最終話
「−−ソラっ‼︎」
魔女も呪いもこの世界から消滅した。
だが、そんなことは今やどうでも良いと言わんばかりに、エリルは剣を投げ捨て泥を踏み越えて、ソラの元へと駆けつけた。
「ソラ、大丈夫っ⁉︎ 気をしっかり持つんだ!」
ボロボロに傷ついた体を抱き上げて、必死に呼びかける。そんな想い人の姿を、ソラはぼんやりと見上げていた。
肘から先を失った右腕は、既に感覚もない。同様に付け根から断ち切られた右脚の傷跡には今もなお激しい痛みが残っていて、その痛覚が彼の意識を辛うじて繋ぎ止めていた。
今、気を失ったら。
少年の意識は海よりも深い場所へと沈んで、もう二度と目覚めることはないのだろう。
不思議と恐ろしくはなかった。穏やかな諦観と激痛をも鈍らせる疲労感が、ソラの心をじわじわと侵食していた。
それでも。
「ソラ、死んじゃダメだっ!」
この、凛々しくて可愛い恋人を泣かせてしまっているのは、彼女を置いて逝ってしまうのは、やはり悲しかった。
「ソラ、ぼくは、キミと一緒に居たいんだ。キミと共に生きられるならどんな運命だって耐えられる、どんな世界に居たって幸せだって言い切れる! だから……!」
「……し、あわ、せ」
しあわせになりたい。
それは、他ならぬソラも持ち続けた望みだった。この過酷な旅の中で、彼の心を支えてきた願いであった。
そして、
(ごめんね、エリル。だけど……俺は今、その願いを『叶えられた』かも知れないんだ)
少年が望んだ『幸福』とは。
(これ以上、魔女の蛮行を許す訳にはいかなかった。この身に代えてでも、止めたかった)
十五歳という年齢に似つかわしい、後先を考えない愚直な蛮勇であり。
(これ以上、〈呪い〉の力のせいで殺される人なんか居て欲しくなかった。俺みたいな目に遭う“赤い魔法使い”だって、もう二度と現れて欲しくなかった)
世界中の大半の者が当たり前に抱く、ありきたりな義憤や正義感であり。
(何より、俺は……)
そのどれでもあって、どれでもない−−
(……俺は、他ならぬ自分の“声”で、エリルに『好きだ』と伝えたかった)
−−ソラ一人だけが持つ自分勝手で一途な恋心であり、ある種の意地であった。
だから。
「あの……さ。えりる。おれ、は−−」
ソラが、残された左手を持ち上げる。指先がエリルに触れた。彼女の涙を拭うように、或いはその温もりを確かめるように、頰を撫でる。
少女を見上げる少年の瞳はどこまでも淡く優しく澄んでいて、きっと本物の空よりも空らしかった。
泣きじゃくりながら此方を見つめ返すエリルに、ソラは、微かに笑って告げた。
「エリルが、好き。きみがいてくれたから、おれはしあわせになれたんだ」
最初で最期の、愛の告白。
目を限界まで見開いた少女の顔を瞳に焼き付けるようにもう一度見つめて、少年は瞼を閉じる。
−−そうして。
ソラは、眠りについた。
ーー
部屋の中で、エリルは、ずっと少年の亡骸を抱きしめていた。
悲しくて悲しくて、涙が止まらない。
喉が痛むほど声を張り上げて、彼女は泣きじゃくる。
自分は幸せだった、とソラは最期に言った。だが、【悪の魔法使い】と蔑まれ続けて、呪われて、この大陸中を彷徨って。最後にはこの最果ての地で、光も届かぬ石の部屋の中で、あまりにも早すぎる死を迎えた。
ソラはもっと幸せになるべきだった。
自分も彼と共に幸せになりたかった。
エリルの想いなんてまだまだ伝えきれちゃいなかった。自分には最初から想いを伝える為の声があった筈なのに、今となっては後悔ばかりが残る。
だが、それでも。
どのくらい泣き続けていただろうか。彼女は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を何度も手の甲で拭って、不器用にしゃっくりあげて、それから漸く泣き止んだ。
今からでも、伝えたい言葉は沢山あった。
好き。大好き。ありがとう。幸せ。愛してる。
そして……
「さよなら」
最後に儚く微笑んで、エリルは、ソラの焼き爛れ冷たくなった唇に口付けた。
部屋の外で、サラーディアは、ずっと立ち尽くしていた。
悲しくて悔しくて、涙が止まらない。
しかし、エリルのように声を上げて泣きじゃくることすら出来ず、彼女は、声を押し殺すようにして泣いていた。
部屋の中にいる少女は、彼女が駆けつけたことに気付かない。勿論、今は亡き少年も。
生者と死者、愛し合う二人だけで完結した世界。この最果ての地の、光も届かぬ石の部屋はしかし、二人きりの幸福な空間として存在していた。
そこにサラーディアの居場所はない。好きも、さよならも、口に出すことさえ叶わない。
少年の人生は終わった。
姫君も呪いもこの世界から消滅した。
だが、この世界はまだ存在し続ける。
だからサラーディアは、この想いを、痛みを、生涯手放すことが出来ないのだろう。
そうなのだとしたら。
これも、また。
〈呪い〉のようだ、と彼女は思った。
あと少しだけエピローグが続きます。




