは変わらない。
……けれども。
そんな世界の中でも、誰かの小さな働きかけが、他の一人だけでも救えることがあるのだ。
そう、例えば−−
「カイトさん。私が仕事でいない間、子供を見てくれてありがとう」
「−−おっ。良かったな、お前の母さんが帰ってきたようだぞ」
「……! ママ!」
不意に礼拝堂の中に投げかけられた女性の声に、幼子がぱあっと表情を輝かせた。次の瞬間には、鞠が弾むような足取りで駆け出していく。
幼子が駆ける先には、一人のドワーフ族の女性が立っていた。
清楚な服を着て、不自由な片足には質の良い義足を付けている。その種族ゆえに幼女のような容貌をしているが、赤茶色の瞳の中にある知性的な光は、成熟した大人の女性のそれだ。
「ママー!」
胸の中に勢いよく飛び込んできた幼子を受け止めて、彼女は、幸せそうにはにかんでいた。




